脱出ボタンに安らぎを


 ティオと過ごした最後の時間。


 きっとそれは神とも呼べるような存在が、死にゆく自分に見せてくれた最後の夢だったのだろう。ボタンゼルドはそう思った。


 今度こそ本当の終わり。

 思えば、自分でも呆れるほどに戦いだけの人生だった。

 

 これでようやく、誰も殺さなくて済む。

 やっと休める。


 深い安堵あんどと僅かな達成感に包まれ、ゆっくりと意識を手放そうとするボタンゼルド。だがその時である。


 彼の耳に、どこからか聞き覚えのない声が響いた――――。


『うん――――流石は僕が見込んだだけのことはある。ありがとう、別宇宙の到達者アテーナー


 誰だ――――と。


 ボタンゼルドはその声に向かって尋ねようとした。

 だがそれは叶わなかった。

 漆黒の闇の中、ただ音だけがボタンゼルドの耳に届いていた。


『きっとそのうち会うことになる。だから――――それまで僕の子供達をよろしく。どうか、守ってあげてほしい』


 穏やかに響くその声に、反論しようとは思わなかった。

 それは深く、純粋に子の行く末を想う親の声だったからだ。


『じゃあね到達者アテーナー星辰せいしんの重なる時に、また――――』



 ――――――

 ――――

 ―― 

 


「ぬおおおおおおおおおおおおおっ!?」


「おや? どうやらお目覚めのようだね」


「おおおおお――――……お? ここは……!?」


 再び闇から引き戻されたボタンゼルドが見たのは、白い壁面と円筒形の水槽に浮かぶ虹色のクラゲだった。


 そのままきょろきょろと周囲を見回せば、そこには染み一つない白衣をその長身に纏い、金色の長い髪をなびかせた白雪のような肌を持つ美しい女性の姿があった。


「おはようボタン君。私はラエルノア・ノア・ローミオン。この船――――ラースタチカの艦長だ。君のことについては、ティオから大体のことは聞いているよ」


「ティオから……?」


「そうだよ。あの子、突然生身で艦内に戻ってきたと思ったら『ボタンさんを助けて!』ってね。涙まで流していたよ――――君があの子を救ってくれたんだろう? 私からもお礼を言わせて欲しい」


 ラエルノアと名乗った女性はその青い瞳に宿る好奇の色を隠そうともせず、特徴的なを揺らしてボタンゼルドの目の前まで進むと、彼のその金属質の手をつまみ上げ、興奮した様子で吐息を漏らした。


「クク……ッ! やはり君はとても興味深いね…………っ!」


「な、何がだ!?」


「だってそうだろう? 寝ている間に君の全身をスキャンしてみたけど、あるのはただの分子化合物の塊だけ。エネルギーの発生源らしきものも、システム統合用のチップ類も一切無し。あるのはただ一つ、ボタンとして押すことの出来る君の顔だけだ」


「そうなのか!? ならば俺のこの体はなんなのだ!? いや……他にも聞きたいことは山ほどあるんだ! 頼む、教えてくれ! 俺は一体どうなったんだ!?」


「ああ、勿論良いとも。でも焦ってはいけないよ。なにせ私たちが回収した時の君は全身酷い傷で、生きているか死んでいるのかもわからない有様だったんだからね」


 必死にその伸び縮みする両手でラエルノアに詰め寄るボタンゼルド。

 ラエルノアはそんなボタンゼルドに軽やかな笑みを浮かべた。


 そして優雅な所作で立ち上がると、白い室内のテーブルに置かれたポットから、色づいた液体を小さなコップに注いだ。


「紅茶だよ。飲めるかい?」


「わからないが……やってみよう。感謝する! グビグビーーッ!」


「ふむ……液体の嚥下えんかは可能……っと」


 受け取った紅茶をグビグビと一息で飲み干すボタンゼルド。

 ラエルノアはその様子もまた興味深そうにふむふむと頷くと、ボタンゼルドが立つベッドに自身も腰掛けて頬杖ほおづえをついた。

 

「さて……なにから話したら良いかな。私はとても頭が良くてね。まずはお互いの情報を円滑にやり取りするために、前提になるような説明をしてあげたいんだけど――――」


「ならば、まずはここがどこなのかを教えてくれないか? 先ほどティオと共に戦った際に見た宇宙そらの星の輝き――――どれも見たこともない星ばかりだった」


「へぇ……これは驚いた。あれだけの敵に囲まれながら、星図を確認する余裕まであるなんてね。ティオの言っていた通り、ただ者じゃなさそうだ」


 そのボタンゼルドの物言いにラエルノアは関心したように双眸そうぼうを僅かに見開くと、その瞳に浮かぶ好奇の色をますます深くする。そして――――


「なら、君がどこから来たのか当ててあげようか? 君はこことは違う宇宙――――異世界からやってきた異世界人だ。異世界からの使者には転移と転生の二つのパターンがあるけど、どうやら君は後者――――なぜなら、本来の肉体を失っているからね」


「異世界、転生……だと?」


「そう、私が異世界からやって来た生命体と出会うのは、だ」


 ラエルノアはそう言ってその美貌に品定めするような笑みを浮かべると、わざとらしく首を傾げ、両手を広げてボタンゼルドに告げる。


「私たちの宇宙にようこそ、異世界転生者ボタンゼルド・ラティスレーダー。私たちラースタチカのクルーは、君を歓迎する」



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