6日目 いづみさんの気持ち ③

    ◇


 テレビ番組をぼうっと眺めながら私は考える。

 すぐ隣では蓑田君がテレビに視線を送っている。

 鶴見つるみ美術びじゅつ大学だいがくに通う、四つ年下の男の子。

 華こそないけれど、私に安心感と温かな心を与えてくれる存在。

 最近、蓑田君と一緒にいると、すごくドキドキする。なぜだろうか。

 ――って、なぜも何もないか。なぜなら私は。

 私は、蓑田君のことが好き。

 初恋って形になるので確たる根拠はないけれど、きっと、そうなのだろう。否定する材料がない。

 彼は淡白な雰囲気を出しておきながら、いつでも私に寄り添って、身を案じてくれる。私が立ち止まった時は叱咤激励しったげきれいしてくれる。

海野うみの美波みなみさんの時は、引っ張ってもらって男らしいと思ったなぁ)

 それに、私の選んだ道を認めて肯定してくれた。

 妙な下心もほとんど感じず、一緒にいると安心する。

 私の素性すじょうを知っても強く食いついてくることもなかった。私の実家事情を知った人はお金目当てですり寄ってくる人もいたけど、彼はお金に反応しなかった。

 それは――彼にはお金よりも大切な夢があるから。

 明確で素敵な夢と、理解のある円満なご家族。ともに私にはないものを持っている。

 そう、彼は人がいいのよ。怪しい壺を買わされないか心配。

 当初はそんなタイプではないと思ってたんだけど、一緒に過ごしていくうちに認識を改めた。

 元々は私のやらかしからはじまった奇妙な同棲生活。

 手錠のせいで着替えもお風呂もお料理も――あらゆることが満足にできないけれど、それは全て私が悪い。

 そんな後ろめたさがあるので、もし、もしもだけど、蓑田君が私を求めてきたら拒否できなかった。

 もちろん手錠がプロテクターになっていて、最後までいたすのは至難の業だけれど、しようと思えばかろうじてできてしまう。

 しょ、処女だけど、蓑田君相手ならば捧げてしまったことだろう……。

 けれど、彼は一切私を求めてはこない。

 私に女としての魅力が全くないのかな? キ、キスくらいなら全然いいのにと……若干ショックもあったけど、何よりも誠実で私を思ってくれる姿勢に私は知らず知らずのうちに恋慕れんぼの情を抱いてしまった。

 きっと彼も私が隣にいてドキドキしてくれているはずだ。今は慣れたのか夜は平然と寝てるのが不満ではあるけれど。

 私は逆だ。はじめは義務感で一緒にいたので割り切って寝ていた。寝ている最中に迫られたら応じるつもりもあった。

 けれど段々と彼に対する気持ちが芽生えていって、育まれていった。今では緊張と高揚感でなかなか寝付けない。

 だから一昨日の夜に蓑田君が呟いた言葉にビックリとドキドキが同時に来た。

(私を心配してくれて、嬉しい……)

 いずれはこの奇妙な生活も終わる。彼のことをおもんばかるならば、むしろ早めに解放するべきだ。

 べきなのだけれど――本音は奇妙な生活が幕を閉じても、かけがえのない彼との生活に終止符は打ちたくない。蓑田君を手放したくない。

 手錠が外れてしまえば――彼との関係はどうなるの?

 彼は今まで通りの大学生活に戻るだけだけど、当然会える機会も減る。

 大学で蓑田君の魅力に気づいた他の女の子が現れたら?

 私と蓑田君は四歳離れている。彼も男性だ。若い女の子の方がいいに決まっている。私に勝ち目などない。

(うぅ~――はぁ)

 考えれば考えるほど、不安の雲が私の思考をマイナス方向に引っ張ってくる。

 ダメだ、どうしてもバッドエンドが浮かんでしまう。

 私が彼を射止めるには、どうすれば――

(違うでしょ、私)

 蓑田君とお付き合いしたい。それは紛れもない本心だし欲求だけれど、まずは仕事!

 彼も言ってたでしょ。完璧を求めすぎずに、誤認逮捕の失敗を気にしすぎないように。

 恋愛云々について考えるのは、一人前に仕事できるようになってから!

 ……そう自分を奮い立たせてみるも、隣にいる男の子のことがどうしても頭から離れない。

 手錠がなくなっても一緒にいられればいいのに。手錠から解放されても、手と手で繋がりたい。心と心で繋がりたい。離したくないよ。誰にも取られたくないよ。

 彼と――恋人になりたいよ。

 けど昨夜、彼は告白してくれるのかと思ってたけど「戦友」と宣告された。脈はあると思ってたけどないのかなぁ。だとしたらヘコむなぁ。

 はぁ、私はいつからこんなになってしまったのか。

 想い人ができて、その人の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくに舞い上がったり不安になるようになってしまったのだろうか。

 こうなった責任――は、元々私のミスが発端だから、私が取ろう。

 だから。

 ずっと側にいてよ――利己君。

 私にも、あなたを支える権利をください。


    ◆


 結局この日は一日中部屋でのんびり過ごした。

 テレビ番組を観たり、邦画を観たりして時間を潰した。

 休日はあっという間に過ぎ去り、就寝時間がやってきた。

「ね、蓑田君」

「なんでしょう?」

 僕を呼ぶ中条さんは右側を向いており、表情は見えない。

「――この鎖が外れて自由の身になっても、私と仲良くしてくれる?」

 仲良く――そんなの、考えるまでもない。

「もちろんですよ。僕でよければいつだって、いつまでも」

 それは恋人的な意味での質問ではなくて、パートナー的な、友人のような意味合いだろう。

 僕としてはそれ以上の関係になりたい想いはあるけど、中条さんが望むならまずはそこからはじめたい。

「ふふっ、ありがと」

 僕の回答にご満足いただけたようで、中条さんは仰向けになって目を閉じた。

 ううっ、柔らかそうな薄桃色の唇に目が釘付けになってしまう。

 僕もなんやかんやで男だなぁ。

「なーんて」

「わあっ!?」

 突然、つむったはずの中条さんの目がぱちりと乱暴に開いた。

「め、目をつむったフリしてたんですか!?」

 狼狽うろたえる僕に悪ガキのような笑顔を見せて、

「蓑田君の卑しくも熱い視線を感じたのだ」

 自らの唇を指でなぞって述べた。

 いやぁ、心臓に悪い。変なこと考えてた僕が悪いんだけど。

「だったらさ――」

 中条さんは布団をはいで続ける。

「わいせつ容疑で連行した身の私がこんなこと言うのもあれだけど」

 僕の頬に右手を添えて、

「本当に、わいせつを犯してみる?」

 実に魅惑的な提案をしてきた。

「私にはわいせつなことしても、そ、その、蓑田君なら……」

 中条さんは真っ赤な顔でしどろもどろになりながら誘ってくる。

 僕の劣情れつじょうが燃え盛りそうになるけど、今はぐっとこらえる。

「そういうのは、好き同士でするべきです」

「………………」

 はっきりと、堂々と断りを入れた。

「大変魅力的なお誘いですが、今の関係ではやめておきましょう。想いがあるなら、手錠が外れたその時にでもお互いぶつけ合いましょう」

 先延ばし感が半端ないし据え膳を食わなかった甲斐性なしの回答だけど、お互いが心で繋がってるか分からない今、することはできない。

 古臭いかもしれないけど、僕は恋人だけを抱きたい。

 だからこそ、中条さんに今すぐにでも告白したいところだけど、今の状況では色々ともつれることは必至。縛りが消えるまでは我慢だ。

 予定ではあと数日で手錠の合鍵ができるはず。

 それが完成して手錠が外れたら――僕は中条さんに告白する!

「そう、ね。ごめんね、おかしなこと言って」

「いえ、嬉しいです。本当に嬉しいですよ」

 僕の気持ちに嘘偽りはない。

「ね、もしこのまま手錠が外れないとしたらさ、どうする?」

「中条さんと一緒なのは光栄ですけど、着替えとか生活で困りますね……」

 生活の制限が多いのは困る。大学だってあるし。

 そこで会話は途切れ、僕の意識は遠のいていった。


    ◇


(蓑田君、今日も先に寝ちゃった)

 想い人の寝顔を見てにやけてしまう。頬が緩んでいるのが自分でもよく分かる。

(ふふっ、可愛い寝顔)

 いつまでも眺めていられるな。これで蓑田君もさっきの私のように目をつむってるふりをしていたら、私は穴にでもなんにでも入るわ。

 大好きな人の頭を撫でる。彼がしてくれたように。愛情を込めて撫でる。

(さっきは勇気を振り絞って誘ったのに、本当真面目なんだから……)

 さっきのことに僅かながら不満もあるけれど――と。

 ここで一通のメールが届いた。

(坂町警部からだ……)

 内容を確認すると。

(――っ)

 それは私に現状維持を許さぬ宣告だった。

 いや、これでいいじゃない。

 これで、止まった時間は再び動き出す――

(…………はぁ)

 けれど、突きつけられた現実に、私の心に暗雲あんうんが立ち込める事態は避けられなかった。

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