特牛

 「こって牛」という言葉がある。

 頻繁に耳にする言葉ではない。字引で調べてみても、「こってうし」なる語は、載録さいろくされていない(少なくとも私が当たった幾つかの字引の中には)。けだし、方言、それも、ほとんど死語に類する言葉であるように思われる。

 九州の山奧で育った私には、子供の頃、極まれにではあるが、幾度かこの言葉に接した記憶がある。語義については、去勢されていない、気性の荒い牡牛のことであるように、私は解釈していたのだが、どうもあまり品のいい言葉ではないという印象を持っていた。というのも、往時おうじの私はどういう訳か、逞しい黒牛の、ぶらぶら揺れる陰嚢のイメージをもって、この言葉に対していたからである。

 長ずるに及んで、万葉集などを開くようになり、「ことひのうし」という古語を知るに至った。「殊負ことおひの牛」の約とわれ、「特牛」、「特負牛」などという字をてる。重い荷を負うことの出来る、頑健な牡牛のいいである。また、「ことひうしの」といえば「三宅みやけ屯倉みやけ)」に掛かる枕詞とされており、租税の運搬に多くの「ことひ(の)うし」が使役された由来によると聞いたことがある。ただし、管見によれば、「ことひうしの」を枕詞とした例は、万葉集巻九・一七八〇「鹿嶋郡かしまのこほりの苅野橋かるののはしにして別大伴卿謌おほとものまへつきみにわかれたるうた」における「牡牛乃ことひうしの三宅之みやけの滷尓かたに指向さしむかふ鹿嶋之埼尓かしまのさきに・・・」しかないような気がする。

 いずれにせよ、この「ことひうし」が「こっというし」に転じ、更には「こっていうし」ともなったそうだが、わが「こって牛」にしてもここから派生したものには相違ない。そう考えると、それまで下品で野卑な言葉と思っていた「こって牛」も、何やら雅語めいて響いてくるから、実に可笑おかしいことである。


 こつて牛ことひの牛をくは呼ぶみやびなるかもこつて牛とは



《追記》


 右の拙文も、「第三 毬」と同様、かなり古いものである。

 二〇〇〇年十一月九日に記したものなので、すでに二十年以上が経っている。

 今から読み返せば、実に拙なところが目に付くとともに、妙に衒ったところが鼻に付いて、吾ながら、若気の至りとしか言われぬ。ずかしくもあり、ほほえましくもあり、何より懐かしくあるのだが、その三十代前半の自らの恥を、敢えて今、曝すことにした真意が那辺なへんにあるのか。

 これは、自分でもよく分からない。

 いずれにせよ、この頃なかなかに筆のまにまという境地に至らないので、ともかくも昔の筆跡ふであとで間に合わせて、何とかお茶を濁そうという算段には相違ない。



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