夏空と溶けるアイスと恋心

雨宮悠理

夏空と溶けるアイスと恋心

 それは肌がヒリつくほどに暑い夏の日だった。

 蝉は忙しなく鳴き続け、自分の存在を切にアピールしているようだった。

 来週に試合を控えたテニス部は週末にも関わらず、いつにも増して厳しい練習メニューをこなしていた。

 地獄の練習をこなした後、女子テニス部のベンチに見知った顔を見かけた俺はベンチの方へと歩いて行く。


「お疲れ、麻里奈まりな


「あ、みっちゃん! お疲れ様〜」


 健康的に肌を焦がしたポニーテールの女子生徒がパタパタと手を振った。

 彼女、高須たかす麻里奈とは幼馴染で小学生の時から高校に入るまでずっと一緒の腐れ縁だ。そしてお互いにジュニアの頃からテニスを習っている。


「そういえばみっちゃん、おめでとう! またオープン戦優勝してたね。もうここら近辺には敵なしか〜。羨ましいぜ、ちくしょう」


「いやいや、そんなことないって。麻里奈も上位入賞が多いじゃんか」


「……でも、全然優勝できないんだもん」


 麻里奈はテニスにかなり打ち込んでいる。正直練習量では全く敵わないのだが、この地区の女子には、全国でも名の知れたジュニア上がりの子が何人かいた。この辺の大会となれば大体が決勝トーナメントの上位で麻里奈と彼女たちがぶつかることになる。麻里奈が弱いのではなく、その子達が強すぎるのだ。


「あ〜、もっと強くなりたいなあ……」


そんなことを言いつつ、当たり付き棒アイスを持参の保冷バッグから取り出す。

何年も見てきているから分かることだが、この時期になると毎回必ずこの棒アイスを持参していた。

それは夏の暑い時期にだけ毎年発売されている、期間限定の棒アイスでパイナップル味だった。


「いつも思うんだけどさ、毎回毎回同じアイスで飽きないわけ?」


「え? 飽きないよ。めっちゃ美味しいもん、これ」


「それにね、私はいつも何かとツイてないな〜って思うことが多いからさ。でもこのアイスで当たりを出せたら何か良いことが起こりそうな気がする、背中を押してくれそうな気がする、そんな気がするんだ」


「占いとか信じるタイプかな、アホらし」


「みっちゃんには年頃の女の子の、この繊細な心は理解できません」


 そう言って彼女は頬を膨らませた。


「そもそもこのアイスを最初に買ってくれたのってみっちゃんじゃん。覚えてないの?」


 そう訊かれた俺は咄嗟に「そんなことあったっけ」と、とぼけてしまったが、実ははっきりと覚えていた。

 今日と同じような暑い夏の日。まだ小学生だった俺は近所に引っ越してきた彼女を見かけて、そして一目惚れしたのだった。

 俺は少ないお小遣いを使って、近所の駄菓子屋でこのアイスを買って、麻里奈にプレゼントした。当たり外れの結果がどうだったのか、までは覚えていない。けれど、麻里奈と出会ったきっかけは間違いなくこのアイスだった。


「……そっかあ、まあ、結構昔のことだもんね」


 そう言って麻里奈は少し寂しそうに笑った。


 暫く駄弁っていると彼女の食べていたアイスは棒だけになっていた。


「あ〜、やっぱハズレかあ。中々当たらないですな」


 アイスの棒には『ハズレ』の文字が無慈悲に彫り込まれていた。

 当たったところで同じ棒アイスが一本もらえるだけなのだが、彼女はがっくりと肩を落としていた。


「そんだけ食べてればいつか当たるだろ」


「……うん、そうだね」


 そういえば来週から夏休みに入る。そんなにアイスが好きなら、どこか美味しいところにアイスを食べにいかないか、そう誘おうかと考えていた。

 だが俺はあと一歩のところでそれを言い出すことが出来なかった。


「……あ、なんか私呼ばれてるっぽい」


 少し離れた場所から麻里奈を呼ぶ三人の女子たちがいた。

 三人とも同じテニス部の部員で、多分俺と話しているのを面白おかしくいじっているのだろう。


「じゃあまた今度な。来週試合がんばれよ」


「あ、うん、ごめんね。ありがとー」


 来週から学校は夏休みに入る。

 麻里奈を誘う機会は今後いくらでもあるはずだろう、この時の俺はまだこんな時間がずっと続くものだと悠長に考えていた。


 そして翌週、俺に待っていたのは麻里奈が親御さんの都合で急遽転校することになった、という知らせだった。

 俺と麻里奈は学校や部活で出会う事は無くなってしまった。


◇◆◇◆◇


 結局、麻里奈は終業式でも顔を見せる事はなかった。

 急な引越し準備で余裕もなく、出発まで期間もない事が理由だと聞いている。

 出場予定だったテニスの試合も辞退していた。麻里奈はシード選手だったはずだから、きっと普段は上位に中々上がれない子のチャンスとなっているのかもしれない。


 俺はといえばまるで魂の抜け殻のようになっていた。

 頭を駆け巡るのは全て後悔の念だった。

 人間失ってから大切なもののありがたみに気付くのだというが、それがどういうものなのかを初めて知った。

 チャンスはいくらでもあった。

 何年と共に過ごしてきて、これからもずっとこの腐れ縁は続いて行くのだと、ただ理由もなく考えていた。甘えていたのだ。

 麻里奈にメールを打とうと思ったけれど、何を伝えればいいのか分からず、いまだに送れずじまいでいる。

 どこまでも意気地のない自分自身に俺は心底辟易していた。


 俺はテニスの練習に行く気にもなれず、帰宅して自室でぼうっとしていた。

 窓から見える麻里奈の家は、見るからに人気がなくなっていた。きっと荷物は全て運び出した後なのだろう。

 自宅のカウンターの上に高そうな焼き菓子の入った箱が置いてあったため、母に確認すると「それは高須さん家が持ってきてくださったのよー。いきなりで本当に驚いたわね」と言っていた。既にウチには挨拶に来たあとらしかった。


 外が薄暗くなったころ。

 モヤモヤしていた俺は少しでも気を紛らわせようと、財布とケータイだけ持って外に出た。

 昼間は日差しも強く気温が35度を超えているようだったが、日が傾くと多少涼しげになっていた。ただそれでも汗が滲む程度には暑かった。

 暫く歩くと、普段よく利用するコンビニが見えてきたため、涼む目的も兼ねてコンビニに入った。


 室内に充満したクーラーによって滲んでいた汗が一気に引いていった。

 よく冷えたミネラルウォーターを手に取った俺はレジへ向かう道すがら、アイスコーナーが目に入った。そこには麻里奈がよく食べていた当たり付き棒アイスが無造作に積まれていた。

 期間限定と大きな文字で書かれたアイスを、俺はなんとなく手に取っていた。


「ありがとうございましたー」


 コンビニを出た俺は水を飲み、棒アイスの袋を開けた。一口齧るとパイナップルの良い香りが口一杯に広がった。

 その時、鼻の奥がツンとした。


 アイスを食べながら、特に理由は無かったが学校のテニスコートへと向かって歩いていた。

 到着する頃には既にアイス部分は全て食べ切っていた。


 棒に彫られていた結果は『当たり』だった。


 当たりの出たアイスの棒を見て「……全然ツイてないじゃん」と自嘲的に笑う。


「……みっちゃん……?」


 背後から声を掛けられる。


 ハッとして振り返った時、そこに立っていたのは引っ越したハズの麻里奈だった。


 色々聞きたいことは沢山あったが、何も言葉が出てこなかった。

 それは麻里奈も同じなのか、彼女も何も言わず暫く時が流れた。

 そして一番に会話の口火を切ったのは俺の方からだった。


「……驚いたけど、向こうに行っても頑張れよ。テニスちゃんと続けろよ。たまには帰ってこいよ」


「…………!」


 どすん。と軽い衝撃の後、俺の胸には麻里奈の頭があった。

 今まで長い間一緒にいたが、彼女をこんなに近くで見たのは初めてのことかも知れない。


「ごめんね。……本当はキチンと直接伝えたかったんだけど、どう伝えていいか分からなくて。私……最低だね」


「……俺の方こそごめん。麻里奈がいなくなるってなって、初めて、……自分の気持ちに気付いたよ」


「…………?」


 彼女はぱっちりとした目をより、見開いて俺の顔を覗き込んでいる。


「俺、やっぱり麻里奈のこと好きなんだわ。今まで言えなかったけど、これからも麻里奈を好きでいたい。いいかな、それでも。」


「……勿論よ、……ばか」


 そう言って麻里奈はもう一度、俺の胸に顔を寄せた。そして俺も麻里奈を強く抱きしめた。


 麻里奈と俺はある約束をした。

 それはお互いにテニスを頑張って、近いうちにまた大会で再会する約束と、そして俺は麻里奈を恋人として大切にする、というものだった。


「……やっぱり、アイスの力ってすごいね」


 そういって笑った彼女の右手にはあのアイスの"当たり"棒が握りしめられていた。

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