第5話

 8.


「悪魔の血? 悪魔の爪?」ノワールの眼が鋭く細まる。「それを、悪魔が? 君たちに?」

「早合点してはいけないな」黒ローブの口元に、昏い笑み。「それほどのものをだよ、我々が――いや悪魔が、そう簡単に預けるとでも?」

「やけに、もったいを付けるじゃないか」ノワールの声に不穏の色。「言わなかったな? ――僕はいま、虫の居所が悪いんだ」

「我々とて、この件を放置したいわけではないさ」そこで黒ローブが横へ手招き。「詰まるところ、手は多い方がいい――違うかね?」

 横から大柄な黒ローブが歩み寄り、目深にかぶったフードを外す――と、その双眸に昏い光。悪魔の笑み。

「手、ね」ノワールは呆れ声一つ、「僕に取り憑くつもりかい? それとも――僕を〝喰らって〟なりすますのかな?」

『お前一人で、』悪魔が嘲る。『ヤツに敵うとでも?』

「〝セフィロトの樹〟の悪魔、彼らがことごとく負けたってのに、」ノワールは眼を悪魔へ据えて、「君がクリムゾンに勝てる理由は?」

『それをこれから試そうというのさ』悪魔が立てて指一本。『お前に寝返られても面白くない』

「『寝返る』?」ノワールの機嫌がさらに傾く。「それは手を組みもせずに使う言葉じゃないね」

『では訂正しよう』悪魔の眼、昏い光が――圧を増す。『こう――だ!!』


 踏み込む。ノワール。身を低く。圧のその下、かいくぐる。

 悪魔も踏み込む。間を詰め右拳、唸らせ衝き込みノワールへ。

 なお踏む。ノワール。左の軸足。横への力――を加えてやや斜め前。

 迫る。剛拳。横からノワール。左腕。いなす。自身を横へ――。

 抜けた。ノワール。なお前へ。右足、踏み込み、上へと力――そこへ。

 大口。悪魔。光る牙。間を潰す。食らい付く。ノワールの左肩口へ――、

 左肘。ノワール。流し込む。悪魔の喉元、支え――ず自ら身をずらす。地を踏む。右上へ。

 踊り出る。ノワール。悪魔の右肩、その上。宙に舞い――。

 引っ掴む。ローブ。左襟。悪魔の勢い、利してノワールが身を翻し――、

 組み付く。ノワール。悪魔の背後。脚を悪魔の胴へと絡め、左手で首の筋をくわえ込み、右手のコンバット・ナイフを――と。

 地を蹴る。悪魔。前のめり。ノワールの上から地が迫る。

 手放す。ノワール。突き飛ばす。反動、縦の遠心力、合わせて悪魔のなお前へ。

 右肩口から地へ。ノワール。背で転げ、足をつき、両の脚へとバネを溜め――、

 そこへ悪魔。大上段。左の踵が落ちかかり――、

 左。ノワール。急側転。悪魔の踵が地を穿つ。

 一挙動。ノワール。地へ足。低く。脚にバネ。

 そこへ悪魔。横ざまに足。振るう。低い。地を払う。

 踏み出す。ノワール。低く跳び、悪魔の脚を――、

 捉えた。踏み上げ、なお前へ。銀の切っ先、悪魔の鼻面、詰める。攻める。突き立て――かけて。

 硬い。火花。阻まれた。鈍く短剣、その姿。

 が――。

 右肘を折る。いなす。短剣の下、勢いそのままくぐり抜け――。

 衝き込む。ノワール。右の肘――捉えた。喉元。抉り込む。

 悪魔の手首へ左の手。のしかかりノワール、ねじり上げつつコンバット・ナイフを――、


「そこまで!」

 低く、鋭く、黒ローブ。悪魔の顔が怒りに歪む。その眼と鼻の先、銀の刃が動きを止める。

「双方、証としては充分だろう」

 黒ローブの声――を耳に睨み合い。ノワール、悪魔、動かない。

「敗者よ、」黒ローブが、重く告げる。「〝大悪魔の爪〟を、勝者の手へ。〝クリムゾン〟を滅ぼす、資格と責任を」

 悪魔の手から、短剣が地へ。

「資格?」ノワールは悪魔から眼を離さず、「責任だって? 随分と偉そうにのたまうじゃないか」

「悪魔にとっても一大事なのでね」動じず黒ローブ。「誇りを懸けて挑む者もいるということだよ」

 ノワールは一つ鼻を鳴らして、「で、僕で何を試すつもりだったんだ?」

「他に何があるね?」そこで黒ローブが声を低めて、「その身に宿る悪魔の〝力〟と〝生命力〟……」

 そこでノワールの気配に棘。

「ああ、そう尖らずとも話すとも」黒ローブが小首を傾げ、「例えばだ、その短剣――〝大悪魔の爪〟を手に取ってみるがいい。悪魔の〝力〟なくしては扱えぬ代物だ」

「それが、」ノワールが声だけを黒ローブへ。「罠でない証拠はどこに?」

「もしも罠なら、」黒ローブ。「さっさと手渡していれば済む話だ――誇りを懸けて試すまでもあるまい」

 ノワールが睨む――下で悪魔が歯を軋らせる、その表情。

 ナイフはそのまま、静かにノワールが身を引いた。手探り、左手を短剣、その柄へ――と。

 収まる。自ら――短剣が。ノワールの、掌へ。


「おめでとう」黒ローブが小さく拍手、「これが悪魔の証というものだ」

「僕は人間だ」不満を隠さずノワールが、さらに身を引く。「〝力〟とやらで喜ぶ趣味もない」

「だが全ては、」黒ローブは誘うように、「〝クリムゾン〟を滅ぼすためにある」

 ノワールが鋭く一瞥、黒ローブ。「〝セフィロトの樹〟の儀式を止めるため、だ」

「それでいいとも。さてここで、改めて伝えよう」黒ローブは厳かに頷き、「その手にあるのが、我々に伝わる〝大悪魔の爪〟だ。それで〝クリムゾン〟の急所を貫くがいい――悪魔の魂を肉体に縫い止めるものと伝えられている」

「『縫い止める』?」ノワールからは怪訝声。

「悪魔の肉体は、死を迎えれば霧へと還る」黒ローブが鷹揚に頷く。「肉体が霧へ還るまで悪魔の魂を縫い止めておけば、つまり魂は肉体ともども霧となって滅び去るということだ」

「それが、」ノワールがさらにみを退きつつ、「嘘や間違いじゃないって証拠は?」

「我々の望みは、『自らの意志で悪魔の元へ還ること』だ」黒ローブは小さく肩をすくめて、「〝クリムゾン〟の思うがまま、というのは意志に反する」

「〝嘘〟じゃない、ってわけか」ノワールが片頬に苦笑を乗せて、「〝間違い〟の方は否定しないのかい?」

「それを試そうとした、というのが偽らざるところでね――敗者の魂で」黒ローブの声が苦りを帯びる。「勝者の資格と責任において、今から確かめてみるのも手だが?」

「あいにく、」ノワールが吐き捨てる。「そいつは僕の趣味じゃないな」

「ならば、」黒ローブは苦笑一つで応じて、「根拠となるのは〝大悪魔〟の受け売り一つ、これだけだ。信じるも疑うも好きにするがいい」

「――いいさ」ノワールは右手のコンバット・ナイフを納めつつ、「僕の手で試してやるまでだ」

「では、鞘を」

 黒ローブの声に不満顔の悪魔が、それでも静かに、腰から鞘。それを小柄な一人が受け取り、黒ローブへ。黒ローブは頷き一つ、受け取った鞘をノワールへ。

「さてここで、」黒ローブが言葉を添えた。「土産が一つある」

「僕はこれから、」左手、ノワールが鞘を取る。「クリムゾンを探さなきゃならない。話があるなら手短に頼むよ」

「ならば、」頷き一つ、黒ローブ。「単刀直入に。我々の本拠地――〝忘れられた教会〟からの通信が途絶えた」

 〝大悪魔の爪〟を鞘へ納めかけ――たノワールの眼に、険。「解説してくれるかな?」

「確かめに行った者も戻ってこないのでね」黒ローブが示して両の掌。「これは推測というわけだが。こうは考えられないかね? ――〝クリムゾン〟が現れた、と」

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