2日目 いづみお姉さんとの同棲生活 ④

    ◆


「雰囲気のいい交番ですね」

「そうね。働きやすいとは思うわ」

「あれ、でも」

 と、ここで気になったことが。

「今日の当直明けが村上さんって話でしたけど、誰が非番なんですか?」

「平林所長だけど、普通に働いてるわね。たまにそんな時もあるのよ。身体的には結構キツいけどね」

 激務だなぁ。所長のような責任が重い立場だと気苦労も多そうだ。

「それはそれとして。日常品を買い揃えないとね」

 やってきたのは鶴見つるみ駅近辺にあるディスカウントストア。

 中条さんいわく、桜木町さくらぎちょう周りは物価が高いので鶴見つるみで買った方が安くつくとのこと。

 確かに鶴見つるみはともかく桜木町さくらぎちょうやみなとみらいはお高いイメージがある。

「冷食シリーズは捨てがたいわね」

 中条さんは買い物かごに商品を手際よく入れていく。

 食料品、僕用の歯ブラシ、歯磨き粉、ズボン、下着、靴下、枕、風呂道具、洗顔料、タオル。

 もっぱら僕はカートを押す係だ。

 それだけなら普通の男女なんだけど、がっつりと見える手錠が周囲からの奇異の視線を生み出す。

「蓑田君は欲しいものある?」

 もっとも、中条さんは周囲の視線なんて気にする素振りはないんだけれど。

「うーん、特には」

 この買い物自体が僕のためのイベントだしね。

「今日のご褒美を与えようぞ。なんなりと要求せよ」

「いえ、結構です」

 僕は欲が少ない人間なのだ。スローライフが送れればそれでいい。

「ぶう。そこは素直にチョコが食べたいでーすとか、あのレアチーズケーキがいいでーすとか甘えてくれないと」

「ご褒美を与える側が要求してくるんですか」

 中条さんは頬を膨らませて抗議してくるけど、僕はどうにも腑に落ちない。

「蓑田君も少しは心を開いてくれてもいいんだよ?」

「……数日間で終わる間柄の人とそこまで親密な関係にはなりませんよ。それにちょっとは男の僕を警戒してください」

 僕はか細い声を絞り出して返答した。

 誰かと距離を縮めるすべを知らない僕には心を開くだなんて難易度ベリーハードだ。

「こうなってしまった以上は仕方ないじゃない。せっかくだから仲良く一緒に過ごしましょ」

「そう、ですよね」

 場が凍りかねない僕の物言いにも笑顔を崩さない中条さんに白旗を上げた。

 ギスギスした雰囲気で過ごすよりは楽しく過ごすに越したことはない。

 買い物を終えた僕たちは中条さんが住むマンションへと帰路についた。

 なお買い物の代金は全て中条さんが支払ってくれたので、代わりに僕は買った荷物を全て持つことにした。


    ◆


「お邪魔しまーす……」

「今はあなたの部屋でもあるんだから、挨拶も遠慮もいらないわ」

 今日も中条さんの部屋にお邪魔する。

「はー、今日も疲れたぁ」

「お疲れ様でした、中条さん」

「蓑田君こそ」

 ちなみに中条さんは僕がついている間は土日休みだ。本来警察官には曜日は関係ないけど、面々のご厚意によって土日休みが実現した。

 昨夜同様、中条さんにあーんしてもらって晩飯を食べて二人でリビングのソファに座る。

 帰宅したことで中条さんはリラックスしているけど、僕としてはここからが本番だ。

 中条さんハウスでお世話になるにあたり、問題はまだある。

「その、お、お風呂は、どうしましょうか?」

 そのうちの一つがお風呂だ。

 当然、別々で入浴はできない。一緒に入浴するか、二人とも入浴しないかの二択しかない。

 まだ桜の季節でそこまで気温が高くないとはいえ、何日も入らないわけにはいかない。特に中条さんは女性だし、気になる事案だろう。

「あら、そんなに私と一緒に入りたいの?」

 中条さんはからかうような声音こわねで聞き返してきた。

「……さすがに二日続けて入らないとなると、臭いが気になるでしょう」

 からかわれても僕には上手い返しは思いつかない。つまらない人間で申し訳ない。

「有事よ。一緒に入りましょう」

「は、はい」

 一緒に入浴する展開は想定こそしてたけど、確定するとさすがに緊張してくる。

「上は脱げないからそのままで、下だけ脱いで一緒に入りましょう」

「了解、です」

 洗面所で脱衣をはじめる。

 すぐ横で衣擦きぬずれの音が聞こえてくるのがなまめかしい。

(決して見てはいけない――僕の理性よ、戦え! 耐え抜くんだ!)

「じゃ、入りましょうか」

 男としての試練を受けている気持ちでひたすら悶々もんもんとしていると、中条さんが声をかけてきた。

 心なしか彼女の声がうわずっている。女性だし、僕よりも遥かに緊張していることだろう。

 浴室に入る。そこそこ広い浴槽は二人で入る分には問題ない。

 問題はそこではない。僕は、このひとときを無事に乗り越えられるだろうか。

 二人でゆっくりと浴槽に浸かる。

 手錠の鎖部分数センチの感覚を開けて背を向け合った。

 中条さんが一緒なせいか、元々の浴室がそうなのか、優しく上品な香りが漂っている。

 僕はひたすら目をつむって中条さんの一切をシャットアウトしている。ここでチラ見できるほど、僕は度胸溢れる三枚目キャラではない。

「上半身だけ服を着たままだと、あまり気持ちよくないね」

「ですね」

 半裸で入浴だなんて、人生で経験するとは思わなかった。

「不便させてしまってごめんね」

「僕は気にしてません。だから中条さんも気にしないでください」

 中条さんは何かある度に謝ってくる。責任を感じているんだろうけど、卑屈になる必要は全くない。

「蓑田君は、本当に優しいね……」

「僕はただ、中条さんには自信を失ってほしくないだけです」

 凛々しくて、きりっとしてて、気高くて、生真面目な貴女のままでいてほしいだけなんですよ。

「……ありがとう」

 その声はとても儚くて、ちょっとでも雑音があれば掻き消えていたかもしれない。

 その後、お互いに片手で頭と体を洗ってシャワーで泡を流して浴室をあとにした。

 洗面所で頭と体を拭いて衣類を身にまとう。中条さんは髪にドライヤーをかけた。

 上半身は服のまま入浴したので水を吸っている。

 やむを得ないのでリビングの暖房に当たって乾くまで待ち、ある程度乾いたところで防臭スプレーをまいた。

 長くてあと一週間くらいは上半身が着替えられないというのは衛生的にも精神的にもキツイものがあるな。

 最悪僕はいいとしても、中条さんが平気なはずがない。

 トイレも片方が催した際にはもう片方も三種の神器を手に道連れで入る他ない。

 中条さんに洗濯ばさみは酷なので、手で鼻を押さえていただくことに。

 着替えは下半身のみ、お互いに着替え中の相手を見ない条件で毎日行うことになった。

「そろそろ寝よっか」

「そうですね」

 響きだけ聞くとお誘いを受けていると勘違いするけど、言葉の意味そのままだ。

 今日も適当にテレビ番組を観ているうちに就寝時間となった。

「そういえば」

 二人ベッドに潜り込んだタイミングで、思い出したように中条さんが問うてきた。

「蓑田君は、今まで何人の女性と付き合ってきたの?」

 ……一瞬、平木田さんのニヤニヤ顔を思い出してしまったぞ。

「……付き合ったことはありません」

 見栄を張るのも下らないので嘘偽りなく回答する。

「ふぅん、そうなんだ……」

 中条さんは息を漏らす。

「中条さんは、さぞかしモテるのでは?」

 僕とは違って才色兼備で優しい中条さんがモテないはずがない。

「そんなことないわ。小中高大と女子校だったしね。私も彼氏できたことない」

「そうだったんですか……もったいない」

 あなたが魅力を披露する舞台が用意されていなかっただけです。共学に通っていれば、すぐさま男どもが群がってたに違いない。

「共学だったら絶対にモテてましたよ、中条さんは」

 とにもかくにも、今彼氏がいないのは助かった。……もしいたら、今の僕の有様は彼氏から糾弾きゅうだんされる恐れがある。

「――蓑田君こそモテそうなのにな……私は、アリだけど……」

「すみません、後半聞こえませんでした」

 段々と声量が小さくなってゆく中条さんの話は後半部分が聞き取れなかった。

「なんでもないよー。んじゃ、おやすみ」

「お、おやすみなさい」

 強引に話を打ち切った中条さんは首元まで毛布をかけて目をつむった。

「寝てる隙にちょっかい出さないでね」

「それはこちらの台詞です」

 昨夜のあれこれはもうお忘れで?

「あ、あれはそう、事故よ! 水に流しましょう」

 水に流す権利があるのは僕の方かと。

 そんなこんなで僕も目をつむること一時間ほど。

 やっと睡魔が僕を迎えに来てくれた。

「すぅ、んん……」

 中条さんは既に眠っており、穏やかな寝息を立てている。

 寝顔をついチラ見してしまうが、何度見ても可愛い。普段は凛々しくて美しい女性の無防備な姿にはそそられるものがある。油断していると視線が釘付けになってしまう。

「うぅん……」

 えぇ~。

 中条さんの必殺技が今宵も炸裂。

 寝ぼけて僕の手を握ってきた。

 白くて、小さくて、温かくて、もちもちと柔らかな手が、僕の手と重なっている。

 こんなん眠れるはずないでしょうが~!

「んふふ……」

 僕の手を握る中条さんは赤ん坊のような無垢な笑みを浮かべている。

(マジか……)

 睡魔は一瞬のうちに雲散霧消うんさんむしょうして行方不明になってしまった。

 とはいえ、それで起こすのも失礼だし、このまま耐え抜くしかない。

 こりゃ今日も長い夜になるな。

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