私が小説を書くときは

富升針清

第1話 初めての生徒会室

「で、何でここにいたの?」


 目の前にいる生徒会長の圧に、思わず私は顔を伏せることしかできない。

 何故一般性である私が放課後に一人生徒会室にいたのか。

 生徒会長は早くその答えを私に言う様に促してくる。

 でも、無理。

 そんなこと、絶対に言えない。特に目の前にいる、私とは絶対に相容れない反対側の代表の様な人に。


「お前、一年だろ? 黙ってるとずっと帰れないよ?」


 血の気が引く音が自分の顔から聞こえてくる。

 冗談でしょ? そんな気持ちで勢いよく顔を上げると夕日に照らされた生徒会長の顔がパッと笑顔になった。


「お、やっと顔上げたな。うち門限ないから夜中まで付き合えるぞ」


 生徒会長が笑顔になると、可愛いとかカッコいいとかどよめき出す女子生徒の気持ちが本当に理解できない。

 いくら顔がカッコ良くても普通に、圧が凄いし、怖いんだけど。

 ずっとこのままなんて、絶対無理っ!


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 事の起こりは酷く単純なものだった。私の憧れでもあり、ネットの友達である姫乃ひめのモモちゃんから来たメッセージが全ての始まりだと言っても過言じゃない。


『アンズは、この賞に出さないの? アンズには向いてると思うんだけどな』


 昨日の夜、いつもの様にメッセージを送り合っていると、突然彼女から小説の公募URLと一緒にメッセージが送られてきた。

 私はWeb小説サイトで笹野ささのアンズとして細々と余り読者のつかない小説を書いている。完全に自己満だし、まだまだ小説を書き始めて半年と言う事もあり人に読ませる様な実力もない。長編だって、ついこの間にやっと一本書き終わったばかりの初心者。


『出さないかな。私なんか出しても誰も読まないよ』


 だって、私は初心者だし。今だって、そんなに人に読まれてないし。次から次に湧き上がる駄目な理由を並べていると、モモちゃんからそれを上書きする様にメッセージが返ってきた。


『アンズ、私はアンズの話面白いと思ってるんだからね。謙虚なのはいいけど、いつまでも自信がないのは駄目だよ。いい機会じゃん。私も手伝うから、一度出してみなよ。Webサイトの掲載と違って郵送すれば出版社の人しか読まないし、読まれないなんて有り得ないからっ』


 そんな事、言われても……。

 モモちゃんは、私の二個上なのにWeb小説で皆んなが読んでる恋愛小説を書いている女の子。ブックマークやコメントなんて簡単に数千がつく程の大人気で、私なんかとまったく天と地ほど差があるのにずっとファンだった私と仲良くしてくれてる優しい子。


『でも、私公募なんてしたことないし……』


 何をしていいのかも、わからないし……。

 場違い過ぎだと思うんだ。


『でも、小説は書いてるっ! 公募なんてこれが出来てれば十分だよっ』


 でも……。

 次の否定の言葉が私の指から溢れる前に、モモちゃんからのメッセージが表示される。


『私はアンズの新しいお話読みたいな』


 私の小説には読者が少ない。本当に、数としては数人だけ。その中で、声を掛けて応援してくれるのはモモちゃんだけだった。

 こんなに仲良くなったのも、モモちゃんがこんな私に声かけてくれたのが始まりだった。私の小説でコメントくれたよね。貴女の小説、とても面白かった。続き楽しみにしているね。たったそれだけの短い文章。それでも、初めて言われた顔も知らない人からの応援。胸が熱くなったあの時の気持ちは今も忘れられない。その勢いで、私は念願の長編を完成することが出来たと言っても過言じゃない。

 結局、作者は読者におねだりされると弱い生き物なのだ。この笹野アンズこと、蟹江伊鶴かにえいつると言う人間は特に。


『落ちたら、慰めてね?』


 もう、言い訳を言うことすら私は諦めたように手を止める。


『何言ってんの? アンズの小説通さない奴なんて見る目無さすぎっ! 大丈夫だって。それより、どんな話にする? 恋愛小説でしょ? やっぱり学園モノにしちゃう? それとも、前言ってたファンタジー?』


 モモちゃんは私を乗せるのがとても上手いと思う。


『学園モノかな』


 画面の向こうで苦笑しながら、モモちゃんに言葉を返す。でも、本当に私なんかが出していいのかな……?

 モモちゃんは面白いって言ってくれるけどモモちゃん以外に言ってくれる子はいないし、それに私の小説なんて……。


『アンズ、まだ自信なさそうだね』


 思わず胸が跳ね上がる。

 今考えていたことが、モモちゃんにバレた気まずさに思わず画面から目を背けてしまう。モモちゃんが折角応援してくれてるのに、まるで信用していないみたいな自分が後めたい。


『自信がないのは、物事をしっかり書けてない後ろめたさがあるからっ。取材をちゃんとしないからだよっ』

『取材?』


 小説を書くのに聞き覚えがない単語を、私は復唱しながら問いかけた。

 取材って、新聞とか記事を書く人がやるものだよね。インタビューしながら。私の書く小説には関係ないんじゃない? モモちゃん、何か間違えているのかな?


『取材って、人にするだけが取材じゃないよ。例えばさ、学園モノだと音楽準備室とか普段使わない教室とか出てくるじゃん? それを想像で書くとどうしてもあやふやになったりしちゃわない?』


 音楽準備室はもとより、確かに入ったことない教室とかを出そうと私の文章もフワフワしちゃうかも。


『元々存在しないモノはいいけど、現実にあるとなるとこれで合ってるかわからず自信無くならない? そう言う不安要素を潰してくために取材するの。人に聞くのもいいし、実際に自分の目で捉えて情報を集めるっ。これが、取材だよ』


 成る程。確かに、全体的に自信がない私だけど、特に自分の知らない知識や景色を書くときは一番自信がないかも。合ってるのかもわからないし、実際に知ってる人達に笑われてしまいそうだと思わず縮こまってしまう。


『アンズ。神は細部に宿る、だよ? 不安なら、取材しちゃいなよ。私ら中学生なんだし、折角学校に通っているなら使わない手なんてないでしょ?』


 そう、だよね。

 もし、これで自信がつけば、いつもみたいにウジウジしなくてもいいかもしれない。モモちゃんに背中を押されて、少しだけ気が大きくなっていく。

 少しだけ、頑張ってみようかな。モモちゃんの期待に応えられるかな。


『ありがとう。今度やってみるよ』


 まさかこの時、さっそく明日からやってみようだなんて誰が思っただろうか。

 私だって思わなかった。

 けどモモちゃんとの会話が終わってベッドに入る頃には、私の脳内は新しい話を作り始めるのに忙しなく動き始めていた。

 主人公が出来て、相手の男の子が出来て、出会って、何も知らない二人から恋が始まって。

 目まぐるしく沸き起こる創作の泉に、私は呑み込まれる。

 明日も学校。寝なきゃいけないのに。いい子の私がどんなに耳元で囁いても、泉の中で溺れている私の耳には届かない。ベッドから起き上がって創作ノートと題打った大学ノートにペンを走らせた。

 二人の出会いは図書館。二人とも本が好き。でも女の子はお洒落が好きで派手なグループに属しているから、本が好きな事を真面目っぽいって隠してる。ある日人のいないはずの図書館で本を借りようとすると、自分の好きな本を手に取る男の子を見かけて、その子に興味が出る。彼を追いかけると、そこは……。

 その先でピタリとペンが止まる。先程まではまるで生きている様に、自由自在にノートの上を駆け回っていたのに。

 相手の男の子は女の子とは真逆の性格。優等生で生徒会の会計。会計って真面目そうなイメージあるし、頭良さそうって思ったけど……。

 そもそも、私自身が生徒会なんてよく知らない事に気が付いた。去年までいた小学校でも、生徒会なんて誰かがやってるぐらいの意識だったし、彼らが生徒会としてなにをやってたのかなんて知らないし、生徒会室がとんなものかも知らない。

 だから、二人が初めて顔を見合う予定の生徒会室の内容にペンが止まってしまったのだ。

 こんな所で止まるだなんて。設定を変えるべきなのかな。そもそも、ありきたり過ぎる? 男の子は地味だし、イケメンでもないし、これならもっと派手な運動部の男の子を抜擢するべきでは?

 上に書いたキャラクター設定の項目を見て、男の子の地味の文字を指でなぞる。

 私でつけた設定だと言うのに、どうもその文字に私は親近感と言うよりも同情に近い気持ちを抱いていた。

 私も、地味。

 話し下手だし、いつもウジウジしているし、本ばかり読んで、小説を書いてるって今のクラスの皆んなにバレた時は笑われたり馬鹿にされたりした。根暗だから、そんな事をされても何も言えないし言い返せない。嫌いな自分。

 地味を理由に、この子はいなくなっちゃうの? それって、とても酷くない?

 どうしても、彼を捨てたくない。無くしたくない。ノートを見ているうちに、そんな気持ちばかりが膨れ上がる。

 でも、このままじゃ話は進まないし……。

 あっ、と小さな声が漏れる。そうだ、モモちゃんが言っていた取材だ。取材をすればいいんだっ!

 見学がしたいと言えば簡単に生徒会室ぐらい入れるし、どうしてと言われたら生徒会の仕事に興味があると答えればいい。

 私はウキウキしたまま再度ベッドに飛び込んだ。

 この時までは、なんて完璧な計画なんだろうと目を爛々とさせながら暗い天井を見上げていた。

 まさか、こんな事になるなんて。恐らくモモちゃんですら考えてはいなかっただろう。


 私は次の日、完璧な計画を元に放課後生徒会室の扉を叩いた。

 だけど返事はない。誰もいないのだろうか。扉を開けると、そこは整理整頓が行き届いた綺麗な教室だった。思わず、足を踏み入れる。何が入っているかわからない背の高いロッカーが黒板とは反対側に並んでいる。

 ここが生徒会室。主人公と男の子が出会って、声をかける場所。

 気持ちが込み上げる。男の子はこの机に座っていて、女の子は薄く開いた扉の隙間から中を覗いてる。それで、女の子はもっと男の子を見たくて体勢を崩して中に倒れ込む。

 それを男の子が呆然と……。

 くるりと扉の方を振り向くと、ガラリと音を立てて扉が開く。


「え? お前、誰?」


 そこには、この学園の中等部で知らない人はいないだろうという有名人がいた。

 文武両道、容姿端麗、頭脳明晰、一笑千金、三面六臂、全知全能、陽キャラ首領と噂高い生徒会長が。

 呆然とするのは男の子ではなく、私の方だった。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 何であの後、用意したきた言い訳も使わずに走って逃げようとしちゃったんだろ。

 時間が経てば経つほど、嘘くさいあの言い訳が口から出せば腐りモノの様に思えてきて吐き出せない。

 結局、逃亡に失敗した私は生徒会長に捕まり席に座らされてこの様な拷問を受けている。かと言って勝手に生徒会室に入ってしまった手前自分に非があるのもわかる。でも、多分謝っても許してはくれない。……気がする。

 学校中の女子生徒にキャアキャアと騒がしい声を上げさせる顔も、私にとってはただただ責められている様に感じる。じっと見つめられるのも正直罪の意識を突かれている様で辛い。

 こんな地獄を、本当に私が喋るまで? 夜中までやる気なのだろうか。流石に冗談だよね? でも、捕まってから一時間はこうしてるし、もしかして本気? 顔色を伺うように盗み見るも、目が合ってしまう。え。ずっと私の事見てるの? 監視というだけで? 無性に夜中までも付き合うと言う言葉が本気な気がしてきた。

 でも、何で生徒会室に入っただけでここまで? 鍵だってかかってなかったし、何より学園内の教室には違いない。確かに、勝手に入ったのは悪い事だけど、そこまで罪だとは……。いや、待てよ? アニメや小説で生徒会って会計もいるぐらいだしお金とか扱ってるとか? あの大きなロッカーの中には大きな金庫が入っているとか? だとすると、私……。


「わ、私何も盗ってないないですっ! 本当ですっ! ここに金庫あるだなんて、知らなかったし、ここに来たのは自分の書いてる小説に生徒会室を出したくて……っ! わ、私、泥棒じゃないですっ!」


 生徒会長に、私の事泥棒だって勘違いされてるっ!?

 これは、不味いでしょ。親呼び出しどころの騒ぎじゃないよ。最悪停学だって……。顔を真っ青にしてそう叫ぶと、ぷっと吹き出す音が聞こえる。

 え?

 顔を上げると、今度は私の代わりに顔を下に向けて小刻みに肩を揺らしてる生徒会長の姿が目に飛び込んできた。

 え? もしかして、笑ってる?


「ご、ごめん、笑って。金庫って……、こんな所にないから……」

「へ?」

「どろ、……泥棒とか、思ってもないから……」


 そう言っても尚、会長の肩は震えている。

 えっ?

 ザーッとまた血の気が引いていく。勘違いで私、小説って……。言っちゃったよね?

 今年の五月にクラス中に笑われた苦い思い出が蘇る。私が小説書いてるって、同じ中学の男子がバラして、皆んなが笑う。キモいとか、妄想とか……。また、私皆んなに笑われるの? しかも、生徒会長にこんな秘密バレたら学校中に……。

 明日から私は……。


「はーっ。笑ってごめんな。想像してない答えだったからクリティカルヒットしたね。そんな事疑ってないし、金目のものなんてここにはないから」

「え、あ、はいっ」


 笑い切った顔を上げて会長が私を見る。


「最近、勝手に空き教室を私物化してる奴がいるんだよ。ここ、倉庫みたいだろ? 勘違いして入り込んだのかなって思って聞いただけ。えっと、名前は?」

「え? 私、ですか?」

「他に誰か見えるなら怖い話になるけど?」

「あ、見えないです。一年C組の蟹江伊鶴です」

「蟹江ね。俺は生徒会長の……」

相馬雄也そうまゆうや、先輩ですよね。流石に存じ上げてます」


 だって、この学校で一番有名人だもん。


「あ、そう。そろそろ最終下校時間になるからここ閉めなきゃいけないんだけど、見学したいなら明日また放課後来いよ」

「え?」


 思わぬ会長の申し出に私は戸惑いを覚えた。もっと、馬鹿にされるとか、他にあるんじゃないの?


「何? あ、本当に夜中まで問い詰めるとか信じてた? そんなわけないだろ。普通に先生に怒られるって」

「え? 嘘、なの?」


 それは信じてたっ! だって、やりそうな顔してたもんっ。


「嘘に決まってるだろ。ほら、鍵閉めるから出た出た」

「あ、はいっ」


 急いで鞄を掴み生徒会室から出ると、会長は鍵をしめる。何だかそんな光景ですら不思議な事に現実味が湧かない。

 馬鹿にされなかった。嘘はつかれたけど。小説の事で揶揄われなかった。違うことで揶揄われたけど。明日また来いって言われた。明日、また……。

 明日、来ていいっていたよね? 本当に、言ったよね。思わず、確信が欲しくて私の口が開く。


「あのっ、本当に明日来ていいんですかっ?」

「いいよ。今日みたいに俺しかいないけど」

「あのっ、何で、いいんですか……? 小説書いてるって私、そんな下らない理由で……」

 

 下らない事でしょ? 皆んな笑う事なんでしょ? 私なんて……。


「だって、小説書くのに必要なんだろ? 勇気だしてここに来たのに、ダメって言う人間いる? 俺は少なくとも、同じ学校の生徒として応援したいと思うけど。じゃ、俺鍵返しにいくから。蟹江は真っ直ぐ帰って小説書くの頑張れよ」


 それだけ言うと、会長は私に手を振り一人先に廊下を歩いていく。

 今、頑張れって。応援したいって……。

 本当に言ってくれたのか自信がなくて、会長の後ろ姿を見ようと振り返ると会長も私の方を振り返った。

 そして、遠くで。


「蟹江、気を付けて帰れよー!」


 大声で手を振る会長に、私は深くお辞儀をする。

 ああ、矢張り。小説を書く人間とは弱くて、単純な生き物なんだ。そんな言葉だけで、早く話の続きを考えたいと胸が高鳴ってしまうのは。

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