第4話「一万円と地獄耳」


 【馬場櫻子】


「それでは来週もみんな元気に登校するように! さようなら!」


 先生の終礼を皮切りに、教室のクラスメイト達は早々と帰り自宅をしたり、部活に向かう準備をしたり、一塊に集まって談笑したりしている。


 ホームルームの終わりはすなわち、放課後の始まりでもあるのだ。


「ねぇねぇ馬場さぁーん」


 そんな中わたしに声をかけてきたのは、クラスでよく目立つギャル、高橋さんだった。


「な、なに? 高橋さん」


「あのさぁ、ちょーっとお願いなんだけどね? お金貸してくれない?」


 高橋さんはわたしの机に腰掛けてそう言った。


「えーと、高橋さん。この前貸したお金は?」


 高橋さんには二日前、すでにお金を貸していたのだ。


『馬場さん、だっけ? ちょーっとお金貸してくれない?』


『え、いいけど、いくらくらいかな』


『まじ⁉︎ てかてか、今いくら持ってんの?』


 と、こんな感じでその時持っていた手持ちはほとんど、というか全部貸してしまった。


 そのせいでというか、そのおかげでというか、その日いつもの自動販売機でお汁粉を買えなかったわたしは、ハレ君にお汁粉をご馳走してもらうことになったわけなのだけど。


「前借りたお金? あれならもう使ったけど?」


 高橋さんはニコッと笑って首を傾げた。


「そ、そうなんだ。や、じゃなくてこの前貸したお金、まだ返してもらってない、よね?」


「んー、そだね。それがどうしたの?」


 コツコツコツコツ、と高橋さんがわたしの机に人差し指の長い爪を繰り返し打ち付ける。


「ど、どうしたのって、前に貸した分を……」


――バンっ! と机を叩く音がわたしのセリフを遮った。


「お金、貸すの? 貸さないの?」


 真顔になった高橋さんがわたしを見下ろす。


教室の人たちにも今の大きな音とか、この会話は聞こえているはずだけど、誰も干渉しようとはしない。


「い、一万円でいいなら」


「きゃー! 馬場ちゃんまじ天使ぃ! じゃ早くちょうだい!」


 わたしが財布から一万円札を取り出すと、高橋さんがひったくるようにわたしの手からもぎ取った。


「あの、ちゃんと返してね?」


「んー、もちもち! バイト代入ったら返すからー」


 そう言った高橋さんはスキップしながら教室を後にして、そのしばらく後に教室に居るのが居た堪れなくなったわたしも、いつもより早めの帰り支度を始めた。


――校門を出ようとしたところで後ろから声をかけられた。


「あの金絶対返ってこねーぞ」


 乱暴な言葉遣いとは裏腹に、鈴の音のように透き通る可愛らしい声だった。


 声の方に振り向くと、そこには夕陽に金髪のツインテールを輝かせた少女がいた。


「夕張さん、さっきの見てたんだ」


「見てねーよ。聞こえてきた。席隣だし」


「そっか」


 転入生のわたしたちは教室の最後列に二つ並んで空いていた席に座っている。


 わたしは窓際で、夕張さんはその隣。


 隣の席だからって、今まで会話らしい会話は一度もなかった。


「金、わたしが取り返してやろうか?」


 だから夕張さんがわたしにそんな事を言うなんてすごく意外で、『魔女は人類の救世主』とかそういう世評を抜きにして、本当にいい人なんだなぁと思った。


「ありがとう夕張さん、でももうちょっと待ってみる。高橋さんバイト代入ったら返すって言ってたから」


「……そうか、わかった」


 夕張さんは呆れたように短くため息をついて、でも納得してくれたようだ。


 わたしは夕張さんに会釈して再び校門へ歩き出した。


「……おい、馬場。お前明日暇か?」


 再び背後から夕張さんの可愛らしい声。


「え、明日は暇だけど、どうして?」


 正確には明日暇だけど、だ。


「まあ、あれだ。転入生同士、飯でも食いに行かねえかと思ってな」


 初めてクラスメイトに食事に誘われてしまった。それも休日に、夕張さんに。


「い、行きたい、です」


「なんで敬語なんだよ」





* * *





「――それで明日夕張さんとご飯食べに行くことになったの!」


「へえ、やったな櫻子。早くも友達二人目か?」


 わたしが追加で頼んだチャーハンをテーブルに置きながら、ハレ君がいたずらっぽい笑顔でそう言った。


 わたしは今ハレ君のバイト先である三龍軒でご飯を食べている。


 どうやらお客さんはわたしだけらしく、マスターがキッチンでお鍋を振る音と、調子が良くないのかカタカタと異音を放ちながら回転する換気扇の音が薄っすらと聞こえる。


 そして今日はハレ君のほかにもう一人従業員の女の子がいるみたいで、キッチンの中でなにやら作業をしている。


「仲良くなれたらハレ君にも紹介するね」


「え、まじで? てか夕張先輩って怖い人じゃない?」


 ハレ君がわたしのテーブルの空いた食器を片付けながら言った。


 学校では不良のレッテルを貼られているけど、一つ上の女の子にビビる不良はいないんじゃないかな。


 まあ夕張さんはただの女の子じゃないわけだけど。


「んー、まあ言葉遣いはちょっとアレだけど、すごく優しい人だよ?」


「へえ、でも俺よく考えたらまだ見たこともないんだよな、夕張先輩」


「ああ、一年生と二年生の校舎ってけっこう離れてるもんね」


「うん、あと俺が動くとみんなビクビクするから、学校では基本的に自分の席を動かないようにしてるせいっていう説もあるな」


「え、なにその悲しい説」


 知れば知るほどハレ君って不良と縁遠い人なんだよね。


「夕張さんはね、綺麗な金髪をこうツインテールにしててね、顔もすっごく可愛くて、背はわたしより低いんだけどスタイルが良いっていうか、出るとこ出てるっていうか、けしからん身体つきというか、うぇへへへ……」


「おい、後半エロオヤジの霊に憑依されてんぞ」


 ハレ君に言われてハッと我に帰る。わたしはなんていやらしい目で夕張さんを……!


「ま、まあ、つまり素敵な人だよ」 


「――酢豚と追加の餃子です、お待たせしました」


 テーブル席のわたしと、空いた食器を片付けているハレ君の間に、割って入るように女の子がお料理を持ってきた。


 見たところわたしやハレ君と同じくらいの年だろうか、黒髪をポニーテールに結った頭にバンダナを巻いていて、ハレ君と同じ『三龍軒』のロゴが入ったティーシャツを着ている。


「ハレ、鼻伸ばしてないでちゃんと仕事しなさいよね」


 女の子はお料理をテーブルに並べると、吐き捨てるようにそう言い、ハレ君を睨みつけながらキッチンへと戻っていった。


「それを言うなら『鼻の下伸ばしてないで』だろ、ピノキオか俺は」


 ハレくんは女の子がキッチンの奥へ消えたのを横目で確認してからボソッと呟いた。


 鼻の下を伸ばしていたところは否定しないのだろうか。


「はぁ!? ピノキオアンタなんか文句あんの!?」


 キッチンの奥から怒声が響いた。ものすごい地獄耳だ。


「ぴ、ピノキオ文句ありませんっ!」


……ハレ君、弱いな。

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