鏡開き

 今日、一月十一日は鏡開きの日――といっても、地方によっては十五日や二十日に行うところもある。三箇日が明けたばかりの四日に行うところもあるとか。

 僕の郷里では、たしか一月十四日だったと思うが、どんどや(どんど焼き)が行われ、その火で竹に挟んだ鏡餅を焼いて食べる風習だったため、「鏡開き」という言葉を使うことはなかった。

 子供にとって、どんどやは本当に楽しいイベントだった。地区ごとに開催されており、僕の地区は川のそばの田んぼで行われていた。ただ、その準備は中々に大変なものである。作業は、大人も子供も総出で行う。昼間のうちに、竹やぶから孟宗竹を何本も曳いて田んぼまで運んで来る。竹曳きは主に子供たちの仕事である。運んだ竹は、壮年の男性たちが、タワー状に組み合わせて立ち上げる。

 竹のタワーが出来れば、昼間はそれで終わり。点火するのは夕方暗くなる頃である。タワーの周りに何箇所か火を点けると炎は瞬く間に高く燃え上がる。その火で注連縄などの正月飾りや古い御札なども一緒に焼き、先述のとおり、竹に挟んだ鏡餅も差出して焼いて食べる。どんどやの火に当たると風邪をひかないとも言われた。また、甘酒やぜんざいなどがふるまわれた。どんどやの燠を利用して、バーベキューなども行われた。大人たちは、竹筒に日本酒を入れてどんどやの火で温めた、かっぽ酒を楽しんでいた。

 僕の地区がどんどやを行っている川沿いには田んぼが並んでおり、百メートルほど離れたところでは隣の地区がどんどやをやっていた。子供たちはそれぞれの地区のどんどやを、はしゃぎながら行ったり来たりした。

 また、田舎なので、夜になるとあたりが本当に真っ暗になり、その闇の中で二つの地区のどんどやが燃え上がり、火の粉が舞う様子は何とも美しいものであった。

 そのどんどやも、今となっては過疎化のために行われていないらしい。


 さて、話は変わって、今年の吾が家の鏡開き。

 年末ここに「本物の正月」と題するエッセイを掲載したが、その中で、例年は鏡餅のラップを外して飾るところ、今年は黴防止のため、歳神様には申し訳ないが、ラッピングのままお供えする旨を記した。

 本意ではないけれど、それで仕方がないと思っていたのだが、元日の朝、家人が唐突にラップを外さないのかと訊いてきた。正月早々、実に痛い所を突いてくる。そうなると、僕としてもぐらぐらと気持ちが揺れ始める。神様に申し訳ないという、後ろめたい思いが増幅してくる。

 しかし、すでに年は明けている。歳神様はすでにお越しになっているのである。時すでに遅し。どうせなら年が明ける前に言ってくれたらよかったのに。でも、これから歳神様にご滞在いただくのに、鏡開きまでずっとラップのままお供えしておくというのも、やはり申し訳ない――そんな葛藤の末、結局ラップは外すことにした。正月早々、うじうじするのは良くない。すっぱりと、思い切りよく決断すべし。

 ただ、それでも黴は何とか避けたい。例年、供える前に一度、焼酎で餅を拭っておいて黴除けを試みていたのだが、効力が続くのはせいぜい数日。松が明ける頃には、緑色の招かざる客がお出ましになる。

 そういう事態は何としても避けたい。そこで、いろいろとwebで調べたところ、毎日焼酎で拭うのが好いらしい。よし、わかった。任せておけ。それを僕がやることにしよう。焼酎は、癖の無い金宮の二十五度が好かろう。

 ということで、その任務に敢然と挑んだわけだが、ラップを取った途端、餅にはすぐにひび割れが入り始めた。こうなると、なかなか焼酎で拭うのも骨が折れる。ひびの間にもていねいに焼酎を染み込ませないと、そこから黴が生じる恐れがある。

 そうやって、僕が休みを取っている五日までは、毎日きちんきちんと焼酎餅拭いの務めを果たし、仕事が始まる六日金曜のみ家人に任務を引き継いだ。さらに七日土曜からは三連休になるので、その間は再び僕がと思っていたのだが、面目ないことに、うっかり忘れてしまっていて、知らない間に家人が代りにやっていてくれた日もあった。成人の日の翌日である昨日からは本格的に仕事が始まったので、あとはすっかり家人任せ。


 そうして、いよいよ本日、十一日。

 幸いなことに、表面を見た限り黴は生じていない。割ったらどうかといささか心配したが、中の方まで大丈夫。

 家人がぜんざいにしてくれた。例年は小豆から炊いてくれるのだが、今年は、先日スーパーで缶詰の小豆を見付け、

「今年はこれでいいんじゃない」と持ち掛けたところ、

「あ、これでいいの?」と嬉しそうに顔を輝かせたので、本音のところは小豆から炊いて欲しいのだけど、それはぐっと呑み込んで、普段の多大な労に報いるため、いくぶんの負担軽減を図った。

 ところで、ぜんざいと言っても、二人きりの家で、もともと僕はそれほど好物でもないときているので、せいぜい、一杯ぐらいしか食べられない。また、日が経った餠は非常に固く、ぜんざいで食べ切るのは難儀である。ということで、残り大半の餅は、後日かき餅に揚げて貰うことになった。


 やれやれ、いくらかの曲折はあったが、これで今年もめでたく鏡開きを済ますことができた。きかな、好きかな。



                         <了>





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