第3話「晴人と櫻子」

 【辰守晴人】


 旧都の外れにぽつんと佇む中華料理屋『三龍軒』


 店内にはいつもくたびれた換気扇の騒音と、かけ流したテレビの二重奏が流れている。


 しかし、今日は珍しくそれ以外に中華鍋を振る独特の金属音が鳴り響いていた。


「お待たせしました。エビチリとレバニラ、天津飯に餃子です」 


「……わあ、すっごく美味しそうだね! いただきます!」


俺が料理をテーブルに並べていくと、櫻子は両手を胸の前で合わせて目を輝かせた。 


「今更だけどさ、こんなに頼んで大丈夫か?」


「え? 全然大丈夫だよ、昨日お金おろしたばっかりだから」


 パキッ! と、割り箸を割りながら櫻子が得意げに微笑んだ。俺が言った「大丈夫か?」は、金じゃなくて料理の量の話だったんだが。


「おいハレ! チャーハン上がったぞー」


 心配しているうちに次の料理が出来たみたいだ。振り返るとキッチンからチャーハンを持った店長のごつい腕が、カウンターを跨いで伸びていた。


「あいよー」と店長の手からチャーハンの盛られた皿を受け取り、そのまま櫻子のテーブルへ置く。


「お待たせしました。チャーハンです、って、なんでもう皿が空いてるんだ!?」 


 テーブルの上にはさっきまで天津飯と餃子が盛られていた皿が、空になって重ねられていた。


 料理を運んできてからまだ十数秒しか経ってないんだけど、まじで食べたのか? 外にぶんなげてない?


「なんでって、食べたらそりゃ無くなるよ?」 


「いやいや早すぎんだろ……えぇぇ」


 俺が絶句している間にも、持ってきたばかりのチャーハンがサラサラと櫻子の口に吸い込まれていく。


 チャーハンはお茶漬けじゃないんだよ?


「ふう、わたしこんなに美味しいお料理食べたの久しぶりだよ。ハレ君に感謝だね!」


 いろいろと突っ込みたいことはあるが、そんなに満面の笑みで感謝されると、まあなんでもいいかな、と思ってしまう。



――十数分前。



晴人はれと君、またサボってるの?」


 例によって三龍軒の斜向かいの自動販売機で眠気覚ましのコーヒーを買っていると、昨日お汁粉をご馳走した櫻子が不意に話しかけてきた。


「……いや、サボってるわけじゃないし。エネルギー補充だからこれ」


 店を出た時点で櫻子がベンチに座っているのを視界で捉えていたが、別に話しかけるつもりはなかった。 


 話しかけられるとも思っていなかったが。


「そっちは? 今帰り?」


 ガコンッ、と音を立てて出てきた缶コーヒーを取り出しながら言った。


「……うん。部活やっててね」


 気のせいかも知れないが、そう答えた櫻子の顔が一瞬引きつったような気がした。当たり障りのないことを聞いたつもりだったけど。 


「……そうなんだ。で、俺になんか用?」


「なんか用って、晴人君。わたしさ、先輩だよ? 一応」


 そう言って櫻子は胸元の赤いリボンを指で揺らした。


 うちの学校は制服のリボンやネクタイの色で学年が分かるようになっている。 


女子の場合は桃色が一年生、赤色が二年生、紺色が三年生だ。


 つまり櫻子は二年生ってことになる。おっしゃる通り俺の先輩だな。


 ちなみに男子は桃色が水色に変わる以外は同じ。まあ学校指定のネクタイつけてるやつなんていないけど。


「……それで、俺に何かようですか先輩」 


「ん? ああ違う違う、敬語を使ってほしい

とかじゃなくて、昨日お汁粉をご馳走してくれたでしょ?」 


「……したね」


「先輩としてはさ、後輩に奢られっぱなしというわけにはいかないじゃない」


 なるほど。しかし別にたかだか百円そこらのお汁粉でそんなに気を使ってもらわなくてもよかったんだが。


 なんというか義理堅い人だ。


「別に俺が勝手に買っただけだし、そんなに気にすることないよ」


「うん。でもそれじゃあわたしの気がすまないし、コーヒーくらいご馳走させてよ」


 うん、気持ちはありがたい。すごくありがたいのだが……。


「もう買っちゃったし」 


俺は右手の缶コーヒーをほら、と櫻子に見せた。


「え? そ、そっか、そうだよね、コーヒーばっかり何本も飲めないよね、ごめんね、こんなのが先輩とか嫌だよね……ろくにお礼もできないわたしっていったい……」


「いや、そんなに落ち込まなくても」


 さっきまで割と陽気な感じだったのに、急に陰鬱なオーラを纏い始めた。


 テンションの落差がはんぱじゃないな。しかし、こんなことを言うと失礼かもしれないが、さっきまでの雰囲気よりも今の鬱屈とした感じが板についているような気がする。もしかしたら櫻子のはこっちなんだろうか。


「まあ、せっかくだし何かしてくれるって言うならさ、飯食べていかない?」


「え? ご、ご飯ですか?」


 なぜか敬語になる櫻子。


「うちの店いっつも暇でさ、店長が機嫌悪くて困ってるんだよ。まあ、よかったらだけど」


――そして現在。


「ご馳走さまでした!」


 櫻子は結局あの後も、相当お気に召したのかチャーハンを追加で頼んだ。しかも大盛り。


 いったいこの華奢な体のどこに吸い込まれていくのだろうか。不思議でならない。 


「ハレ君、お会計お願い」 


「お、やっと満足したか。デザートはいいのか?」 


 櫻子のテーブルには米粒一つ残らないキレイな皿が盛られている。


「うーん、今日はやめとこうかな」


 さすがの櫻子もこれだけ食べるとデザートは別腹ともいかないらしい。


「今から帰って晩ご飯食べないとだからね」


 イマカラカエッテバンゴハン? んん?


「……ごめん、俺馬鹿だから日本語しか聞き取れないわ」


「ハレ君!? わたし日本語で喋ってるよ!?」


 今日新たに、櫻子がかなり大喰らい、いや、食いしん坊だということが判明した。


「まあいいや、お会計三千二百四十円です」


 俺が会計を済ませるとキッチンから店長がのそっと出てきた。


「お嬢ちゃん、美味かったかい?」 


 いつも仁王立ちで仏頂面の店長が朗らかに微笑みながら櫻子に言った。あまりの気味の悪い笑顔に、俺はブルッと身震いした。なにがお嬢ちゃんだよ。


「はい! こんな素敵なお料理生まれて初めて食べました! 感激です!」


 しかし櫻子は視力が悪いのか、店長の顔を気味悪がるそぶりもなくしっかりと見て笑顔で返した。 


「……っ! ハレ!」


 俺がレジの前でサブイボの立った腕をさすっていたら、急に店長が大声で俺の名前を呼んだ。まさか、俺の心を読んだとでもいうのか!?


「もう暗い、お嬢ちゃんを送って行ってやれ」


「え、でも俺まだバイト中……」


「そ、そうですよマスター! わたしの家ここから近いのでそんなに気を使っていただかなくても大丈夫ですよ!」


 この店長、料理を褒められたのがそんなに嬉しかったのか、めちゃくちゃな事を言い出しやがった。


 櫻子もホントに大丈夫ですから と、両手をブンブン振っている。


「マ、マスターッ!? ……ハレさっさと行ってこい」 


 今度はマスターと呼ばれたのが嬉しかったのか、店長はさっきよりも語気を強めてきた。 


 櫻子も櫻子だ、なにがマスターだよ。店長で十分だ。なんならおっさんでもいい。いや、ゴリラで十分だ。


「でも、ハレ君いなかったらお客さんが来た時に困るんじゃ?」


 至極真っ当なことを言う櫻子。まあ客が来るかどうかは分からんが。


「はは、大丈夫だよお嬢ちゃん。こんな店誰も来やしないさ」


 いや、それは大丈夫じゃないだろう。


――結局は店長の押しに負けて、櫻子も不承不承ふしょうぶしょうに『ではお言葉に甘えて』と了承した。  




* * *




「ごめんね、仕事中なのに」 


「ん? へーきへーき、あの店本当に客来ないから。マジで」


「それって大丈夫、なのかな?」


 などと他愛もない話をしつつも、櫻子は心なしか早足だ。きっと少しでも早く俺を解放してくれようと気を使ってくれているのだろう。


「あー、あのさ……」


 言いかけて、道すがらこんなことを言ってしまっていいものかどうか、俺は次の言葉を躊躇った。


「ん、どうしたのハレ君?」


 少し歩くペースが遅れた俺に、櫻子がペースを合わせながらこっちを見た。


「……いや、さっきから気になってたんだけどさ、なんでハレ君?」


 誤魔化した。いや、これも気になっていたことではあったんだけど、本当に言いたかったことではなかった。


「ご、ごめん、嫌だった? 店長さんがそう呼んでるの聞いて、ごめんね、そうだよね、馴れ馴れしいよね、嫌だよねこんな……」


「いやいやいや!」


「ほんとごめん……」


「いや、今のいやはその嫌じゃなくて、別にいいから! ハレでいいよ嫌じゃありませんよ!?」


 ほんと階段から転がり落ちるように卑屈になるな。


「……ああ、もう、俺のこと怖くないのかって聞きたかったんだよ」


 落ち込む櫻子をフォローするためってわけじゃないけど、なんか勢いにまかせて言ってしまった。


「……怖い? ハレ君が?」


「ほら、まあ俺、#辰守たつもり晴人だし?」


 櫻子は数秒考え込むように視線を下げると、ハッとしたように顔を上げた。


「ご、ごめんハレ君、よく考えたらわたしすごく失礼なこと言ってたかも」


 きっと俺がお汁粉をご馳走した日のやりとりを思い出したのだろう。


『晴人って、あの辰守晴人君?』


「いや、別にいいんだよ。気にしてないし、たださ、俺のこと知ってたのに普通に話してくれるから、なんかその……怖くないのかなって思っただけで」


 言った途端、櫻子が歩くのをやめて俺の左腕を掴んだ。


 驚いて櫻子に振り返る。


「怖くないよ。ハレ君は怖くない」 


 櫻子は掴んだ腕を離して、真っ直ぐ俺の目を見ながらそう言った。 


「でも俺、不良だし」


「ふふ、ハレ君それ自分で言うの?」


 確かに、自分で言うとなんかおかしい、っていうか可笑しいな。櫻子につられて俺も笑った。



――俺の家は金持ちだ。 


 辰守建設といえば、建設会社の中でも大手中の大手。 


 曾祖父の代から受け継がれてきた会社を、親父もまた祖父から受け継いだ。仕事のせいで親父が家にいることなんてほとんどなかった。 


 二年前に魔獣被害で母さんが死んでからもそれは変わらなかった。


『高校はでなさい』そう言って親父は俺を新都の高校に通わせた。


 新都のマンションを一棟丸々買い取って、学校へはここから通いなさいだとか、ふざけるなという話だ。


 俺に興味なんて一切無かったくせに、母さんの真似事でもしてるつもりなのか。


 結局俺は親父が用意したマンションには住まずに、旧都の空き家を格安で借りて暮らしている。


――あの事件があったのは高校に入学してから一週間経った頃だ。


 俺は一つ上の学年の先輩を、三人殴って入院させてしまった。 


 先輩達が野良猫を捕まえて、タバコを押し付けようとしているのを、俺がやめさせようとした事が発端だった。 


 結果的に猫は無事だった。でも先輩は無事じゃなかった。


 三人の内二人は打撲や擦り傷の軽傷だったが、一人は左側の頬骨を骨折した。


 無論俺が殴ってしまったからだ。


 入学早々そんな事件を起こした俺は退学処分……が妥当だった筈だが、一週間の停学処分になった。


 俺が殴った三人は何も文句を言ってくることはなかった。おそらく、というか確実に親父が金で解決したのだろう。


 一週間後、俺が学校に行くと誰も俺と目を合わせようとしなかった。 


 俺が学校にいない間に事実と異なる噂が蔓延したようで、あの不良と関わってはいけない。そんな空気が学校中に広がっていたのだ。


「――まあ、そういうわけで学校で俺に話しかけてくる奴なんてまずいないから」 


 旧都のデコボコ道を歩きながら、櫻子は俺の話を静かに聴いてくれた。


「だから櫻子が俺と普通に話してくれたりするのがちょっと不思議でさ」 


「確かに、ハレ君の噂はなんとなくだけど、わたしも知ってたよ。でもわたしが実際に見たわけじゃなかったし……」


「……なかったし?」


 櫻子が何か言い淀んだから、続きを促す。


「お汁粉奢ってくれたし」


「……お汁粉って、え、それだけ?」 


「それだけって、わたしすっごく嬉しかったんだから。まあすっごくびっくりもしたけどね」


 櫻子は顔をくしゃっとして笑った。そしてすぐに俯いてしまった。


「わたしね、転入生なの」


 俯いた櫻子が、ぽつりとそう言った。


 櫻子の声にさっきまでの明るさは無い。 


「転入生って、じゃあ……」 


 二年生にの転入生がいることは、校内中の噂になっている。てことは、つまり櫻子が――


「わたしは魔女じゃないよ。魔女の転入生は夕張ゆうばりヒカリさんっていう子で、わたしは夕張さんと同じ日に転入してきたただの一般人だから」


 知らなかった。魔女が転入してきた話はその日のうちに校内で持ちきりになったし、今だってそうだ。けど、もう一人転入生がいたなんて聞いたこともなかった。


「実はね、部活なんてやってないの。学校で上手くやれてるって、おかあさんを安心させたくてさ、ほんとはまだ友達もいないのに」


 季節外れの転入生となると、普通は周りにもてはやされたりしそうなもんだが、一緒に魔女も転入してきたとなると話は別だ。


 きっとクラス中の奴らが魔女と仲良くなろうと必死になっているはずだ。


 そんな状況での櫻子は眼中にも入らないだろう。


 辛いだろうな。入学早々やらかした俺と違って、高校二年の十月といえば既にある程度のコミュニティが形成されている。 


 そんな中に櫻子は飛び込んでいかないといけなかったのだ。


 そして不幸にも、たまたま同じ日に転入してきた魔女に出鼻を挫かれることになってしまったわけだ。 


「……部活はどうか知らないけどさ、友達ならもういるだろ」


 くさい、くさすぎるセリフだけど、こんなこと言うのは全然ガラじゃ無いんだけど、それでも櫻子に言ってやりたくて、俺は出来るだけクールな感じにそう言った。


「……え? あの、わたしと……ハレ君?」


 櫻子は一瞬ギョッとした顔で俺の方を見て、おずおずとそう言った。


「まあ、お互い高校生活最初の友達ってことで」 


 言いながら俺は櫻子に右手を差し出した。


 別に同情でこんなことを言ったわけじゃない。そもそも他人様に同情できるような立場じゃないし。


 話すようになって二日だけど、櫻子は絶対にいい奴だと俺の直感が言っている。


「あ、あの、よろしくお願いします」


 櫻子が、俺の右手をギュッと握った。


「ハレ君、最初で最後の友達にならないように頑張ろうね」


 まあ、すこし卑屈なところは否めないけど。

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