第28話

 ヴェロニカの様子は穏やかながらも、どことなく張り詰めている。

 ヒオリとニールは静かな彼女の声を聞き逃すまいと、衣擦れ一つ立てずに耳を澄ませていた。


「クロード様とリリアンさんを調べているうちに、妙なことが起こっていることに気が付きました。彼女が『気に入った』人間が、次々に魅了されていく様を見たのです」

「……魅了」

「ええ、彼女に良い感情を持っていなかった方が、次の日には彼女を褒めたたえているのです。見ていて恐ろしかったですわ」


 そう言う割には愉快そうに、ヴェロニカはくすくすと笑う。

 しかしすぐにその笑みを引っ込めて、再び静かな声で続けた。


「いったい何が起こっているのか、調べるうちに私はクロード様の日記を発見したのです。そこにリリアンさんの魔法、そしてお父上に対する疑いがつづってありましたわ」


 語られた事実に、ヒオリはもちろんニールも驚いた表情でヴェロニカを見つめる。

 リリアン女史に夢中になり、自分たちに敵対していたと思っていたクロード所長がまさかここで登場するとは思っていなかったのだ。


 しかしヴィクトルの所業を察し、リリアン女史の違和感に一番気付きやすい立場にあったのは彼かもしれない。

 そう考えてヒオリは、ヴェロニカの言葉を補強するために訊ねた。


「と、言うことは今回の件を最初に調べてたのはクロード所長だった、と言うことですね」

「あの方は皆さんが思っているほどぼんくらじゃありませんのよ。誰よりも情熱的で、この研究所を愛しておりますわ」


 訊ねるニールに、ヴェロニカは肩越しに振り向いて楽しそうに告げた。

 婚約者のことを語る彼女は優雅な笑みを浮かべている。しかしその瞳に僅かに見えた悲痛さに、彼女が今回のことで抱えていたものを感じ取ることが出来た。


 今は手の離れてしまった彼のことを思ったのか、ヴェロニカはそのまましばらく無言で歩道を歩いていた。

 やがて立ち止まった彼女は、ふと背後に建つ研究所を振り返り、目を細めながら口を開く。


「クロード様は最後にあの夢に対抗できる手段を調べておりました。ヒオリさんは感づいておられますでしょう。リリアンさんの夢の植物の根です」

「……やはりあの根には、魔法的な効果が強いと言うことですね」

「ええ、ですがチコリーやイリスなど、温室の他の根にも同じ効果が現れたのは誤算でしたわ。他にも影響が出てしまって、お陰でお義父様とリリアンさんに感づかれてしまいました」


 なるほど、昨晩リリアン女史があの温室に現れて薬品部門の職員を襲ったのは、やはり植物のことを隠すための処置だったらしい。

 調査をしているメルたち博士の口も、リリアンの魔法によって塞げばいいと思っていたのかもしれない。


「あの植物はクロード所長が植えたものだったのですか?」

「ええ。抗体として利用できるくらいに増やすのが目的だったらしいのですけど。誰にも気づかれずにあの植物を栽培できる場所……木を隠すならと言いますがまさにその通りにしたらしいですわ」


 もっともそれが裏目に出るなんて、彼らしいですわ。と微笑む彼女に、ヒオリは嘆息する。

 ヴェロニカ女史にすれば婚約者殿の愛らしい失敗なのかもしれないが、こちらにしてみれば命の危機だったのだ。


 だが……クロード所長も温室への影響を考えなかったわけではあるまい。

 自宅で栽培しても家族の目があり、他研究施設でも父親の息がかからない場所となると難しい。恐らく、ここ以外に植物を植える場所を思いつかないほど追い詰められていたのだろう。


 人形が出来た途端に意識を奪われたニールのことを思い出し、クロードが感じただろう恐怖を思い顔を歪めた。

 ヴェロニカは研究所からヒオリたちに視線を転じ、己の心情をおもんばかるように微笑みながら言った。


「私はもう少し証拠が欲しいんですの。クロード様が残してくれたものを無駄にしたくない。それに彼女らを放置しておくのも危険ですわ」

「ええ、私もそう思います。彼女は人の心を操ることに一切の罪悪感を持っていない」

「まるで少女のまま大人になったような方ですわ……。これも実験の影響なのかしら?」


 ヴェロニカが口にした疑問に、ヒオリは昨晩の夢の中に現れたリリアンが浮かび上がった。

 まるで子供のような彼女のふるまいは、成人した女性がしていいものではない。


 だとするのならばその意味でもリリアンを放っておくわけにもいかない。

 改めてそう感じたヒオリは、ヴェロニカを真っ直ぐ見つめて申し出た。


「ヴェロニカ女史、一つ提案があります。上手くいけばヴィクトル前所長とリリアン女史を、追い詰められるかもしれません」

「あら……。ふふふ、いいですわ。おっしゃってみて」


 ヒオリは昨晩の夢の中で起こった事、ニールの身分とここに来た意味、そして浮かんだ案をヴェロニカに語った。

 赤毛の博士はまるでディスカッションをするときのような眼差しで聞き、時折的確な質問を投げてくれた。

 それにより己の作戦はさらに補強されていき、最終的にはヴェロニカも「乗りましょう」と微笑んで頷いた。


§


 自分たちが出した提案の準備をするため、ヒオリとニールは研究所……アロマ研究室へと戻っていた。

 ヴェロニカは別の準備のために、今自宅へ向かってもらっている。研究室には二人だけだった。


 研究室に既に人気はなく、昨晩の騒動の名残も綺麗に整えられている。

 デスクに置いたままになっている機械も確認してみたが、どうやら問題なく使えそうで安心した。


「すでにメル殿たちは医務室に運ばれたようですね。先ほど警備員の方から救急車を呼んだと連絡がありました」

「ちょうどいいわ。誰もいないほうがやりやすいもの」


 優秀な警備員たちに感謝しつつ、ヒオリは温室の壊れたゲートを確認し内部を確認する。

 流石にこちらまでは綺麗に掃除出来ていないようだ。変わらずに温室は荒れ果て、植えられた植物の多くがなぎ倒されている。

 ただ原因になったリリアンの夢の植物は、その場から全て消え去っていた。


(やっぱり根こそぎ持ち去られているみたいね……。探しても無駄か)


 恐らく、息子に疑いの目を向けていたヴィクトルの指示であろう。

 今思えば彼女が幾度もここに入っていたのは、クロードが栽培していた植物を探すためだったのかもしれない。


 あの植物が無ければ、前所長は自分たちを追い詰めることが出来ないと考えているのだろう。

 しかし今ヒオリたちが必要としているものは、夢の植物ではない。いまだこの土の下に眠っているものこそ重要なのだ。


 太陽の光に照らされた広い温室をぐるりと見回し、ヒオリはまだ使えそうな植物が多そうだと安堵する。

 すぐにポケットから端末を取り出して操作し、先ほどヴェロニカから受け取ったデータを表示させた。


「ニール、今から言う植物の根を片っ端から採取して。なるべく多く」

「了解しました。時間は限られています。急ぎましょう」


 ニールが頷いたと同時に、二人は行動を開始した。


 彼の言う通り、残された時間はごく僅かである。

 そろそろクロード所長にも連絡が行ったころだろうし、ヴィクトルは準備を整えているだろう。


 それでもここで作業しなければならない理由は、アロマを作成するための装置の存在と温室の植物……その根にある。


 リリアンの夢の植物と共に植えられた植物の根には、同等の効果が現れる。

 ヴェロニカ女史も肯定してくれたことで確信を強めたし、アロマにしても魔法に対して抗体を作れることを実感していた。

 自分自身の体験が、何より昨晩己が保護した女性博士の現状がそれを如実に示してくれている。


「キリノさんは完全に正気に戻っていたわ。今ではリリアン女史を恐れている。意図せず作ったアロマでさえ効果があったんだから、きちんと性能と魔法を整えればもっと効果が得られるかも……」


 ここに来る前に電話越しに聞いた、女性博士の声を思い出す。

 電話の向こうでキリノは驚いた様子だったが、すぐに昨晩は介抱とアロマをありがとうという礼を言われた。

 声からは昨晩のような虚ろな気配は感じ取れず、どうやら随分回復したようだとヒオリは胸を撫でおろした。


「ヴェロニカ殿からのデータで、効能のあるアロマは作れそうですか?」

「多分……やってみなければわからないところは多いけれど」


 ニールの問いに、ヒオリは端末の画面を睨み見ながら小さく唸る。

 つい先ほど、ヴェロニカから送られてきた件の植物に対する調査データがそこには映し出されていた。


 全て彼女の婚約者が、リリアンの魔力にうち負ける前まで懸命に調べていたものだ。

 植物の魔力、そしてそれに打ち勝つことの出来る、いわゆる抗体の作り方がしっかり記載されている。

 やはりクロードも魔法医学の博士であると言う明確な証明であった。


 そのデータをもとに、二人は効果が出そうなハーブの根を採取している。

 魔力を打ち消すアロマの作成こそが、ヒオリがリリアン女史に勝つために考えた手段だった。


「あまり量は作れないと思うわ。調整も出来ないかも……、上手くいくかも保証はない」

「ですが無いならば作るしかない、でしょう」


 隣のニールにそう言われ、ヒオリは根を掘る手を止めて彼を振り返る。

 それは遠い昔に自分が彼に伝えた言葉の一つであった。

 あんな昔のことを彼も覚えていたのかとその青い瞳を見つめると、彼は微笑み「大丈夫ですよ」と告げる。


「貴女のアロマは素晴らしい。私が保証します。足りない部分は私がサポートしますから」


 真摯な言葉にヒオリの心臓がどくんと跳ねた。

 まるで少女時代に感じた青臭いときめきのような感情が胸を満たし、温める。


 そのぬくもりはヒオリに無限の勇気を与え、体と気力が奮い立つ。

 くっと両手を強く握って彼に笑顔で返し、深く頷いた。


「そうね、作るしかないんだわ。きっとこれが現状の打破になるって信じましょう」


 二人はハーブを大量に採取し、研究室へ戻ると蒸留室で装置を作動させ、精油を抽出し始める。

 ちらりと時計を見れば、だいぶ時間が経っていたことに焦りを感じた。


 間に合うだろうか。いや、間に合わせるしかない。

 祈りながらヒオリはアロマを作成し───そして場面は、会議室での婚約破棄騒動に繋がっていくのである。

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