第二話 ラースタチカ

深宇宙調査船


「あっ! ボタンさんっ!」


 左右に開いた扉の向こう側。

 透明なガラス素材から周囲の宇宙空間が見渡せる船のブリッジに、亜麻色あまいろの髪の少年――――ティオの喜びの声が響いた。


「ティオ! 先ほど振りだな!」


「良かった……ボタンさんもちゃんと元通りになれたんですね」


 今も何人かのクルーが操船を行うブリッジに白衣を着たまま現れたラエルノア。


 彼女の肩には黄色い円盤状の体にキリリとした顔が浮かび上がり、伸び縮みする手足をばたつかせたボタンゼルドがちょこんと座っていた。


「ラエル艦長から話は聞いた。君が俺を助けるために声を上げてくれたと。君は命の恩人だ、ありがとう!」


「そんな……それを言うなら、僕だってボタンさんのおかげで助かったんです。僕の方こそ、ありがとうございました!」


「お疲れ様ティオ。見ての通り、ボタン君はもう大丈夫そうだよ。ただ、彼がどのようにして生命を維持しているのかがわからないから、大丈夫……と確約することは出来ないけど」


「ええっ!? 艦長にも分からなかったんですかっ?」


 自他共に認める天才であるラエルノアでも解析不能という事実に驚くティオ。

 だがラエルノアはどこか嬉しそうに笑うと、自身の肩に乗るボタンゼルドの頭頂部をそのすらりとした人差し指ですりすりと撫で上げる。


「ああ、とても興味は尽きないね。今のところボタン君には行く当てもないようだし、当面はこの船に滞在して貰うつもりだよ」


「うむ! 俺もそうして貰えるとありがたい! どうやらここは俺がかつていた世界とは全く違う世界のようだからな!」


 言って、ボタンゼルドはラエルノアの肩からティオの肩へと軽快に飛び移り、その丸い胸を張ってティオに笑みを浮かべた。


 先ほどボタンゼルドが目を覚ましてからここまでの間、すでにこの世界における最低限の知識はラエルノアから説明を受けていた。


 この世界がボタンゼルドの生まれ育った宇宙とは別の宇宙であること。


 より科学技術が発達し、すでに人類が地球を遠く離れたにまで活動圏を伸ばしていること。


 しかしその過程で、先ほど遭遇したオークのような危険な異星人文明とも遭遇しており、人類の未来は決して順風満帆というわけではないということも。


「さっきも話した通り、この私も地球人類とエルフのハーフなんだ。この船にももしかしたらボタン君が驚くようなメンバーがいるかも知れないけど、どうか仲良くやって貰いたい」


「もちろんだ! そもそも今となっては俺自身もよくわからん脱出ボタンだしな!」


「はは。確かに、大抵の場合は他の皆が君を見て驚くことになるだろうね」


 ボタンゼルドの言葉にラエルノアは肩をすくめて笑うと、そのままブリッジ中央に最後部に用意された指揮官席へと着座する。

 そして目の前の端末を軽やかに操作し、艦内全域に新しくボタンゼルドが同行する事や、ボタンゼルドの外見的特徴などを伝達した。


「これでよし――――と。この船は乗員の数はそこまで多くないんだけど、結構癖のある人が多いんだ。何も知らないクルーが君を見たら、不審人物と勘違いしてからね」


「あはは~……た、確かにそうかもですね……」


「なんだと!? いくらなんでも物騒すぎるだろう!? たしかこの船は調査船だと言っていたが、先ほどティオが乗っていた巨大なロボットといい、まるで軍艦のようではないか!」


調さ。このラースタチカは人類――――今は太陽系連合と呼ばれている勢力の中でも最も遠くまで飛ぶ船だ。何が起こるかもわからないし、何と戦うことになるかもわからない。乗っているクルーもそれを承知で乗り込んでいる変人ばかりさ」


「変人……? ティオもそうなのか?」


 ラエルノアの説明に、ボタンゼルドはすぐ隣にあるティオの丸いぷにぷにとした横顔を見つめた。


「あ、いえ……実は僕もボタンさんと同じで、偶然この船とラエル艦長に助けて貰ったんです」


「フフ……確かにティオはとても真面目で良い子だからね。他のクルーはだから、彼も気苦労が多いみたいだ。もし良かったらボタン君もティオの友達になってあげて欲しい」


「そうだったのか……! そのように頼まれずとも、俺とティオは共に戦場を駆け抜けた戦友ともだ! 命の恩人でもある! 何があろうともそれが覆ることはない!」


「わぁ……ありがとうございます、ボタンさんっ」


 力強く頷くボタンゼルドに、喜びも露わに破顔はがんするティオ。


 そんな二人を頬杖ほおづえを突きながら眺めるラエルノアだったが、そこにブリッジ前方に座る屈強な浅黒い肌の男性が声をかけてくる。


「ラエルノア、太陽系司令部から救援要請だ。これで三度目だぞ」


「はぁ……またかい? 面倒なことこの上ないねぇ……」


「救援要請だと? どういうことだ?」


 男性のその言葉に、ラエルノアは自身の言葉通り面倒とばかりに天を仰ぐ。

 そしてボタンゼルドの疑問には、彼を肩に乗せたティオが答えた。


「実はここ数日、ずっと太陽系の統合軍から、ラースタチカに助けて欲しいって連絡が来てるんです。でも――――」


。今はに構っている暇はない――――目的地はもう目の前なんだ。何度も言っている通り、私たちはそっちを優先させてもらうよ」


「な、なんだってーーーー!? いくら銀河全体に人類の活動圏が広がっているとはいえ、太陽系や地球は君たちにとっても本国ではないのかっ!?」


 しかしラエルノア。明らかに危急であろうこの最上級指令を華麗にスルー。


 心底どうでも良いとばかりにその白い手をひらひらと振り『せいぜい自分で頑張ることだね』と、完全に他人事である。


「アーッハハハハハハハ! 本国とか故郷とかどーでもいいねッ! このラースタチカはエネルギーも無限だし、食料生成も完璧ッ! 私たちが生きていくには何の不自由もない! 人類が滅びるなんてことは、私が探し求める宇宙の真理に比べれば些細なことなのさ! 滅びるなら勝手に滅びれば良い! それもまた自然淘汰さ!」


「はわわわ……! つ、つまり、その……こんな感じなんです……っ!」


「な……なんということだ……っ!」


 先ほどまでの穏やかで知的な笑みはどこへやら。


 まるで地獄から現れた悪魔のような邪悪な凶相を浮かべて高笑いするラエルノアの姿に、ボタンゼルドは『とんでもない奴に捕まってしまったのかもしれない』と、その丸い顔を戦慄させるのであった――――。

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