記元節

 「記元節」

 この表題の文字を見てはっと漱石を思い出した人もあろう。

 その人はけだし文学好きやも知れぬ。


 明治四十二年の一月から三月にかけて朝日新聞に連載された夏目漱石の『永日小品』という小品輯しょうひんしゅうに「紀元節」という話がある。恐らく、その年の二月十一日に掲載されたものだろうが、子供の頃、先生が黒板――作中には「塗版ぬりばん」とある――に「記元節」と書いたのをその人が席を外しているすきに、後の漱石である金之助少年が「記」の字に棒を引いて「紀」の字に改めたという話である。その先生は垢じみた着物に無精髭の風采の上がらない人物で、決して叱ることがないので、生徒に馬鹿にされている。先生は、どの子がそのような粗捜しをしたのかを追及することもなく、皆を見まわして「記元節」と書いても間違いではないと話すのである。

 これを読んだのが何時だったか。恐らく高校か大学の頃だろうが、僕は今まで「記元節」という書き方もあるのだ位に漠然と思っていた。「紀」にも「記」にも「しるす」という意味があり、「紀元」とは、元年とか始まりの元を記すことなので「記元節」と書く例もあるのだろう、その程度に考えていた。

 しかし、今回この原稿を書く上で、辞書やweb検索に当たってみたのだが、「記元節」という言葉は、漱石のこの作品関連のものしか見つけることができなかった。したがって、件の先生の言が真実なのかどうかは分からない。

 もとより漱石もその真偽については何も語っておらず、子供だった自身の行為を「下等な心持がしてならない」「あれが爺むさい福田先生でなくつて、みんなの怖がつてゐた校長先生であればよかつたと思はない事はない」と評して締めくくっている。

 思うに、その「下等な心持」というのは、子供の頃の自分のみを嫌厭しているのではあるまい。大人になった漱石自身、今その小品を書いている漱石自身に、子供の頃の己の厭な部分――衒学、自己顕示、強きに怯え弱きに乗じる心性など――が今に至るまで連綿と命脈を保っていることを思い、嫌気が差したのではなかろうか。

 そうした醜悪な自分というのは、普段は理性のみならず、共感や同情といった良性の情緒によっても抑え込まれている。しかし、何かあるとすぐに悪性のものがむっくりと頭を持ち上げるものである。――慢心した時、或いは逆に、余裕がなく切羽詰まった時など。

 頭を上げるのが己の肚の中だけであればまだよいのだが、時には他者に対する言葉や行為として表に出てくることもある。そんな自身の言動を、後になって、その時とは全く別の心境となっている自身が厭悪し、愧じるのである。

 僕も実に思い当たる。衒学、自己顕示、強きに怯え弱きに乗じる心性、その他の煩悩――

 たちが悪いことに、そうした煩悩から人間というものは到底逃れることができない。自身の醜悪な性根からきれいさっぱり足を洗うなんぞは金輪際叶わない――そうした怖ろしくも厳然とした事実を改めて確認し、実に苦々しく思ったのかも知れない。


 ところで、僕はその爺むさい福田先生のことが気の毒でならず、ずっと気になっているのだが、僕の知る限り漱石のその他の作品で見かけた事はない。恐らく、実在の人物なのであろうが、どのような人生を送られたのだろうか。

 そうした記録にも記憶にも残らぬ人というのが、人間の大半なのである。


 誰しもが親は二人、祖父母は四人、曾祖父母は八人、要するに、n代前の先祖の人数は二のn乗(2^n)となる。また、n代前までの先祖の人数の総計は(2^2-1)×2の計算式で表される。

 これで計算すると、十代さかのぼると――一代二十五年として二百五十年――ご先祖皆々様の総人数は二千人を超え、二十代――五百年――では二百万人以上、三十代――七百五十年――では何と二十億人を超える。もちろん実際は血族婚なども頻繁に行われるので実数としてはぐっと減るのだろうが、それにしても膨大な人数のご先祖様達。それらのご先祖様は、ほとんどが後の世に知られぬ存在であり、過去から未来に渡ってそうなのだ。

 いや、もしかすると、将来的には、ビッグデータとして記録が残って行くのかも知れない。それはそれで怖ろしい気がする。


 さて、今年は紀元二千六百八十二年。この元初まで遡ると、一体ご先祖様がどれほど増えるのか気が遠くなる。


 いずれにしても、今から二千六百八十一年前の今日、辛酉かのととりの年の正月ついたち橿原宮かしはらのみや神倭伊波禮毘古命かむやまといはれいびこのみことが御即位遊ばしたとされる。それを歴史的事実として真に受けている人は少なかろうが、だからこそ、そのような悠久の太古における神話的な出来事が僕達の紀元というのは、実にありがたくもめでたいことだと思う。

 何となれば、右記のご先祖様の人数から類推するに、僕のご先祖様のどなたかは、一系の聖上とされる方々の血筋に繋がっているに違いないからである。

 それは、僕だけではなく、先祖の中に日本人が一人でもいる人には、誰でも当てはまるのではないだろうか。


 あわせて、「紀元節」に登場する福田先生のことやら、記紀に登場する土蜘蛛や長髄彥――立場を変えてみれば気の毒な存在――などにもシンパシーを向けてみる。

 僕らの遺伝子の中には、福田先生はもとより、土蜘蛛や長髄彥に繋がるものも、きっとあるに相違ない。


 悲喜交交ひきこもごも、色々な想念や情緒が交錯してきて、何が何だか分からなくなってしまう。その渾沌こそがめでたいと言うべきであるような気がする。



                         <了>



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