微妙に手の届かない

 今年は、イヌビワが豊作である。

 イヌビワは、ビワという名が付いているが、ビワの一種ではない。遺伝的にはイチジクに近く、日本のあちこちに自生している。コイチジクともいう。

 先日、ある人にヤマイチジクという別名もあることを教えてもらった。

 ただ、山の中だけではなく、住宅街のそばのちょっとしたところにもあちこち生えている。街に住む人にも、けっこう身近な植物と言えるだろう。

 吾が家の近くでは、そのイヌビワの実が今年はどうも豊作のようであり、たわわに実った黒々とした果実が旨そうに果汁を滴らせている姿を、しばしばあちこちで目にするのである。先日、散歩に出た際、一緒にいた家人に勧められて、一ついで口にしてみたが、甘みが強く中々に芳醇な味わいだった。

 しかるに、家人は僕には勧めておきながらも、「ほらどうぞ」と別の一粒を採ってやっても、顔をしかめ自分では決して口にしようとしなかったのである。

 実にご立派な都人士である。


 さて、このように、都会の街の中でも、いたるところに自然は存在する。

 ふとしたところ、例えば、崖の茂みや、道路わきに植えられたツツジなどの灌木の間、ちょっとした草むらなどに、果実が食用となる植物が生えているところを見かける機会も少なからずある。


 晩春から初夏にかけては、野苺や木苺――僕の住んでいるそばでは、ことにカジイチゴが、崖の藪などに多く見られる。道路わきの草むらにクサイチゴを見かけることもある。

 ヤマモモも公園や街路樹で見かけることが多く、赤い美味しそうな実が地面にたくさん落ちていることがある。

 ヤマグワやマグワも、あちこちの崖や草むらなどに自然に生えており、これも初夏に実を付ける。

 晩夏から秋にかけては、冒頭に述べたイヌビワのほか、葡萄の仲間であるエビヅルなども熟してくる。また、近くの公園には、イチゴと同じバラ科のハマナスが、花壇の中でトマトのような赤い実を付けていたり、つる性のムベの生垣に実がっていたりもする。

 秋が深まると、ムクやエノキなどの実が熟し、街路樹などに多いイチョウが、ぎんなんを沢山落として、強烈な臭いを放って人々を辟易させているなども、よくあることである。

 人の家の庭に、ウメ、ビワ、柑橘類、ザクロ、カキなどがたわわに実っているところを目にすることもある。


 僕は食いしん坊なので、これらを見ると摘んで食べたいという思いに駆られる。道端や崖の茂みなどに自然に生えているものであれば、一つ二つ口にしてみることも出来るが、人家の庭や畑など、他人の所有下にあるものはそういう訳にはいかない。公園などの公共の場であっても、自治体や管理事務所などの管理下にあるものにも、手を出してはならない。


 先ほど、公園のムベの実について触れたが、この果物を僕は生まれてこの方食べたことがない。近縁で見かけもよく似たアケビであれば食べたことがあるが、ムベは無い。調べてみたところ、とろりとした食感で優しい甘さなのだそうだ。

 その昔、天智天皇がこの実をお召しになって「むべなるかな」と仰せられたことから、ムベと名が付いたという、由緒正しい果物である。

 さぞかしおいしかろうと思うが、公園の管理下にあるものに、勝手に手を出し失敬しては犯罪である。せいぜい僕にできることと言ったら、赤い竜の目をして、羨ましく見遣るぐらいが関の山である。


 では、自然に生えているものなら、自由に堪能できるかというと、これもまた、諸般の事情でままならないことも多いのである。

 例えば、実が付いている枝が人の手の届かない高さだったり、ひどい茂みの向うにあって近付けなかったりと、なかなか簡単には行かぬのである。


 こんなこともある。

 今年の初夏は、近所の藪などあちこち生えているカジイチゴに、たくさんの実がった。すぐ手の届く範囲にオレンジ色に実った苺が枝一杯に見えるのだが、ハモグリダニであろうか、この辺り一帯の苺の木に寄生虫が蔓延し、見た目も怖ろし気な様子で虫癭ちゅうえい虫瘤むしこぶ)が葉や茎に盛り上がっていて、これにはどうも食指が伸びなかった。


 或いは、こんなこともある。

 ヤマモモ、ヤマグワ、イヌビワ、エビヅル、イチョウなどは、株自体が雌雄に分かれている。まだ実が付かない時分に、「あ、あそこに桑の木がある」とか「あの葉っぱは、イヌビワの木だ」と思って、実が出来るのを楽しみに待っていても、残念ながら雄株のため、その木には食べられる果物は実らないということもよく起こるのである。

 イヌビワなどは、雄株にも実が生るのだが、それらが甘く熟すことは無く、食べられない。

 しかも、どういうことだろうか。目当てにしている木が雄株である確率は、僕の場合、なぜだか非常に高い気がするのである。


 更には、こんなこともある。

 まだ、果実の青い内から目を付けていて、日々楽しみに眺めていたものが、「あと二、三日で食べごろかな」と思っていると、その二、三日後にはすっかり無くなっていることが少なくないのである。野鳥が食べたか、タイワンリスの仕業か、それとも、人が採って行ったのかは知らないが、僕が心の中で、楽しみと共に育てていた可愛いあの子が、或る日忽然と姿を消しているのである。

 想像しても、いただきたい。

 こんな悲しいことが、果たして起こって良いものだろうか。


 僕の持論なのだが、自分が欲しいと思うものは、どうも、すぐそばの見える場所にあって、なおかつ、どうしても微妙に手が届かないように、しつらえてあるらしい。世の中というものは、万事そのように出来ているものなのかも知れない。


 ただ、冒頭にも述べたように、今年はイヌビワが豊作である。いつもの年は、雄株の実ばかりが目に付くのだが、今年はなぜか、どれもこれも雌株だらけ。枝もたわわに黒々とした実が、その内側からほとばしる果汁の甘露を纏って、悩まし気に僕を誘っている。

 ようやく僕にも、少しばかり運気が向いてきたということだろうか。





                         <了>



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