3日目 任務は徒然なるままに ②

「ところで中条ちゃん。そっちの子は――」

 視線からは手錠への警戒心はない。単純に興味本位で尋ねている。

「彼氏かい?」

 佐々木さんはみなまで言うな的な声音こわねでドヤ顔してるけど、不正解なんだよなぁ。

「ち、違うわよ。諸事情あってこの状態なの」

 中条さんは手錠を見せてかいつまんで説明した。

「ほうほう。そりゃあご褒美だね、少年」

「ご褒美ですか」

「そりゃそうだよ。こんな綺麗でいいとこのとゼロ距離で一緒にいられるんだ。役得以外の何物でもないよ。いやぁラブコメだねぇ」

 それは僕も感じていることだ。ってか佐々木さんラブコメって言葉よく知ってたな。

 それはそうと、いいとこ――?

「あの、いいとこ、とは――」

「ゴホン! そろそろ行かないと。じゃあね、おばあちゃん」

「あぁ、お仕事頑張りなよ」

 実に不自然な咳払いをした中条さんはパトロールを強行再開させた。

 僕の質問を強引に切ったことから彼女的に触れてほしくない話題と見た。ならば食い下がって聞き続けることもない。

「雑談だけで結構時間を潰してしまいましたけど平気ですか?」

「住民の方々と交流を深めるのも大切な仕事よ。他愛のない会話を繰り返すことで信頼関係が築けて業務の遂行も円滑に進められるようになるの」

 どこで何が繋がるか分からないもんね。信頼関係があれば、聞き込みなどの調査にも好意的に協力してもらえることだろう。

「それになにより、警察官の仕事は人々から笑顔を消さないことだからね」

 中条さんは真剣な面持ちで語った。

「ずいぶんと気を張られていますね」

「町の安全や人命に関わる仕事だもの。当然よ」

 おっしゃる通り、当然っちゃ当然ではあるんだけども。

 ただ、張り詰めすぎていないか心配になる――

「あっ、ちょっとちょっと中条さん!」

 僕が中条さんの身を案じていると、四十代くらいのエプロン姿の中年男性が中条さんの姿を見るや否や声をかけてきた。飲食店の人っぽい。

「さっき鶴見つるみ新町しんまちで怪しい奴を見たんだよ。サングラスと黒マスクで顔を隠してて、辺りをウロウロキョロキョロしてんの」

 あからさまに怪しいな。疑わしきは罰せずだけど確認する必要はある。

「……確かに不審ですね。承知しました。近場まで様子を見に行きます」

 中条さんはおごそかに頷くと、現場へと歩を進める。

 その表情は心なしか強張っている。

「何か思うところがあるんですか?」

「いえ、何もないわ」

 こうして移動している最中も彼女の表情は硬く、会話もほとんどない。

 不審者が事件を引き起こす危険性もあるので硬くてしかるべきではあるのだろうけど。

 鶴見新町つるみしんまちに到着し、辺りに視線を回してみると。

「――あの人ね」

「見るからに怪しいですね」

「いつ通報されてもおかしくない身なりだわ」

 ニット帽。サングラス。黒マスク。腕から手までに至る全てを覆う萌え袖のカーディガン。

 髪も肌も隠していて怪しさ満点じゃないか。

 特定の範囲を行ったり来たりしており、また、しきりに辺りをキョロキョロしている。

 おじさんの証言通り、見た目だけでも百%怪しいし、行動も不審そのものだ。

「………………」

 中条さんはその場から奴を見つめるだけだ。その瞳は揺れている。

熟考じゅっこうしてるのかな)

 ――いや、違う。

 身体の重心も後ろに寄っている。皮肉にも手錠の鎖のおかげで僕は彼女の心理を感じ取ることができた。

「……あの、声かけないんですか」

「……そうね。職務質問しないと」

 しかし、中条さんは動かぬまま。

「………………っ」

「――中条さん!!」

「み、蓑田君……!?」

 少々手荒だけど、僕は右手を動かして中条さんの左手首を引っ張った。

「事件が起きてからでは遅いです。事件じゃなければそれでよし。怪しげな人物への声がけは警察官だからこそできる――いえ、必要不可欠な手段です」

 中条さんは目を見開いて僕の怒気をはらんだ説得を聞いていたけど、やがて気を引き締めるように口元を結んだ。

「……そうね、ありがとう。少しぼうっとしちゃった」

 ぼうっと、ね。

 果たして、本当だろうか。

「――警察です。少々お話よろしいでしょうか」

 中条さんは警察手帳を見せて不審者に話しかけた。

「――っ!」

 不審者は中条さんの身なりと警察手帳にビクつくが、逃げようとはしない。

「……はい。大丈夫ですよ」

 ――ん?

(女声……?)

 飛び出した声はソプラノ声域くらいに高く、かつ柔らかかった。

「この周辺をウロウロされてますけど、どうかされましたか?」

「そ、それは……」

 中条さんの質問に、不審者は答えるべきか迷っているのか、身体がかすかに揺れている。

「言いづらいことでも?」

「言いにくいと言いますか、行動に躊躇ちゅうちょしていると言いますか……」

 不審者は声を震わせている上に歯切れが悪い。

「行動? 何をしようとしてるのかしら?」

「べ、別に悪いことでは」

 と、ここで不審者の顔が僕に向いて、

「ところで、あなたは?」

 彼女(?)は何度聞かれたかも分からぬ質問をぶつけてきた。

「僕は中条巡査の助手です」

「そ、そうですか」

 不審者の表情はサングラスとマスクで隠れてて分からないけど、恐らく手錠と僕らを見て困惑しているのだろう。

 ……この手のやりとりもあと何十回あるんだろうな。

「僕らはあなたを心配して声がけしたんですよ。昨今はなにかと物騒ですからね。あなたが何かしらの事件に巻き込まれていないか気がかりなんです」

 僕は不審者の警戒を解くべく寄り添う言い回しで話しかけてみた。人畜無害なモブキャラだからこそ効くわざだ。

「いえ、事件なんてなにも」

 不審者はそう話すとニット帽を外した。

 ふわりとウェーブがかかった茶のロングヘアーが姿を現した。

 サングラス、マスクも外す。長いまつ毛、リップが塗られた唇。

 やっぱり女性だったんだ――――って、あれ!?

「も、もしや女優の海野うみの美波みなみさんですか!?」

 この女性は有名若手女優、海野うみの美波みなみさんだ。演技力に定評がある、期待の若手女優だ。飾らない性格とストイックな役作りで人気はうなぎのぼり。

「しっ……!」

 僕が驚きのあまり大きな声を出すと、海野さんは咄嗟とっさに僕の口を手で塞いできた。

「海野さんがどうしてこんなところでウロウロと?」

 中条さんは表情を緩めずに鋭い瞳で海野さんに問うた。

 著名人なので変装していたのはまだ分かる。けれど、この辺をウロウロと動き回っていた理由が明かされていない。

「あのお店に入るか、ずっと躊躇ちゅうちょしていて……」

 彼女が指差す先には――

「『激甘パンケーキの店』?」

 僕が口にした通り、パンケーキのお店があった。

「あのお店ね、ネットの評判がよかったから一度自分の舌で味わってみたかったの」

「なるほど、行動原理は分かりました」

 中条さんは軽く頷いたものの、再度海野さんを見やった。

「けれど、入るのを躊躇ためらっているのはどうして?」

 視線が交錯こうさくすると、海野さんは恥ずかしそうに目を逸らして、

「だって、マスク外したら正体がバレちゃうかもしれないじゃない」

 海野さんは著名人なのだ。正体がバレてしまったら軽い騒ぎが起きてしまう。

「口だけならバレないのでは……」

 唇の形と注文時の声だけならばそうそうバレないと思うけど。

「ちっちっ、君は分かってないね。世の中鋭い人はいるの。特に女の人は勘がいいんだよ」

 海野さんは僕に人差し指を振ってドヤ顔で説明した。急に親しげになったな。

「テイクアウトならさすがにバレないのでは?」

「できたてが食べたいのよ!」

 海野さんは拳を強く握って言い切った。

 そこにこだわるのね。まぁ気持ちは分かる。いかなる料理もできたてが一番だ。温かい料理に限らずね。

「私から、いいかしら?」

 僕と海野さんの会話を聞いていた中条さんが右手を軽く挙げた。

「ニット帽で髪型は隠せている。この時点で個人の特定は難しいわ。だから、サングラスじゃなくて普通の伊達眼鏡でも十分カモフラージュできるんじゃないかしら」

 ニット帽にサングラス、マスクでは不審者度合いが半端じゃない。中条さんのおっしゃる通り、サングラスを伊達眼鏡にチェンジすれば不要な職務質問を受けずに済むし、周囲に正体がバレる可能性も低いままだ。

「……確かにそうよね。百均で伊達眼鏡買ってこよっと! ありがとうございましたー!」

 海野さんは僕たちに会釈をすると、商店街の方へと駆けていった。

 売れっ子若手女優なのに気取った感じがなくて親しみやすそうな人だったなぁ。それも含めて女優海野美波の魅力なんだろうなぁ。

「人騒がせな人でしたけど、何事もなくてよかったですね」

「……そうね」

 事件性がないことが分かったわけだけど、中条さんの表情は冴えない。

 声がけする時もアクションを起こすのに躊躇ちゅうちょしていた。

 結果、行動までワンテンポ遅くなっていた。

 逮捕するわけじゃないんだ。職質程度なら必要以上に気にする必要もないのに……。

(まさか、中条さんは――)

「さっきは助かったわ。私のケツを叩いてくれてありがとう」

「いえ、助手として当然のことをしたまでですから」

 中条さんが話しかけてきたことで、僕の思考は強制的に止められた。

 ケツを叩くという表現は無用な誤解を生みそうなので控えていただきたいですけどね。

 その後、交番に戻り事務処理をはじめた彼女はいつも通りだった。

 そのまま定時を迎えた。


    ◆


 夜。

 帰宅後のルーティンも多少は慣れてきた僕たちは特にイベントもなくベッドに潜り込んだ。

 中条さんは既に寝ている。

 僕を男として一切見ておらず警戒されていないからだろうけど、彼女がちゃんと安眠できて疲れを癒せてるなら僕の不眠など些細な問題だ。

 ……さすがに数日連続で不眠は心身にきついけど。

「んぅ……蓑田、君……」

「はい――なんだ、寝言か……」

 急に呼ばれたので中条さんの顔を見たけど安眠を解いていなかった。

 けど。

 僕の名を呼んで切なそうな表情をしている中条さん。

(ど、どんな夢を見てるんだー!?)

 僕の煩悩は膨らむ一方で、対照的に睡魔はしぼんで消え果ててしまった。

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