7日目 開放の時は近し ①

「週末はお二人でナニしてたんですか?」

 出勤早々、平木田さんが僕たち、というか僕をイジってきた。

「大したことしてないわよ。みなとみらい近辺で遊んだり、部屋でテレビを観たり」

「そうですかぁ」

 中条さんの回答を聞いた平木田さんは自席で頬杖をついて淡白な反応を示した。期待していた回答ではなかったようだ。

「クレープの食べさせ合いもしたわね」

 食べさせ合いと聞いた瞬間、平木田さんが身を乗り出してすごい勢いで顔を僕に向けてきた。

「そ、それって間接キ――」

「ゴホン、平木田仕事しな」

 当直明けだけどまだ交番にいる平林所長が平木田さんに注意した。

「でもでも、大事な話じゃないですかぁ? 蓑田さんの貞操的な意味合いで」

「えっ貞操奪われるの僕なの??」

 まさかの僕が迫られる側だったとは。確かに仕事モードの中条さんのイメージだと彼女が攻めでもなんら違和感はないけど、プライベートモードも知ってしまっている身としては腑に落ちない部分はある。

 しかし、昨晩のお誘いの件があったのであながち間違ってはいないのかもしれない。

「ははっ、それはともかく」

 興奮状態の新人巡査の主張をスルーした平林所長は僕に温和な笑みを浮かべた。

「蓑田君はすごいね。たった一週間弱で、中条が普段表には見せない様々な一面を引き出しているんだろう?」

「そう、なんですかね……」

 寝顔、すっぴん、メイクするところ――彼女の日常生活はもちろん、家庭事情のあれこれや悩みについても僕は特等席から聴かせてもらった。

 もちろんトイレ中や入浴中のあられもない姿は一切見ていない。そこ一点だけは自分を褒めたたえてあげたい! 末代まで語り継がせたい! 健全な男子大学生としては偉業を成し遂げている!

 ……ラブコメ主人公ならば敗退行為になるんだけどね。

「僕が言わんとすることは分かるね?」

「分かりません」

 言葉が足りなすぎて全く分からない。役得を味わってると言いたいのかな?

「まぁいいか。それにしても日々悪いね。早く大学行きたいでしょ」

「まだ春休みですから大丈夫ですよ」

 実はあとひと月手錠が外れません、だとさすがに困っちゃうけど。

「…………むぅ」

 平木田さんは唇を尖らせて僕たちの会話を面白くなさそうな顔で聞いていた。

「さてと。申し訳ないけど立番たちばんするから蓑田君も手伝って」

「了解です」

 中条さんと交番の外に出た、

 ――その瞬間。


「ああ、中条さん! パチンコ屋の裏道で男子高校生が取っ組み合いの喧嘩してます!」


 慌てた様子で中条さんの元へとやってきたのはスーツ姿の壮年の男性。

「落ち着いてください。詳しく教えてもらえますか?」

「二人でタイマンみたいなことをしてて――周りも止められる雰囲気じゃなくて」

 中条さんは男性の証言を手帳にメモした。その仕草だけでも真摯しんしな姿勢が伝わってくる。男性も気持ちが落ち着くことだろう。

「了解です。ご報告感謝します! 今すぐ現場まで向かいます」

 スーツの男性に敬礼した中条さんとともに現場へと向かう。

「――です。えぇ。はい、はい」

 中条さんは現場へと向かう途中で誰かに電話していた。

「パトロール中の村上さんにも報告しておいたわ」

 警察官とはいえ、女性の中条さん+戦力外の僕だけでは血気盛んな男子高校生同士の喧嘩を仲裁するには心もとない。

「村上さんもいてくれるならどうにか仲裁できそうですね」

「……うーん、どうかな」

 中条さんは顔を引きつらせて返答に困っている。

「彼、武道も喧嘩もかなり弱いから、喧嘩対応では頼りにならないのよ」

「そんなバカな」

 警察官なのに? それでどうやって警察学校を乗り越えたのか?

「村上さんの強みは武力ではなくて、情報収集と近隣住民との良好な関係の維持だからね」

 確かに村上さんはお喋りな人だから住民と関係を築くのは得意そうだ。

 早歩きで現場まで到着した。交番から徒歩数分の距離なので、乗り物よりもむしろ歩きの方が早く到着できる。


「てめぇ半殺しにしてやらぁ!」

「それはこっちの台詞だよ!」


 男子高校生二人が怒号を上げて殴り合いをしていた。お互いの鼻や口元からは血が流れている。

 ひょえー。リアルなガチ喧嘩を間近で見たのは生まれて初めてだけど、実に生々しい。

 実際に人の顔を殴る音は鈍く低い音で、ほとんど聞き取れないボリュームだ。ドラマとかとは大違いだ。あちらは臨場感をかもし出すために派手なエフェクト音が使われているんだと知った。

「ふ、二人とも落ち着いてくださいッス! 話は交番で聞きますから。暴力では何も解決できないッスよ!」

 村上さんが喧嘩する二人の間に立って仲裁しているけど、

「っせーな! サツが邪魔すんじゃねーよ!」

「そうですよ! 僕らはマジでやりあってるんで引っ込んでてください!」

 村上さんの説得も虚しく二人とも全くボルテージが下がらない。それどころか邪魔な村上さんの身体を二人揃って張り手で押し合う形でサンドバッグ状態にしている。

 高校生について。片方は学ランを着た茶色トゲトゲの髪が目立つワイルドなヤンキー男子で、もう片方はブレザーを着た知的な眼鏡男子。二人とも長身だ。

 お互いに交わることなどなさそうな正反対の二人だけど、何の因果かマジの殴り合いをしている。

「そこの二人、やめなさい! いい加減にしないと許さないわよ!」

 中条さんの澄んだ声に二人は動きを停止させるも、

「んだよ、またサツ追加かよ」

「邪魔者が次々と増えるな……」

 中条さんの静止に二人ともうんざりした表情で睨みつけてくる。

 おいおい、この人たち警察が怖くないのか? 補導が怖くないのか!? 僕と数歳しか離れていないのに肝が据わった怖い物知らずだなぁ。若さゆえのたぎる想いってヤツなのか?

「サツ女が余計な口挟むんじゃねー! 怪我してぇのか!?」

「ここはあなたの出る幕ではありません!」

「うわっ!? ちょちょ、暴力はいかんッスよ! 青春を何か勘違いしてないッスか!?」

 二人は中条さんの警告にも一切動じず、村上さんを突き飛ばして喧嘩を続行させた。

「――そう。なら仕方ないわね」

 中条さんは今までに聞いたことがない重く低い声で呟いた。

「蓑田君、お手数をかけるわ」

 彼女は二人の元まで向かうが、彼らは喧嘩相手しか視界に映っていないようで、中条さんついでに僕の接近に気づく様子はない。

「――おわっと!?」

「いてっ!」

 中条さんは右手一つでヤンキー君の腕の関節を掴み、その身体を眼鏡君へと投げ飛ばした!

 ヤンキー君が眼鏡君の背中にもたれかかるように二人地面に倒れた。

「警察官たるもの、武道を心得ていて当然よ」

 すごい。女性警察官すごい。

「さっすが中条さんッス! 正義のヒロインは無敵ッス!」

 あなたはそれでいいんですか、村上さん……。

「さてと。二人仲良く交番まで来てもらうわよ」

 中条さんは二人に村上さんが運転していたミニパトに乗り込むよう促す。

 徒歩で行ける距離だけど、ミニパトに閉じ込めることで逃亡しにくくする効果がある。

 彼らに手錠を使わないのは、まぁ大人の事情があるのだろう。

 二人は逆らっても勝ち目がないと察したのか、抵抗せずに素直にミニパトへと乗り込んだ。

「村上さん、お手数ですが交番までお願いします」

「中条さんに頼まれた日にゃ交番どころかたとえ火の中水の中、女子高生のスカートの中!」

「私関係なく要請を受けたら普通に来てください……」

「というか、女子高生のスカートの中は完全にアウトですよ」

 僕に疑いがかかったわいせつ行為そのものですよ。

「二人とも、交番で頭を冷やしなさい。冷静になって言葉で主張してみましょう」

 中条さんが優しい声音こわねで高校生をさとすけど、二人とも無反応だ。

 二人は今、何を思っているのか。

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