小晦日三題


俳書而已のみ古辭書こじしよに見えず小晦日こつごもり


 今日は小晦日。大晦日おおみそかの前日をこのように言う。

 「おほつごもり」との対比で「こつごもり」なのだろうが、まあ、俳句を趣味とする人以外がこの言葉を用いることはほとんどなかろう。

 辞書やwebなどで用例を調べてみても、古例としては松尾芭蕉の師、北村季吟による俳書、埋木うもれぎ所収の「もはや年の尾ぼそになりぬ小晦日」や、芭蕉の句「春や來し年や行きけん小晦日」、或いは、芭蕉に傾倒した江戸中盤の俳人、蝶夢の句「あすありとおもふ(或いは、たのむ)もはかな小晦日」ぐらいしか見当たらぬようである。いずれも、季吟から芭蕉、さらに蕉門という一連の系統における俳諧・俳句の例である。これを除いて一般的な用例は、探しても見つからない。

 例外的に、『岩波古語辞典補訂版』に「十一月二十九日、小晦日也」(本光国師日記 慶長十八年)の例示があるが、この一文において、大晦日の前日という意味は毛頭なく、まったく別義であることは論を俟たない。何でも、『岩波古語辞典補訂版』によれば、ここでの「小晦日」とは、旧暦の小の月の末日なる意味らしい。

 ちなみに、旧暦は太陰太陽暦であり、太陰とは月のこと。すなわち、月の満ち欠けを暦の基準として、歴年によって生じてくる季節のずれを太陽の運行を基に補正したものが太陰太陽暦である。この暦には、大の月と小の月があり、大の月は一ヶ月が三十日、小の月は二十九日である。『岩波古語辞典補訂版』によれば、この小の月の末日二十九日が「小晦日こつごもり」と称された由。ただ、僕が調べた限りでは、小の月の末日を小晦日と称すなる説は、『岩波古語辞典補訂版』のみに記載があるばかりで、その他の辞書にはまったく記されていない。僕が調べたのは、『精選版 日本国語大辞典』『広辞苑』『大辞泉』『古語大辞典』『旺文社古語辞典新版』『角川新版古語辞典』であるが、いずれも小晦日とは大晦日の前日という旨の解説のみしか載っておらず、小の月の末日という記述はどこにもない。

 これはどういうことだろうか? どなたか、この件に詳しい人に、どうかご教示いただければありがたい。

 いずれにせよ、「小晦日」という言葉は、昔も今も俳人による使用がもっぱらであり、一般に流通していないということは、言えるように思われる。


蕎麥屋にて蕎麥は賴まず小晦日


 今年は比較的計画的に年末の買い物をしたためか、例年よりは慌ててあれこれ買いまわるということはないように思われるが、買い忘れというのは色々とあるもの。今日も家人と街に出たが、やはり、大晦日の前日ともなれば、人出が著しく増えている。

 コロナ禍は続いていて、報道では感染拡大は一向に収まらず、一日の死者数は昨日まで最多を更新した由だが、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置などが行われていないためか、僕の住んでいる地域ではあまり気にしている人はいないように見受けられる。八百屋、魚屋、肉屋などの小さな店舗では、それこそ芋を洗うような状況があちこちに見られる。

 昼時になって、腹が空いて来たので蕎麦屋を覗いてみたところ、年越のかき入れ時でてんやわんやかと思いきや、存外すんなり席に着くことが出来た。思えば、この店を訪うたのは、コロナ禍前に来て以来である。

 僕が頼んだのは、生ビールと鶏南蛮。家人は鶏丼。

 年末に蕎麦屋で蕎麦を注文せぬ客というのも少ないのだろう。店員は、二度ほど家人に「鶏丼単品ですね」と念を押していた。それでも、家人は動じることはなく、鶏丼一筋。

 実はコロナ禍前から、家人はこの店では鶏丼と決まっているのである。この店の鶏丼は、胸肉を油で揚げて、たれに絡め、飯の上に乗せたもの。慥かに良い味である。

 ただ、別の客が、冷やしたぬきを注文した際には、家人もやや動揺の色を見せていた。何となれば、蕎麦の中でこれが家人の大好物だからであり、しかも、冬場に冷やしたぬきを出してくれる店は極めて希少だからである。しかし、その動揺もほんの一瞬、家人の肚はしっかりと決まって動かぬ様子である。

 僕はと言えば、本来であれば冬季の蕎麦はおかめが最も好み。しかるに、近頃、おかめ蕎麦を置いている店は、非常に少ない。残念ながら時勢であれば、いかんともしがたく、鶏南蛮に甘んじた次第である。しかしながら、よく考えてみれば、大晦日の吾が家の年越し蕎麦も鶏南蛮が決まりである。

 これはしたり。他のものにすれば好かったか? ただ、注文はすでに通っており、覆すことはできない。まあ、ここは鷹揚に鶏三昧を楽しもう。


橫柄な客は老境小晦日


 僕らが食事をしている間に次第次第に店は混んできた。

 新たに入店した一人の客に店員が訊ねる。

「お一人様でいらっしゃいますか?」

 そして、その客の返答。

「一人に決まっている! 見ればわかるだろう」

 店員の表情に困惑が浮かぶ。

 客は、他の店員に案内されて、僕の斜め前にあるカウンター席に。

 まずはグラスビールを頼んだ由。ただ、そのビールが運ばれてきたときにも、店員との間でひと悶着あった模様。

 何というか、非常に厄介な人である。有体に言えば、いけ好かない輩である。

 ただ、老境になった男性一人。年の瀬にたった一人のみでの食事。

 そういう状況を鑑みるに、この人も、その立場に寄り添えば、毎日が色々と面白くないことだらけで、このような偏屈な態度になっているのかも知れないとも考えた。

 男性はビールを飲みながら、献立をあれこれ詳細に吟味しているが、中々食べるものが決まらない様子。

 そうこうしているうちに、僕と家人とは食事が終わり、レジに向かった。

 その際、男性の様子を横目でしげしげと観察したところ、ダークブラウンのハンチングに同色の襟巻とセーター、スリムなブルージーンズに、白い革のデッキシューズ。顔を見れば、鼻の下に恰好良く整えられた髭。

 老境にありながら、全般的に非常に様子が好く、隙の無いいで立ち。一体、どういう人物か判じかねる。

 独り身の寂しい老人なのか、単に傲岸不遜なる金持なのか。

 僕らが店を出る際に、ようやくその男性の注文が決まった様子だった。男性が注文したのは、盛蕎麦一枚のみ。

 一体いかなる人物なのか。いよいよ謎は深まるばかりである。



                         <了>





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