しみじみ豆撒きくっすん大黒


「二月三日の日は休みじゃないよね?」

 家人からそう問い掛けられたのは火曜だったか。

 二月三日と言えば、金曜日。このところ、金曜日は週の中でも殊に仕事が立て込んでおり、休みになるわけはない。ただし、かように家人が言ってくる時には、その奥に、何やら思惑が秘められているのが一般である。

 よく言えば、奥床しい婉曲表現。有態ありていには、持って回った非効率な物言い。

 家人の言説には、このような修辞法レトリックがしばしば用いられるために、忙しいときなどは神経がピリピリすることもあるのだが、この時はピンときた。

 二月三日と言えば節分である。

 コロナ禍の閉塞から平常へと徐々に戻りつつ昨今。

 今年はあちこちで、しばらく停止ちょうじせられていた各種行事が再開されつつある。節分行事もまたしかり。

 テレビなどでは、成田山新勝寺の豆捲きに、歌舞伎役者の団十郎や多くの芸能人が駆り出される映像が定番として流されてきたが、ここ数年は規模が縮小されていたらしい。今年は、三年ぶりに従来の規模で挙行される由。

 新勝寺とは別のお寺だが、節分行事のポスターが、二、三週間前から通勤列車の車内にぶら下がっていた。赤鬼と青鬼の扮装をした人達のユーモラスな写真。中々面白そうな行事で、そのお寺までなら吾が家からは電車を使えば一時間以内で行くことができる。一瞬行ってみたいとも思ったが、仕事があるので断念していた。


 家人によれば、吾が家の近くの鎮守でも、久し振りに豆撒きが再開されるらしい。時間は午後四時からだという。その時間なら、何とか仕事を早じまいさせれば間に合わないことも無い。今までこのような行事に参加したことは無かったが、どういうものかいっぺん見てみよう。


鬼は外 しかあるべしと早退す


 節分当日は仕事を何とか早めに片づけ、帰宅電車に乗り、下車駅からそのまま神社方面に直行した。

 参道の手前にあるコンビニの前で家人と待ち合わせて境内に向かうと、いつもと違ってたくさんの人が集まっていて、甘酒などもふるまわれている。

 もともと、戦前の社格で言えば郷社であり、規模も大きくなく、神主さんは近くの住宅にいらっしゃるものの、高齢であり、社務所も正月や祭事の折ぐらいしか開いていない。

 普段は参拝者もほとんど無く、ひっそり寂しい雰囲気で、花や木や、たまにやって来る小鳥や、夏場なら蝶々などを愛で、清浄しょうじょうたる気を心身に横溢させるに打ってつけの場所なのだが、今日は打って変わって中々に賑やかである。

 それほど広くも無い境内に、百人以上はいるだろうか。手水ちょうず含嗽がんそうをするにも、参拝をするのにも、人と人の間を遠慮しいしい手刀で会釈をしながら、縫うように歩かねばならない。


 拝殿では四時丁度から神事が始まった。今日は神主さんの他に、四十歳ほどの息子さんと思しき方も狩衣の装束をお召しになって、補佐を為さっている。拝殿に昇殿できるのは、氏子の代表や地域の名士など。僕達その他大勢は階陛かいへいの下から様子を覗うのみ。代表者の玉串たまぐし奉奠ほうてんに合わせて、僕らも二礼二拍手の敬礼きょうらい

 その後、息子さんが大幣おおぬさを手に簀子縁すのこえんに出て来られ、階下の僕達にも修祓しゅばつを施して下さった。


 神事が終るといよいよ豆撒きである。昇殿されていた方々が手に手に升などを持って、豆や餠や蜜柑などを階下の僕らに捲いて下さる。昔ならば、豆などそのままで撒いていたものだろうが、衛生観念に厳しい昨今としては、煎大豆は福豆と書かれた小袋に入っており、餅もプラスティックの小袋で一個ずつ包装されていた。ただし、蜜柑のみはそのまま。

 僕も家人も人々の後ろの方でおろおろしているばかりなので、中々豆などが飛んで来ない。二人でようやく豆を二袋と餅一個を拾うことができた。

 また、どこからか初老のご婦人が近付いて来られ、家人に蜜柑を一つ下さった。思うに、おどおどまごまごと要領の悪い僕ら二人組を見かねて下さったものだろうが、本当に嬉しくありがたかった。


 豆撒きが終ると、今度は一家族に一つずつ、お土産を配って下さる。

 このような豆撒きに参加したのは、前述のとおり、これが初めてだったが、実に好いものだと思った。

 有名な社寺で行われる華やかな節分イベントと違って、地元密着型の地味で庶民的なスタイルの行事だけれども、それだからこその何とも言えないしみじみと心が温まるような味わいがあった。


 好かった好かったと家人とにこにこ語り合いながら、家に戻りお土産を開いてみたところ、お菓子や若布などが入っていた。ありがたい、ありがたい。

 そして夕食。

 今日は、おでんとレタス巻と干瓢巻である。

 九州出身の僕らに恵方巻の風習はなじまない。

 それでもこの時期、何かと海苔巻を目にするので食べたくなり、家人の好物のレタス巻と僕の好物の干瓢巻。もちろん、恵方を向いて丸かぶりするなどという腕白なアクロバットを演じるつもりは毛頭なく、普通に切った海苔巻を食べた。

 思うに、海苔巻は燗酒によく合う。


 食事の後、いつの間にか一杯気色の好い具合に転寝うたたねをしていたのだが、突然に家人から起こされた。これから吾が家の豆撒きをするという。神聖な祭事であれば、眠くても断るわけにはいかない。

 寝ぼけ眼で、狭い吾が家のあちこちを回って見事めでたく捲き収めた。


 翌日は豆の掃除をしなければならぬ。


あれと立春大吉茶を啜る


 節分の翌日は立春である。吾が家の玄関には、家人手書きの「立春大吉」の札が新しく貼ってあった。もともとは禅家の習俗らしいが、「立春大吉」いずれの文字も左右対称で、紙の表からも裏からも同様に読むことができるので、家に入ってきた鬼を惑わせて出て行かせるとの説もある。

 立春大吉、立春大吉――と調子よく呟いていたら、家人が横から、

「立春大吉という言い方がくっすん大黒に似ている」と言い出した。

 パンクの町田町蔵が書いた小説『くっすん大黒』と言えば、当時は大いに話題になったものだが、今となってはこれを懐かしく思い起こすのは同年代の人がほとんどであろう。

 作品中、くっすん大黒は不吉なシンボルだったが、禍福かふくあざなえる繩。「立春大吉」の札の表裏の如く、轉禍爲福てんくわゐふくのくっすんさまと思えばよかろう。


 さて、新しい春を寿ぎ、節分行事が行われた鎮守様と近くの地蔵堂に参拝した。

 鎮守の境内は、前日とは違って全く人気が無く、もとの神寂かむさびた清浄しょうじょうたる雰囲気に戻っている。

 誰に気兼ねすることも無く、あちこちを歩き回りつつ見渡すと、さかりを過ぎて多くの花が散った山茶花と、枝に一つ二つ新たにほころびかけた梅の花との対比が時の移ろいを感じさせる。山茶花の根方には花弁が敷き詰められたように散らばり、土の色と、枯色こしょくを含んで仄赤ほのあかい花弁の色とがまだらに複雑な様相を呈していて、寂寞たる無常観を醸し出している。その薄暗い木蔭には、警戒心の強い白腹の姿もちらちらと垣間見える。また、散り残った山茶花と咲き初めた梅の條々えだえだには、即物的な鵯や目白が寄って来て、遠慮会釈も情容赦も無くさかんに嘴を振るっている。

 それらを家人と一緒にしばらく眺めて楽しんだ後、地蔵堂に向かった。

 ここは、地元の方たちがこまめに管理を為さっていて、線香の煙が絶えることなく、納められた年代が異なるたくさんのお地蔵さまが並んでいらっしゃる。それぞれのお姿やお顔もさまざまである。子供をお抱きになった優しいお顔のお地蔵様もあれば、垂目たれめのお爺さんのようなお顔で頭に赤い毛糸の帽子をかぶった方もいらっしゃる。

 また、ここにも「立春大吉」の御札が貼ってあった。


 どうか、神仏のご加護により、平穏無事な毎日を過ごすことができますように。


 立春大吉、立春大吉、くっすん大黒、立春大吉。



                         <了>




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