第8話 一人ぼっちの片想い

 咲かずに枯れる蕾だってある。

 最初から咲くことが決まっている小説とは違う。開かない花が胸から生える事だってあるのだ。現実というやつには。

 そう、私の恋心の様に。


「今日、ため息多くない?」


 お弁当を眺めながら吐いたため息を見て、クマが私に声をかける。


「うん。伊鶴、今日は特に元気ないよ。大丈夫?」


 特にとつけられているあたり、いつも元気はないみたいだ。

 でも、泉美とクマが言う事は正しい。

 私は今日の放課後に、どんな顔して相馬先輩に会っていいのかわからない。

 こんなことなら、恋心なんかに気付きたくなかった。

 あの楽しい時間は、もう帰ってこないのかと思うとぎゅっと胸を締め付けられる。


「うん、ちょっと色々あって……」


 日曜日、一日中先輩のことを考えていた。

 どうして、好きなんだろう。どうして、好きになってしまったんだろう。ずっと考えていたのに、答えはいつまで経っても出てきてくれなかった。

 最初は好きじゃなかった。断じて一目惚れなんかでは無い。顔が良い悪い関係なく、私の真逆で、よくわからないあの人が苦手だった。

 でも、先輩と接していくにつれ、心がほぐれる様に甘えていった。先輩の優しさに、どこまでも甘えていたのだ。私だけが特別ではないのに、特別だと勘違いして。私だけが先輩の気遣いに気づいていると思い込んで。

 恥ずかしい。

 そして、虚しい。

 残ったのは一握りの砂もなかった。掌に残るザラザラとした砂すら、わたしの掌には残らなかった。


「大丈夫?」

「うん。余り、寝てないからかも」

「小説のこと?」

「うん……」


 頷きかけて、私は箸を止める。

 私しか知らない、開かない花。でも、それでは可哀想じゃないだろうか。

 モモちゃんには言えなかった。

 私には過ぎたものだと、届かない願いだと呟くだけが精一杯だった。

 小説のお話にもならない。誰も知らない。私だけが覚えている。

 私にお似合いの地味で惨めで矮小なこの蕾が誰も知られずに萎れる姿を考えると、何だが急に可哀想に思えてきたのだ。

 二人には散々揶揄われた。恥ずかしいという気持ちもある。

 でも、そんな二人なら笑ってくれるんじゃないか。笑ってくれたら、自分も枯れた蕾を見て笑えるんじゃないか。そんな気持ちが私に口を開かせる。


「うんん。ごめん、違うの」

「小説じゃないの?」

「何か他のこと、あった?」


 心配そうな二人が私の肩を優しく叩いてくれる。その優しさに、今なら流されていいよね。

 私は、意を決して二人に自分の気持ちを吐き出した。


「私、会長のこと、好きになっちゃったみたいなの」


 優しさに甘える自分は汚いかもしれない。でも、もっと汚くなりたくない。

 これ以上、惨めで可哀想は嫌だった。

 そして、苦しかった。一人で枯れるだけの蕾を見ることが、嫌だった。

 二人は私がそう吐き出すと、顔を見合わせる。どう、慰めたものだろうか。そう考えているのだろうか。そう思っていたのに。


「え、……えーっ!?」

「えっ!? 伊鶴がっ!? えっ!? 何で!?」


 慌てふためく二人。

 え?


「何でって、一緒に水族館行ったから?」


 気付くきっかけの話か?


「え!? いつ!?」

「何で!?」


 また、何で?

 あー、金曜日の放課後のはなしだもんな。二人にはそう言えばまだしてなかったか。急展開すぎで、私の中でも時間軸が微妙に崩れているのがわかる。

 そりゃね、好きだとわかった瞬間から諦めなきゃいけなくなったわけだし。


「土曜日に、相馬先輩がペアチケットあるから入場料浮くって、誘われて?」

「デートじゃん!」

「いや、違うから。なんて言うか、付き添い兼案内的な? 先輩はさ、チケット使い所がなくて困っていただけだし、私は水族館に取材に行きたかった。二人の利害が一致した結果だよ」


 そんな都合のいい話はないだろう。ペアチケットがあると誘われただけじゃん。そこには何も無いわけで……。


「そんなこと、あるわけないでしょ!? 伊鶴、それはおかしいって!」

「え? 普通じゃない?」

「バカバカっ! よく考えてみてよ。わざわざどうでもいい奴に使うわけないって!」

「でも、先輩も……」

「いや、だからね一緒に行くわけなくない? わかる?」


 その時だ。

 クマと私が言い合っていると、泉美が私達の前に手を伸ばした。


「いや、待って? そんな事より、会長から相馬先輩に名前呼びに変わってるのはなんで? 名前呼びだよ? 明らかに金曜日までは会長だったでしょ? こっちの方が重要でしょ!?」


 え、そうか? そして、何この熱量。


「恋愛ってね、個々の認識の間に生まれる感情なの。名前は個々を認識するのに大切なファクターなのよ」


 ファクター? 横文字? 要因?

 何故急に!?


「泉美……さん?」


 何かいつものおっとり優しい泉美とは違う感じがするんだけど……?


「で、何で名前で呼んでるの?」

「何でって、また? えっと、外で会長って呼ぶの人に笑われて、恥ずかしいし会長じゃなくなったらどうするんだと先輩が言う話から、相馬先輩って呼ぶことになった、かな?」


 簡潔に纏めるとこんな感じ。


「と言うことは、会長から言い出し感じ?」

「はあ、まあ」


 そんな感じ。


「クマちゃん、もういいわ。戻って」

「おっす、ボス」

「え、何? 何? 何が始まるの!?」

「伊鶴、もう一度言うわね。しっかり聞いて」

「え、はい……?」

「普通は、取るに足らない人と水族館には行かないものなの。何故なら、水族館にはアトラクションがないから」

「アトラクション?」

「そう。アトラクションがない水族館デートで求められるものは二つ。一つは二人の会話を楽しめるか。純粋に話していて楽しいか楽しくないか。これはあの長い距離を共に歩いて見て楽しむだけのことが出来るかどうかに繋がるの。これは重要。そして、もう一つ。その人といて時間の消費が苦じゃないかどうかよ」

「時間の消費?」

「水族館に何時間ぐらいいたの?」

「え、時間? えっと、十時から十六時までだから……」

「六時間っ!」

「あ、うん。そうだね。でも、それは元々決まってたし、相馬先輩にも了承を得てたし」

「六時間あれば、伊鶴は何する?」


 え? 何で今回はこうも急なことを泉美は言い出すのか。


「六時間あれば、小説読んだり、書いたりするかな?」

「大切な時間よね?」

「うん」


 小説がなによりも一番好きなのだ。書くのも読むのも。時間があれば、それに全てを注ぎたい。


「その六時間を、よ? 会長は伊鶴に使おうと思ったの。わかる? 使ったんじゃない、使いたかったの」


 それって……。


「私が申し訳ない事をしてしまった、と?」


 いよいよ合わせる顔がない。


「違うって。じゃあ、もっと簡単なこと言うね? 使わないチケットを何で会長は伊鶴にあげなかったの? わざわざ自分がついてくることないし、伊鶴だってチケットを貰ったら私やクマちゃんを誘ったし、無理なら大地君や航太君誘ったでしょ? 最悪一人で使えばいいじゃん。それをさせなかったのは何で? わざわざ六時間もかかるってわかってたんでしょ? それに付き合うって、余程仲が良くなきゃどんなに暇でも私は付き合おうと思わない」

「何でって……」


 え? 何でだ?

 そう言われると、何で相馬先輩は私と一緒に水族館に行ったんだ?


「そして、極め付けは名前の件。わかってる? 伊鶴。その話を簡潔にすると、会長辞めても会長と仲良くお話しますってことだよ? この学園、会長辞めるの卒業式までじゃん。卒業しても、会長は伊鶴と仲良く同じする気満々ってことじゃない?」

「……それは」


 それは?


「よって、私、酒井泉美は会長は伊鶴のことに好意があると思います」

「熊谷彗も思います」

「ちょっと待って、二人とも! 私だよ? 私にだよ!?」


 根暗で、愛想もなくて、楽しいこと話せないし、小説書くことしかしてないし、可愛くないし、小さくもないし、巨人ってあだ名だし、女とは思えないって、大兄ちゃんにも言われてるのに!?

 そんな私を?

 あり得ないっ!


「うん。客観的に見て、そう思います」

「泉美に同じ」

「わ、私なんか、先輩絶対好きじゃないよっ。だって、私、先輩と違うし、真逆の人間だしっ、可愛くないし、体だってデカいし、他の女子みたいじゃないし……」

「いや、好きじゃなきゃ名前呼べよとか言わんでしょ?」

「水族館ついてこないでしょ?」

「あ、あれはボランティア的な感じで、名前だって……、そんなこと、考えてもいないとかあって……」


 あって……。


「それに、私なんか、好きになってもいい事ないしっ。私だって……っ、私なんかが先輩を好きになっても、いい迷惑になるだけだとわかってるし……」

「何? 会長にそう言われたの?」

「……言われては、ないけど。そんなの、考えたらわかるよ。先輩のこと、みんな好きじゃん……。その中に私が一人入っても、選ばれるわけないし。ただの後輩の一人だし」

「成る程、伊鶴は諦めてるわけだ。好きなのに、諦めてるわけだ」

「成る程ね。でも、私は会長が水族館一緒に行った女の子は伊鶴だけしか知らないよ。あれだけ噂の多い会長のそんな話、聞いたことないし。それに、毎日放課後の会ってるのも伊鶴だけしか知らない。もう、これって十分選ばれてるとは思わない? クマちゃん」

「ただの後輩の一人である私達のとは随分と違うと思わない? 泉美」


 それは……っ。


「たまたまで……」

「ま、会長が伊鶴のことが好きかは確かに言い過ぎかもね」

「そうだね。好きは言い過ぎかも。だけど、普通の、その他大勢よりは一歩先に出てるのは確かっ」

「そっ。諦めるのも大事かもしれないけどさ。伊鶴、最近楽しそうだったよ」

「うん。小説のこともあるかもだけど、毎日楽しそうに放課後待ってたよ」

「楽しそうだった……? 私が?」


 思わず、頬を隠したくなる。

 そんなに前から? そんなに前から好きだったの? 私、先輩のことが。


「めちゃくちゃ、ね!」

「伊鶴、別に好きになったからって告白しなきゃいけないなんてルールはないよ」

「へ?」

「諦めるのもいいけど、楽しならもう少し頑張ってみたら? と、思って」

「そうそう。片想いでもいいじゃん。どうせ伊鶴は告白なんて考えてもないわけでしょ? なら、一人で楽しめばいいじゃん。好きなら嫌いになるまで、ずっと好きでいて、いいんじゃない? ドキドキ楽しみなよ」

「クマちゃんの言う通り。片想いも、楽しいよ」


 そう言って、泉美が笑う。

 なんだか、笑う二人を見て気が抜けてしまった。ダメだ駄目だと言う気力さえも。

 片想いを楽しむ、か。


「考えてもみなかったな……」


 諦めることだけを考えていた。告白して、付き合うことはできない。選ばれない。そんなことばかりが頭の中にあった。

 でも、クマや泉美の言う通り、告白なんてしなきゃいけないわけじゃない。一人でこのドキドキを楽しんでいいんだ。

 相馬先輩は、私が先輩のことを好きだということはまだ知らない。

 そして、好きになることはない。いつかは諦めなきゃいけない。

 それでも、今すぐに諦めることはないんだ。

 私は、まだ先輩と話したい。一緒にくだらないことで笑いたい。私一人がドキドキしているのは、ちょっと恥ずかしいけど。でも、そのドキドキは先輩には届かない。


「うん……。もう少しだけ、先輩に好きな人が出来るまで、好きでいようかな……?」


 私が恥ずかしそうにそう呟くと、二人が私の肩を強く叩いた。

 激励のつもりにしては、随分痛いけど。けど、悪くはないかも。二人になら。


「でも、何で泉美そんなに恋愛詳しいの?」

「彼氏でもいんの?」

「え、いないよ? 全部人生の教科書から教えてもらったことだから」


 そう言う泉美の目がどことなく怖かったのは、また別の話。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


「ほら、写真」

「ありがとうございます」


 放課後、写真を受け取りに生徒会室に行けば、相馬先輩からUSBメモリを差し出された。


「いい写真しかないからな。感謝しろよ?」

「失敗したの入れなかったんですか? 私、気にしませんよ?」

「失敗してないってことっ」


 そう言った相馬先輩を見て、思わず私は吹き出してしまう。


「え? 今の何か面白かった?」

「いや、違います。何か先輩、いつも元気でえらいなって思って」

「お前、俺のこと幼稚園児だと思ってない?」

「そんなことないですよ」


 色々一人で考えて、泣いて、落ち込んで、吐き出して。そんなことが先輩の顔を見ただけで、馬鹿みたいに思えてくる。

 わかってる。自分が選ばれないのは、わかってる。

 一人で好きなだけ好きでいていいと、二人が背中を押してくれたお陰で、私はまだ先輩を好きでいられる。

 先輩が誰かを選ぶまで。

 私の花は咲くこともないが、枯れることもない。


「写真のお礼に今度は私が飲み物を奢りますよ」

「別にいいよ。あ、USBメモリも使ってないのだし、貰ってくれていいから」

「いや、尚更奢らせてください。借りはなるべく作って置きたくないので」

「武士なの? 俺、敵なの?」

「武士ではないですけど、敵でもないですよ。自販機までパシって来ますけど、何がいいですか?」

「えー。急に言われても。自販機何売ってるかわかんないから、一緒に行くか」

「え? 三年の校舎側にあるのに、普段行かないんですか?」

「……ま、そんな感じ。ほらほら、行くぞ」


 でも、まだ少し隣を歩ける。

 それが嬉しい。

 もっと、もっと。一緒に歩きたい。一緒にいたい。それが永遠にならなくてもいいから。


「なんか、今日の伊鶴はよく笑うな。いい事あった?」

「え? そうですか? すみません、気持ち悪いですよね」


 自分の顔がそんなにも緩んでいるとは。自制心がない自分を罰するように思わず顔を隠そうとすると、指の隙間から先輩の顔が見える。


「水族館の時も思ったけど、伊鶴は笑ってる方が可愛いって」


 ねぇ、クマ。泉美。

 これは、自惚れてしまってもいいのだろうか?

 これは、勘違いをしてしまってもいいのだろうか?

 いいのだろうか?

 春を待ちわびる、蕾が綻ぶ。

 一歩踏み出す先を夢見ながら。


 でも、それは奈落の先だった。


 だってここは、小説の世界じゃない。現実だ。私と先輩だけの世界じゃない。

 ここはいつでも酷く冷たい、現実だもの。

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