第8話 宇野美月2

 水曜日の雨の日、宇野美月は本宮明に、俺たち付き合っているよなと告白された。付き合ってくれではなく、既に付き合っていると断定されたのだ。その自信たっぷりな口振りに、宇野美月はそんな気がした。陸上部でちょっと浮いた存在の本宮明は、色白ですらりと背の高い、二十九センチと靴のサイズも大きかった。他にこれといった欠点は見当たらなかった。宇野美月にとって、本宮明は見上げる存在だった。


 宇野美月と本宮明は交際している。不思議と周囲からも、そんな空気が漂ってきた。だが、事実は違っていた。


「なあ、宇野。お前、勘違いしているぞ。はっきり言ってやった方が良かったんじゃないか」

「これは幾らなんても、酷いだろう。お前の人権に関わる問題だ」

「大袈裟なものか。悪戯にも程がある」

「人を疑わないところが、お前のいいところというのは分かる。だからと言って、事実でないことまで肯定することなんてないんだ」

「困ることないさ。簡単なことだ。嘘は嘘と認めてしまえばいいことじゃないか」


 木曜の晴れの日、宇野美月は部活を終えた本宮明が帰るのを、校門を出た所で一人待っていた。が、散々待たされた挙句、本宮明が現れたときに、彼女は声を掛けなかった。掛けられなかったのだ。本宮明の隣には、同じ陸上部の女子生徒がいたからだ。それはまるで恋人のようで、彼女が割り込む余地がなかった。


 宇野美月は、ぼんやりと二人が目の前を通り過ぎるのを眺めていた。本宮明が彼女に目を合わすことは、一度もなかった。まるでそこに誰もいないようだった。彼女の笑った顔が、泣きべそをかいたピエロみたいだった。


「宇野、お前。本当は泣きたかったんじゃないのか?」

「そうだな。そんな顔、人に見られるのは嫌だよな。俺だって、お前の立場だったなら同じだろう」

「でも、少しぐらいなら我慢することないと思うんだ」

「そんなんじゃないよ。ただ、お前が頑張り過ぎるから、そう思っただけ」


 クラスの中には、宇野美月を同情した生徒が少なくなかった。同情以上に、彼女を心配した生徒もいた。小森光夫も、その一人だった。

 小森光夫は心底、宇野美月が可愛そうだと思った。自分が代わりに恋人になってやりたいと、本心から思っていた。そうすることが、宇野美月の心を癒すのに一番だと考えていた。が、そこにも怪物の影が忍び寄っていた。この怪物は、人間の弱みに付け込むところが厄介だった。


 金曜日の休み時間、宇野美月は小森光夫に呼び出された。小森光夫は直接彼女には言わず、同じクラスの女子生徒、桜井美奈子の手を借りた。宇野美月へ伝えて欲しいと頼んだ。それは人前であったし、クラスの誰かに知られて、騒ぎになることを避けるためだった。


 ここに思わぬ誤算があった。そこには、人を惑わすものが隠れていた。

 宇野美月に伝えられた待ち合わせの場所には、彼女がいくら待っても誰も来なかった。彼女は人気のない体育館の裏で、予鈴が鳴るまで待ちぼうけを食らった。結局、誰も来なかったのだ。


「宇野。お前、また騙されたのか?」

「でも少しは人を疑うってことを知らないと、騙されてばかりだぞ」

「目を見れば、嘘をついているかどうか分かるというじゃないか」

「まあ、ぼくだって自信はないけど。でも、騙されはしないぞ」

「ははは。きっとお前の笑顔に、みんな甘えているんだ」


 宇野美月は、初めて騙されたと思った。が、騙されたのは小森光夫の方だった。

 小森光夫が待っていた、形ばかりの図書室には、宇野美月は現れなかった。そこに微笑みながら現れたのは、桜井美奈子だった。桜井美奈子は、嘘ついちゃったと悪びれた様子で、一度小森光夫から目を逸らした。それから、どうして嘘をついたか分かると、小森光夫に尋ねた。小森光夫は、正直に首を振った。どうして、桜井美奈子がこんな事をしたのか理解できなかった。


 桜井美奈子は、ちょっとすねた目をした。小森が、宇野さんに告白しようとしたからよと答えた。どうして、宇野美月に告白することと、桜井が嘘をつくことが関係あるんだと、小森光夫は問い詰めた。桜井美奈子は、それを聞いて少し悲しい顔をした。分からないと聞き返した。頭をひねる小森光夫に、桜井美奈子はじれったそうに告白した。桜井美奈子は、小森光夫のことが好きだったのだ。


 突然の告白で、小森光夫の気持ちが変わった。同情から生まれた好意より、本物の恋愛感情の方が勝ったのだ。これは、当然といっても仕方がなかった。


 金曜日の曇りの日、宇野美月は小森光夫に謝られた。待ち合わせをすっぽかしたことを謝られた。それから、告白するつもりだったが、事情が変わったことも謝られた。宇野美月には、何が何だか分からなかった。ただ小森光夫に言われるままに頷いた。何か自分がとんでもない、勘違いをしていたのだと悟った。そこには、いつもの宇野美月らしい笑顔は消えていた。


「なあ、宇野。少しは怒っても良かったんじゃないか」

「別にお前が悪い事をしたわけじゃない。悪いのは向こうなんだ」

「柄じゃないって、どういう柄なんだよ。豹柄とかそういうのでもないだろう」

「何だ。どうしたそんな顔して」

「それが、本当のお前の姿だったんだな。ぼくは、ちょっと勘違いしていたよ」

「でも、心配するな。これで、きっとみんなも分かってくれたはずだろ」


 月曜日には、この話はクラス中に知れ渡っていた。しかし、小森光夫を非難する話は出ても、宇野美月をからかう生徒はもういなかった。宇野美月が泣き虫だということが、クラスのみんなに知られたからだ。

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