第7話 宇野美月1(うのみずき)

 信じたいことと、信じられないこと。信じたいけど信じられないこと、信じられないけど信じたいこと。誰にでもあるだろう。

 誰だって自分可愛さに、傷つくことが嫌なんだから、信じるよりは疑う方を選択しまいがちだ。それで人が信じられない。誰かの言葉が信じられない。そう悩んでいる人も多いと思っている。


 ただ全てを疑って人は生きられないし、全てを疑わなくたって、人は生きていけるんだ。そこまで、疑心暗鬼になる必要もないはずだ。大きな失敗を犯さないように、慎重になることはいいとしても。些細な失敗まで気にすることなんてないんだ。成功には、失敗は付き物だと言うじゃないか。


 反対に夢ばかりにすがって、何でもかんでも信じようとする場合だってあるんだ。夢や幻が現実になるとすれば、尚更の話だ。裏切られてばかりで、馬鹿を見ることだってある。信じる難しさを、痛感させられることだってある。でもその分、信頼は大きく膨らむと、ぼくは思っている。


 宇野美月は、何でもかんでも鵜呑みする女の子だった。それだから、同じクラスの生徒から、彼女はからかわれることが多かった。騙されることも多かった。が、心配や同情されることも少なくなかった。彼女を見ていて、はらはらさせられるからだ。目隠しして歩く、女の子の手を引いて上げたい、と思う気持ちと同じだ。


 宇野美月に、嘘は通じない。そう悟ったのは、一部の生徒だけだった。他の生徒は、こぞって宇野美月を困らせた。誰が一番彼女をからかえるか、競争しているみたいだった。そこには、何の賞賛も感嘆も見いだせなかった。嘘を嘘とも思わない宇野美月の純粋な心が、彼女の存在意義を高めた。ぼくは、宇野美月がどうしてそんな心ない噂に、負けないのか不思議だった。


「なあ、宇野。お前、どうしてあんな事、信じちゃうんだ?」

「それって、誰が聞いても嘘だと分かるだろ」

「そんな面倒臭がり屋、見たことない。面倒臭いの範囲を超えているんじゃないか」

「ふふ。やっぱりお前は何やっても、お前だな」

「馬鹿にしてなんかいないさ。お前が微笑ましいだけだ。どんな事でも信じてくれる奴がいないと、世の中ギスギスしてしまうだろ」


 宇野美月はクラスの中では小柄な方で、華やかという点ではみんなに劣っていた。それでも、活発でよく笑うところは好感が持てた。彼女は、いつも心地の良い微風が吹くような笑顔を見せていた。それは誰からでも、好かれる笑顔だった。失敗しても、騙されてもあっけらかんとして、笑顔を絶やさなかった。それが彼女の強みであり、持ち味だった。宇野美月に、嘘が通じないと思わせる故だった。


 宇野美月のからかいは、彼女自身に留まらなかった。嘘までが一人歩きする。

 そこには、からかいや嘘つきという怪物が潜んでいた。が、誰もその正体に気づかなかった。みんな、その怪物に踊らされていたのだ。それは、ぼくだって例外じゃない。でも、ぼくは最後まで彼女のことを信じてやりたいと思っている。


「今日の授業は、三階の特別教室だって」

 男子生徒が、笑いを堪えて顔を赤らめている。必死に真面目な顔を装おうとするから、かえって不自然な表情になった。

「遅れないようにと、担当の先生が言っていたよ」

 宇野美月は何の疑いもせずに、急いで特別教室に行ってみた。教科書とノートと筆記用具を片手にして重い扉を開けると、誰も来ていない。いや本当に宇野美月が騙されたか、確かめに来た意地悪な生徒が二三人が廊下にいた。彼女を付けて来たのだ。その生徒たちは、くすくす笑って廊下を走って逃げた。誰もいなくなった廊下に、冷たい笑い声だけが残った。


 また別の日には、こんな酷い悪戯をされた。

「今日は、午前中で授業終わりだって」

 午後の教室に、宇野美月の姿が見えなかった。彼女は一人早退してしまったのだ。宇野だけ欠席かと担当の先生が出席簿に目を通した時、教室中が爆笑の渦に巻き起こった。その中には同情する苦笑いも、無言の生徒の顔も、あっと驚いて宇野美月の席を振り返る生徒の姿も含まれていた。どうして宇野美月を止められなかったんだろう、と後悔する生徒もいなかったわけじゃなかった。宇野美月のからかいが、残酷になればなるほど、一部の生徒の反発も大きくなった。だが、彼女に対する酷い仕打ちは無くならなかった。


 宇野美月のからかいには、流行があった。誰かが新しいからかいを始めると、それをこぞって真似して、また誰かが彼女をからかった。その度に宇野美月は騙された。だから、からかいは無くならなかった。それには、人をからかったり騙したりすることには、快楽や中毒性が存在するからだ。そこにも人間に悪影響を与える、怪物の仕業があった。


 からかいは、どんどん過激になっていった。それを誰も止めることはできなかった。誰が考えたのだろう。例えば宇野美月の知らないうちに、彼女には恋人ができていて、いつの間にか別れていた。流石にこれは事実と反するのだから、宇野美月が信じる理由はない。


 宇野美月は、それ初めて聞いたとだけ答えた。彼女の口から、嘘だという言葉は出ることなかった。その代わり、驚いたり苦笑したりするのだ。それでも、確認のために宇野美月は相手の所にまで聞きに行った。ねえ、私たち付き合っていたのと真剣な眼差しで尋ねた。「そんなの嘘だろ。信じたの」と相手に軽くあしらわれた。宇野美月は黙りこくるしかなかった。

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