第一夜

第1話 銀河鉄道の夜

 卓上の照明で学校から出された馬鹿みたいな量の課題をこなしていると、網戸から吹き込む熱風がより一層暑く感じる。扇風機の風量は最大にしているのだが、夏にとってそんなのは関係ない。あいつにとって、人を暑苦しくさせることは、人間が無意識に呼吸をしていることと同じようなものだろう。


「クソ暑い……」


 受験生にも関わらず、すぐ側に置いてあるスマホを手に取るが、目的がないため、すぐに電源を切る。暑すぎて頭が回らない。アイスでも食うか。一度それを思いつくと、頭の中は完全に冷たいアイスでいっぱいになった。勢いをつけて立ち上がる。目指すは夏のオアシス、冷蔵庫だ。その瞬間、自室の扉が開けられ、白川しらかわおじさんが顔を出す。くたびれたスーツ姿のおじさんはネクタイを外しながら、


「昴介、牛乳を買ってきてくれないか」


 と、ぶっきらぼうに言う。


「仕事の帰りに買って帰れば良かったのに。それに別に今日じゃなくてもいいだろ」

「今夜は徹夜コース覚悟のお持ち帰りタスクなんだよ。そんな暇ない。あと、ガソリンのない車は動かないだろ。俺は牛乳がないと動けない」

「どんだけ牛乳好きなんだよ」


 まあ、こちらも血が繋がっていないのに育ててもらっている身だ。近くのスーパーまで徒歩五分もないし、それくらいはいいか。それに、このまま課題を続けても集中できそうにない。きっといい気分転換になるだろう。


「わかった」

「悪いな、受験生なのに。ほら、財布そのまま持ってけ」


 おじさんはスーツのポケットから真っ黒の長財布を取り出し、俺に投げてくる。それを上手く片手で掴み、玄関へ直行する。

外の空気は室内で感じていたよりも比較的涼しかった。室内の方が人の体温で蒸し暑くなるのかもしれない。


 目的のスーパーは午後九時を過ぎても開いている。田舎なのに夜遅くまで営業している店があるのは、こういうイレギュラーなときにとってありがたい。

白川おじさんのお気に入りの牛乳を難なく手に入れて、スーパーを出る。

ふと、今日が七夕であることを思い出し、空を見上げてみる。風が強いためか、空に浮かぶ雲は絶え間なく形を変えており、その隙間から天の川が見え隠れしている。


 七夕ということは、今日は一度たりとも忘れたことはないあの別れの日だ。俺の人生を唯一彩った存在との別れの日。


 イヤフォンを耳にはめて、スマホで適当に音楽を流す。ランダム再生で流れて来た曲は彼女との思い出の曲だった。俺の気持ちをわかっている優秀なスマホである。


 そして、あまり星の見えない空を眺める。あの空の深いところまで飛んでいきたい。ずっと遠くまで、逃げ出したい。現実を忘れられる場所へ。


「なんでいなくなったんだよ……」


 その瞬間、目の前が真っ白になり、あまりの眩しさに目を瞑った。しかし怖いもの見たさにゆっくりと目を開けると、空から一筋の光が町の山の方へ静かに落ちていった。絶対に流れ星ではない。あんな儚いようなものではなく、どこか恐ろしさを感じるものだ。


「隕石?」


 いや、それもありえないな。隕石が落ちて何も音がしないのはおかしい。それにニュースとかでも隕石が接近しているなんて全く言ってなかった。地上に落ちるほどの隕石のニュースなら四六時中取り上げられるだろうし、それを聞き逃すなんてことはないだろう。じゃあ、あれはなんだ?


 無意識のうちに走り始めており、その感覚は初めて琴に話しかけたときによく似ていた。俺の心の中で、またあのときのような感情が動き出していた。そう、退屈から抜け出せるような雰囲気。きっと、あの隕石が落ちた場所に行かなければ後悔すると思った。


 この場所から山まではあまり遠くない。二キロあるかないかくらいなので十分もかからずに着くのではないだろうか。


 俺は牛乳の入ったレジ袋をしっかりと握りなおし、勢いよく走り出す。立ち止まらずに、ひたすら山を目指して走った。


 何度も来たことがある山の入り口、薄暗い鳥居の前に予想した通り十分ほどで着く。こんなに走ったのは中学生のとき以来だが、不思議と疲れは感じない。これから頂上まで階段を上らなければならないが、きっと大丈夫。


 一気に二段飛びで上って、頂上に着くと、再び眩しい光に包まれる。

 

 夜空に浮かぶ、急行列車。


 されど汽笛の音。


 俺はその光景に目を疑った。でも、どれだけ目をこすっても、それは紛れもない、何度も読んだ宮沢賢治のそれだった。


 その先頭車両から一人の人間が地上に飛び降りてくる。俺の目の前に降り立ったその人は、俺に向かって一度礼をする。


「あなたが犬飼昴介いぬかいこうすけさんですか?」


 俺の名前を呼ぶその人の顔はよく見えない。ただ、服装からして車掌だろうか。それよりも、なぜ俺の名前を知っているんだ?


「まあ、訊かなくても合ってるというのはわかっているんですけどね。念のための確認ですよ。昴介さんですよね?」


 驚きが隠せないまま、首を縦に振ってしまうが、振ったあとに突然不安に襲われる。空飛ぶ列車から降りて来た、明らかに怪しいこの人に自分の素性を明かして良かったのか。銀河鉄道に乗っている人間だぞ。宇宙人かもしれない。どこかに連れて行かれ、改造されてしまうのではないのだろうか。


 しかし、宇宙人らしきその人物に俺の不安なんて伝わらない。


「やはり! こんばんは。銀河鉄道車掌のウィリアミーナです。よろしくどうぞ」

「は、はあ……」

「あなたは今年の『星の祭典』のゲストに選ばれました。おめでとうございます!」


 全く情報が入って来なくて、口を開けたまま突っ立っていると、


「今までの方もみな最初はそんな顔をされました。ご安心ください。危害を加えることはありません。むしろ、人間をもてなすのが『星の祭典』です」

「ほ、ほしの……? え、ちょっと何が何だか……」

「来た方が早いです。さあ、行きましょう」


 そう言ってウィリアミーナは俺の手を取る。思った以上の力で、俺は態勢を崩してしまう。ウィリアミーナが列車の方に手を上げると、体がふわっと軽くなり、足がどんどん地面から離れていく。俺はまるで漫画でよく見るUFOに連れて行かれる人間のようになっていた。


「え、ちょ、ちょっと!」

「大丈夫です! 銀河鉄道は快適ですよ!」

「いや、そういうことじゃなくて!」


 俺は必至の抵抗をして見せたが、いつの間にか意識がなくなっていた。

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