第17話 風が吹く

「前に俺が言ってたの覚えてるか? 最近、勝手に空き教室を私物化してる奴がいるってやつ」


 三階まで階段を登り終わると、相馬先輩がポツリと口を開いた。

 それは、初めて先輩と生徒会室で会った時。私が何故生徒会室にいるのかと、疑われた時に聞いた話だ。


「はい、覚えてます」

「最初は三年が使われてない教室を勝手に使ってたんだが、それがいつの間にか下級生にも広まったんだ。まあ、あまりいい使われ方はしてないし、集まる奴らも集まる奴らだけど」

「確かに、勝手に使ってる人たちにそれほど常識があるとは思えませんけど……。それが、何か?」

「少し前に、一年の空き教室に人がいたと情報が入った」

「……それが、まさか……?」

「それが、伊鶴のクラスの女子生徒なんだよ。だから俺は生徒会室で伊鶴の名札に書いてあるクラス名を見て、伊鶴がそのうちの一人で生徒会室が空き教室かと勘違いして入ってきたと思ったわけ」


 初めて知る情報に、私は耳を疑った。

 そうか、最初、あの時。先輩は本当に私が空き教室を勝手に私物化してしまう犯人だと思っていたのか。そして、何故そう思ったのか。その理由が、私のクラスにあったわけだ。

 

「そんな……。あ、だから、先輩は彼女達に心当たりがあるって言ってたんですね」

「ああ。人のもん取るなんて、余程じゃなきゃしないし、自分たちがやったなんて普通バラさないだろ? それをわかっててやってる奴らなら空き教室だって使うし、自分たちの部屋みたいにしてんだから隠すならそこだろ」

「成る程」

「で、多分まだその教室に犯人達いると思うわけよ」


 先輩が嫌そうな顔を作る。


「え? 何でですか?」


 何を根拠に、そう思うのだろうか。私なら、こんなことをした後に学園内に残ろうとは思わないけどな。


「何のために私物化してると思う? 学校にいる間は授業受けなきゃいけないから、その部屋使わないだろ?」

「あ、はい。確かに、普通に授業には出てますね」


 私が追いかけていた子達だって、授業は真面目とはとても言えないが普通に出席はしている。


「授業以外の時間にいるためだ。例えば、放課後とか」


 つまり、それは今となる。


「犯人達とかち合う可能性が高いが、いいのか?」


 心配そうに、先輩が私の顔を覗きんだ。

 本当に心配そうな顔をしている。こんな先輩、見たことない。

 そうか。この人はそんなことを心配して、私に待っていろと言っていたのか。優しさに気持ちが飲み込まれそうになる。

 優しさに、甘えた方がいいかもしれない。そっちの方が、私にとっても優しい世界だ。犯人である彼女達と対面しても、足がすくむかもしれないし、先輩に情けない姿を見せるかもしれない。

 でも、私は先輩に頷いてみせた。

 それは、待っているという意味じゃない。


「私が来たいとお願いしたんですよ。大丈夫です。私が、行きたいんです」


 今まで戦う決意をもって、あの子達の背中を追いかけていたのだ。戦うだけの、傷つくだけの価値がここにはあると。私はそう思ったから、追いかける一歩を踏みしめた。

 こんなところで尻込みなんて、もうしない。


「……本当に、伊鶴はかっこいいな」

「え? 私が?」

「うん。いつでもその真摯な態度に感服するわ」


 感服? 私に?


「俺に出来ないこと、全部伊鶴がやってくれる。凄いといつも思ってるよ」

「……恐縮です」

「伊鶴らしいな。……あの教室だ。正面は鍵が閉まってるけど、後ろの扉の鍵は壊れて開いてる」

「後ろから入ればいいんですね?」

「ああ。取り敢えず、先に俺が入ろうか?」

「いえ、私が入ります。意外に、見つかったからとすぐに返してくれるかもしれないじゃないですか。ちょっとだけ、私に時間をくださいよ」


 そんな可能性は、なによりも低いと思う。

 そんなことはわかってるけど、ここで、先輩の影にこそこそ隠れたまま事を見守るのだけは嫌だった。

 いつもみたいに、震えて、怯えて。それは諦めると同じ。

 そんなもの、ついてこないと同義じゃないか。

 

「伊鶴……」

「大丈夫ですよ。大丈夫、本当です」


 握っていた手を、私は静かに離した。

 大丈夫に根拠なんかない。けど、その根拠のなさに自信があった。

 今の私なら、大丈夫。もう、大丈夫。

 私は意を決して扉を開ける。

 その向こうには、私と追いかけっこをしてた鬼達がいた。


「あれ? 見つかった感じ?」

「えー。何で? もう来ないかと思った」

「誰がトロかったの? 罰ゲームでしょ?」


 私が立っているというのに、皆んな、私が見えない様に何も変わらずにキャッキャッと笑い合っている。


「封筒を返して下さいっ!」


 私は、それでも負けないと声を張った。

 こんな所で、負けてたまるか。おずおず帰れるわけがない。あの封筒を、取り返すまで。


「封筒って、何? 皆んな知ってる?」

「えー。知らない。何の話?」

「何か勘違いしてるんじゃないですかぁ?」


 見つかったのだと、返してやれだの、あれだけのたまっておいて。ここでシラを切るつもりだというのか。


「またいつもの、妄想?」

「ヤバくない? 現実と見分けがつかなくなっちゃったかー」

「私達何も知らないんですけど。大体さ、私達を疑ってるけど、証拠あるの?」


 証拠? 私は握っている手に力を込める。


「あるわけないでしょ! けど、貴女達は何で逃げたの!? 返してやれとか、見つかったとか、何のために言ったわけ!?」


 証拠を出せと言われれば、本当に犯人がわからずに怯えていたし、戸惑ってこれ以上は何も言えなくなってしまう。それくらい、私は弱かった。けど、もうそんな時間はない。

 李下に冠を正さず。

 もし犯人じゃないとしても、そのような振る舞いをした方にだって非はあるっ。

 こんなところで、押し負けていられるかっ!


「そんなことを言うぐらいなら、貴女達の方が私の封筒を盗んだんじゃないって証拠を出してよ!」

「はぁ? 証拠って何?」

「そっちが証拠を求めて来たんでしょ? だったら、そっちから証拠を出してよ」


 もう、他の場所に捨てられてる、燃やされてる。最悪な可能性は頭の中を浮かんでは消えていく。だけど、それは可能性でしかない。

 私の目で見たわけでも、聞いたわけでもない。そんな事実を信じて、碌な目にあった試しなんてないじゃないか。


「疑われてるのうちらの方なのに? 証拠なんてあるわけないじゃん」

「返してあげなよって言ったのは?」

「ノリでしょ? 本気にしてんの?」

「見つかったって、何で私に見つかるかどうか気にしてたの?」

「気にしてないし。何となく言っただけじゃん」


 埒があかない。

 こんなもの、何とだって言えるじゃないか。


「じゃあ、持ってるもの全部出して。何も出てこなかったら私が勝手に貴女達を犯人だと思ってたってことを、謝るから」

「はあ? 謝られても許せないんですけど」

「私も、許せないの。貴女達のした最低なこと」


 私だけじゃない。皆んなの気持ちを嘲笑ってくれたこと。

 私が睨みつけると、一人が口を開いた。


「だから、私達犯人じゃないって。鞄の中ぐらい見たいなら見れば?」

「ほんと、なかったらお前どうなるかわかってんだろうな?」

「泣いても許さないし」


 一人が、私の言葉に折れると他の子達も一斉に同意を示す。

 柔軟な対応だとほっと胸を撫で下ろしたかったが、何かがおかしい。

 矛盾している。

 まるで、チグハグな小説の様に。

 そもそも本当に封筒がここにないなら、私が鞄を出せと言う前に証拠として出してたんじゃないか?

 なのに一向に中身を出す気配すら見せずに、私の言葉を強く否定してきた。

 で、強く出たら鞄を見てもいい?

 何か、おかしくないか?

 そんなに簡単に折れるものなのか? あれだけ馬鹿にしておいて?


「早く見ろよ」

「うちらも暇じゃねぇーし」


 急かされる言葉達。

 でも、それは激しく同意したい。私も暇じゃない。こんな何もなさそうな薄い鞄の中を調べた所で何も出なければ時間の無駄だ。

 本当に、この人たちが犯人じゃないのか?

 本当に、偶然にもノリが現状に合ってしまっただけなのか?

 ふと、心が揺れそうになるが、そんなことはない。終わった後に、やっぱりとなるのがいつもの定石じゃないか。

 怪しい行動を取ったのだって、必ずわけがある。この対応だって、同じだ。


「……鞄には何も入ってないんでしょ? だから見せてくれるんでしょ?」

「はぁ? 見せろって言ったのお前じゃん!」

「持ち物を見せてって言ったけど、鞄を見せてきたのはそっちでしょ? そもそも、ここ空き教室だよね? 表の扉は鍵が閉まってるし、貴女達が勝手に使ってるんでしょ?」

「何? 先生にでも言う?」

「やだ、怖っ」

「ここを使うなってルールなくない? 勝手に決めてるのはそっちじゃん」

「否定しないなら、貴女達しか利用してな言ってことでしょ? じゃあゴミ箱も、貴女達しか使ってないんだよね?」


 ふと、目に止まった大きなゴミ箱。どこの教室にもあって、使われてないこの教室にもある。

 ここにいる人たちは、私の原稿になんか興味はない。

 ただ、私への嫌がらせのためだけに、あの封筒を盗んで隠した。今日、私が小説を持って来てることは泉美やクマとの会話で同じクラスなら誰でも聞ける。誰でも知ることができる。

 原稿に興味がない人間が、わざわざ嫌がらせのために取った封筒を破ったり、燃やしたり、まだ大切に持ち歩いてなんかいるだろうか?

 私なら、捨てる。

 そんなゴミ、いらないもん。

 でも、捨てる場所はどこでもいいわけじゃない.私が探しても見つからない場所じゃないと意味がない。

 ちょうどこの教室の、ゴミ箱の中の様に。


「ゴミ箱、見せてよ」

「うっざ! ゴミ漁ってキモい!」

「あり得ないしっ!」

「あり得ないのは、人のもの勝手に取った貴女達でしょ!? やっぱり貴女達が犯人じゃないっ!」


 ゴミ箱に向かって走ろうとした私の腕を一人が引く。


「痛っ!」

「ヤバいって! 早くそれどっかに捨てて!」

「離してよっ!」

「どこに捨てんの!?」

「どこでもいいから、早くっ!」

「離してっ! っ! 私の、原稿っ!」


 一人が急いでゴミ箱から取り出したのは、私の原稿の入った封筒だった。


「それを返してっ!」

「窓からでも捨てろ!」

「ま、窓?」

「やめて! 捨てないでっ!」

「早くしろよ! 捨てるくらいすぐ出来るだろ!」

「やめて! やめてよっ!」

「うるさいっ! いつもキモいんだよっ! お前みたいな奴が、会長と……」

「やめてっ!」


 一人が、窓の外で手を離す。

 原稿の入った茶色い封筒を。

 その時だ。


「退けっ!」


 扉が開いて、風の様に窓に向かって走っていく。


「……先輩?」


 そして。


「や、やだっ……」


 誰かの悲鳴が短く途切れる間に。

 先輩が封筒を追う様に窓枠を蹴って、窓の向こうに飛び出しだ。


「せ、先輩っ!!」


 嘘でしょ!? 先輩が……っ!

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