紙皿

Jack Torrance

第1話 連続するハプニング!

私は毎朝、通勤でシカゴ Lのブルーラインでジェファーソンパークまで乗車している。


その日の朝も何ら代わり映えしないいつもの朝だった。


しかし、私は乗車中に猛烈な腹痛に襲われてしまった。


直ぐにでもトイレに駆け込みたかったが、後2分でジェファーソンパークに到着するという何とももどかしい状況に身を置いていた。


放屁しただけでも大腸からの内容物が漏れ出し恥辱、屈辱、汚辱といった地球上の全ての辱めを背負って残りの人生を生きて行かなければならないのは必至寸前だった。


私は滲み出る脂汗を背中に感じながら冷静になって己に言い聞かせた。


大丈夫だ、ルーヴィン。


お前は絶対に漏らさない。


お前の括約筋はそんなやわっちいもんなのか。


お前は、今現在、SM倶楽部でボンテージファッションの女王様に浣腸されて女王様の辱めのお言葉を全身に浴び興奮と絶頂の狭間で我を忘れて楽しんでいるんだ。


もっとプレイに集中しろ、ルーヴィン。


私は速やかに席を立ち到着1分30秒前に乗降口の前に立った。


手に汗握る興奮と緊張。


私はF1で予選で最速のラップタイムを記録し、ポールポジションを取ったような高揚感に包まれた。


到着して乗降口の扉が半分も開いていない内に私はフライング気味にホームに右足を着地させ猛ダッシュした。


今、私の肛門括約筋にはコルクが刺さっている。


刺さっている…


刺さっている…


そう念じながら。


ラッシュで溢れ返るホームの人の波を私はジグザグに縫って行きながら心の中で祈った。


どうか大便用の個室トイレが空いていてくれますようにと…


私はトイレに駆け込んだ。


間に合った。


後は個室トイレが空いていれば事無きを得る。


私は少し安堵した。


そして、その安堵も束の間に終わった。


個室トイレの扉に貼られている貼紙を見て沖から寄せては返すさざ波のような催してくる便意に堪えきれずにうんこを漏らしそうになった。


その貼紙にはこう書かれてあった。


〈現在故障中 申し訳ありませんが大便はタンク上に置いてある紙皿の上に用を足してお持ち帰りください くれぐれも便器に流さないようにお願いします〉


私はこの貼紙を読んでシカゴ Lの社長宅に某有名パティシエが経営しているケーキ店の贈答品に見せかけた外箱に紙皿に載せた私のうんこと手製爆弾をセットにして送りつけてやりたいという衝動に駆られた。


手製爆弾といってもうんこを木っ端にするくらいの微々たる癇癪玉みたいな物だが。


レッド ホット チリ ペッパーズのアンソニーとフリーが1stのミキシングが気に入らなくてプロデューサーのアンディ ギルにうんこを送りつけたんだからノープロブレムだろう。


いや、ルーヴィン、ちょっと待て。


今はうんこを漏らすか漏らさないかの瀬戸際なのでその考えを一旦脇に置いておこう。


次のトイレを当たるか否かという核弾頭のスイッチを押すか否かと同様な判断を私は迫られていた。


私の括約筋は持って後1分。


次のトイレまでは改札口を出なければないので猛ダッシュで3分。


しかし、この人混みでは2分くらいの超過は致し方なかろう。


仮に括約筋が現在、私が分泌しているアドレナリンのお陰で持ち堪えたとしても個室トイレが空室という確約は無い。


私は、この結論を導き出すのに要した時間はディープラーニングを上回った。


私は躊躇なくその貼紙が貼っている扉のドアノブに手を掛け中に入りロックをした。


そして、間髪入れずにベルトのバックルを緩めてスラックスのホックを外しジッパーを下ろしてスラックスとパンツを同時に下ろし水洗タンクの上の直径25cmくらいの紙皿を便座の蓋の上にセッティングした。


この一連の動作を私はアメコミ史上、地上最速の男と呼ばれているフラッシュよりも速く成し遂げた。


文字通り私は閃光と化していた。


その迅速で流麗な一連の身のこなしに己に酔い痴れた。


そして、ここまで周囲も認めるほどの頭脳明晰で俊敏にして聡明な英断を下してきた己に酔い痴れた。


私は便座の上の紙皿と肛門との微妙な距離感を保ちつつ空気椅子状態で大腸から凄まじい放屁音とともに、その私の血となり肉となった燃えカスを放(ひ)り出した。


私は、バナナのような一本糞が紙皿からはみ出さないようにソフトクリームの逆の発想で尻を螺旋状に上昇回転させながらうんこを蜷局に巻いていった。


そして、私は奇跡の生還を果たした。


その身も悶えるような凄まじい腹痛は頭皮から滴りYシャツもぐしょぐしょになるくらいの発汗が物語っていた。


この世に生を受けて41年。


可愛い妻と13と10になる思春期の娘を持つ父親として何としてもうんこを漏らすといった汚辱だけは残せなかった。


私はナム(ベトナム)から掠り傷一つ負わずに祖国の地を踏んだ帰還兵のようなノスタルジーに包まれた。


空気椅子も辛くなってきたので立ち上がりトイレットペーパーに手を伸ばし肛門に付着した燃えカスの処理をしようとした。


テガ空気を掠める。


な、無い!


トイレットペーパーが無い。


私はバッグの中に手を差し入れポケットティシュを探った。


な、無い。


そうだった!


昨日、娘達と『きみに読む物語』を観に行って号泣しポケットティシュを使い果たしていたんだった。


私はシカゴ Lの社長への憎悪がメラメラと再燃していくのを感じていた。


この予測し得なかった不測の事態は私のディープラーニングも結論を導き出すのに時間を要した。


私はロダンの考える人のように便座に座ってこの窮地からの脱出劇を考えようとした。


あ、危ない、危ない。


便座には紙皿に載ったソフトクリーム状のうんこがあったんだった。


更なる惨劇を拡大させるところだった。


私は、その紙皿に載った芸術的なデフォルメを鑑賞していたらメトロポリタン美術館にでも展示出来るのではないかと惚れ惚れする見事に蜷局を巻いたブロンズ彫刻のような出来栄えであった。


その黄金の物体はSM倶楽部の女王様から嬲られ甚振(いたぶ)られ辱めを受け調教に耐え忍んだ私へのご褒美として女王様自らが放り出していただいたうんこのようにも思えてきた。


そう思うと一種独特な神々しさを放っているかのように感じてきた。


後生大事に孫の代まで受け継がせたいという愛着まで沸いてきた。


その時に水洗タンク上の紙皿が視界に入った。


こ、これだ。


私は紙皿を一枚取り、それを両手でもみくちゃにして紙皿を少しでも柔らかくしようとした。


それは貧しかった幼少期にトイレのペーパー代を節約しようとした母が御近所から頂いて来たニュースペーパーをトイレットペーパーの代用にしていた事を回想させた。


力を入れて揉んで揉んで揉み拉いた。


これが妻のおっぱいだったらどれだけ幸せかと思いつつ現状の窮地を脱するべく、もうこれ以上柔らかくなりませんという状態まで紙皿を揉み拉いた。


そして、私は肛門を拭った。


硬かった。


あれだけ揉んで揉んで揉み拉いたのに。


私は痔でなかった事を神に感謝した。


そして、その一枚のもみくちゃにした紙皿で肛門にこびり付いたうんこを奇麗に除去するのには限界があった。


私は、もう一枚紙皿に手を伸ばそうとしたが私の次にこの個室トイレを利用する人と地球温暖化という昨今の世を憂い、これ以上の木材パルプの浪費は宜しくないと身を切る思いで自重した。


私はパンツにうんこがちょっぴり付くなと思った。


それは、8年生の時に友人と戯れ合っている際に放屁した瞬間にちょっぴりうんこが出た時のセピア色の思い出がフラッシュバックした。


私は肛門に微かな不快感を感じつつジッパーを上げてベルトを締めた。


残る問題はこの紙皿に盛られたソフトクリーム状のうんこの処分だ。


このまま放置しようかと邪な思いが私を支配した。


その時、私の脳内に優しげな声音が聞こえた。


私の中の守護神が囁いていたのだった。


「ルーヴィンよ、それは道徳観念上、決して許される事ではありません。モラルの欠如にも程があります。貼り紙にも書いてあったでしょう。お持ち帰りくださいと…」


私は、その邪念を押しやった。


己を恥じた。


私は、この先悔恨の情を背負(しょ)って生きる事になるところだった。


守護神様、ありがとう。


私はその声に従った。


先程、肛門を拭った紙皿でうんこをサンドイッチにして両手で古来から王室に仕える宮廷料理人が盆に載せた料理を恭しく献上するように両手で紙皿を掴みトイレを後にした。


私は周囲からの冷ややかな視線を猛烈に浴びながら悪臭を振り撒き恭しく紙皿でサンドイッチしたうんこをゴミ箱まで運んで来た。


ゴミ箱の中に大量に捨てられている朝刊の上に私と同様にしわくちゃになった紙皿でサンドイッチされたうんこが廃棄されていた。


私だけじゃなかった。


この悪状況の中で勇敢に立ち向かった先駆者がいた事を知り私は安堵を覚えた。


そのうんこがサンドイッチされた紙皿の上に私のうんこのサンドイッチをそっと載せた。


うんこのサンドイッチが二つ重なった光景は某バーガー店のダブルチーズバーガーのように見えた。


私は指に付いたうんこをスラックスにナスクリ付けた。


私は、そんな些細な事を気にする男ではなくなっていた。


西部開拓者に想いを馳せながら私はジェファーソンパークの改札口をスキップですり抜けた。


人間は成せば成る生き物なんだという確かな手応えを私は感じながら…

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