第23話 危機

 房に戻ったヴァンをフロイとレザルが出迎えた。鍵を手に入れたことを伝えると、二人は大いに喜んだ。だが、そのまま良い報告だけで終わらせる気はなかった。話す気は起きなかったけれど話さざるを得ない。自分のしたこと、罪を知って欲しかった。

「俺は人を殺したんだ」

 ヴァンが絞り出すようにいうと、フロイはどうしていいか分からないというような表情を浮かべたが、最終的にただ黙って寄り添った。レザルは同調こそしなかったが、「仕方なかったんだろ」と一言だけいった。

 手の感触がまだ残っていた。ヴァンは拳を握って開いた。柔らかい肉の感触と、硬い骨を打つ感触が指紋のように刻まれている。

 俺は、この手で……殺した。殺してしまった。

 ヴァンは両手で顔を覆う。

「どうする」レザルが冷たくいった。「その、カイゴって奴が死んで、バルザイたちが黙ってるわけないだろ」

 フロイが「レザル!」という。「そんな急にいわれても何もできないよ。ヴァンさんも人間なんだよ。混乱だってするでしょ。ちょっと待ってあげてよ」

「待てるわけないだろ。じゃあ、このまま犯人捜しが始まるのを待つか。それとも、カイゴは看守同士のいざこざで死んだって判断してくれるのを願うか」

 レザルはやけになっていた。本心じゃないことは分かっていた。

「僕だって……」とフロイが声を落とす。「僕だってそんなの無理って分かるよ。でもさ、ヴァンさんは僕たちのために行動してくれたんだよ。危険を顧みずに。下手したら自分が死んでたかもしれないのに」

 レザルは言い返すことはなかった。

 沈黙が降りる。

 フロイが自分を擁護してくれた。でも、ヴァンは素直に受け容れられなかった。カイゴを殺した罪の意識は当然ある。その上で、フロイが自分たちのための行動だと信じているところがヴァンの良心を苛んだ。本当は自分一人が助かるためだけなのに。

 ――と、突然けたたましい音が頭上から鳴った。

「うっ……何、この音」フロイが耳を押さえてしゃがみ込む。

「分からねえ。でも考えられることは一つだけだ」

 あまりの音の大きさにヴァンは眩暈がしてきた。頭がおかしくなりそうだと思ったとき、急に音が小さくなる。

「止まったの……??」フロイがくらくらしながらいった。

「止まった。でも、災難はこれからみたいだぜ」レザルが静かにいって、房の外を見る。

 暗がりのなかから足音が聞こえる。囚人が広場の方へ向かっていく。

 ヴァンは分かっていた。これから起こることを。

「俺たちも行かないと」ヴァンはいう。

 地獄への行進が始まる。そうして、点呼が始まった。


 広場に囚人が集められた。無理やり起こされた囚人は不機嫌な顔をしていたが、バルザイを認めるとすぐに緊張の色が浮かぶ。

 ただ事じゃないと、誰もが察していた。バルザイを守る親衛隊も心なしかいつもより周囲を警戒しているように見える。

 バルザイが口を開く。「お休みのところ申し訳ございません。ですが、緊急の事態のためこのようなかたちとなってしまいました。わたしは、みなさまに悲しいお知らせをしなければなりません。先ほど、わたしたちの同胞が殺されました」

 息をのむ音が聞こえた。囚人の誰もが音を立てないように静かにバルザイの話を聞いていた。 バルザイは続ける。

「その方は優秀で、未来ある若者でした。将来的には私の親衛隊として身辺護衛をお任せするつもりでした。それが……なんと惨い。その先の路地で血を流して死んでいたのです」

 バルザイはわざとらしく、袖を目に当てる。次にバルザイが腕を下げたとき、涙は見えなかった。代わりに充血した怒りに震えるバルザイの顔があった。

 バルザイが演台から降りる。「ここに集められたのは第四拾二地区の囚人の皆様です。もうお気づきですよね。私達の同胞を殺めた、憎き本物の囚人はこのなかにいるのです」

 ざわめきが広がった。しかし、バルザイの凄みに、すぐに皆顔を伏せる。

「私は罰を与えなければなりません。それが残された家族、仲間にとってのせめてもの償いです。さあ、今ならまだ間に合います。名乗り出てください。大丈夫ですよ。苦しまずに一瞬で逝かせてあげますから」

 バルザイは話を締めくくり、一列に並ばされた囚人の前をゆっくりと進む。目を合わせる者などいない。バルザイは普段の態度を装っていたが、口調や目には明らかな怒気が含まれていた。目が合ったら殺される――ヴァンは震えながら、ただ見つからないことを願っていた。

 囚人同士の殺人は問題ない。食料の節約になるし、そもそも無価値な移民なのだ。しかし看守の殺人は認められない。それは囚人を監督する側であるから。たとえ実態が嘘であっても、つまり看守が別の街の移民だったとしても、この鉱山の囚人に真実がバレてはいけない。バレてしまったら全てが崩壊してしまう。だからこそ、バルザイはその秘密を知ってしまったかもしれない囚人を炙り出そうとしているのだ。

 バルザイがゆっくりと左右に首を振った。「本当に誰もいわないのですね。私は失望しました。では――」

「待ってくれ!」男の声だった。「俺はやってない。そ、その時間は工具の手入れをしていた。同房のこいつらが承認だ。だから」

 男の声をかき消すような轟音が耳をつんざいた。男はしばらく立っていたが、何が起きたか分からない様子で、膝を折ってその場に倒れ込んだ。

 一瞬のことヴァンは目を剥いた。バルザイの鉱石が光っている。鉱石を使ったのだった。

 バルザイが虫の息の男に近づき、哀れむような視線を送った。「忠告、その一。人の話は最後まで聞きましょう。決して遮ってはいけません。忠告、その二。私は犯人に名乗り出てください、といいました。無罪かどうかなど聞いていませんよ。私の忠告を胸に留めて生きていただきたかったのですが……残念ですね。その体ではもう遅いようです」

 すでに男は息絶えていた。バルザイが血だまりに触れないように、男の瞼を閉じてやる。

 それまで黙っていた囚人が一斉に騒ぎ出した。半狂乱で叫ぶ者、尻餅をついて動けない者、逃げようとする者。様々な反応があったけれど、バルザイと看守はいとも簡単に制圧した。ペンダントの鉱石を掲げれば動ける者などいるわけがない。バルザイと看守は走り出した囚人を的確に射貫いた。一人また一人。人の命が一瞬で、遊戯のようになくなっていく。現実味のない凄絶な光景をヴァンは信じられないでいた。バルザイにとって移民は物。また補充すればよいと考えているのだろう。

「早く、正直にいってください」バルザイが苛立った。「時間は有限なんですよ」

 再度並ばされた囚人たちの元へバルザイは歩き出す。 

「教えてください。あなたはあの時間何をしていましたか」バルザイが一人ずつ話を聞きに来た。聞かれたソイツは、赤子のように泣いて失禁した。バルザイは「あなたのような人には殺人はできないでしょうね」と侮蔑するようにいった。

 ヴァンは動けない。諦めに近い感情を持っていた。

 犯人が発覚するのは時間の問題だった。バルザイの尋問から逃れることはできないだろう。隙のない質問、真実を見抜く目、圧力……。

「お願いだ、た、頼む。助けてくれ! うわああああああああああ」

 また一人、人が死んでヴァンは目を背けた。これ以上無関係な人が死ぬのは見たくなかった。

 今、バルザイはヴァンからそう遠くない位置にいる。

 近づいてくるごとに体が冷たくなってきた。耐えきれない。正直に話せばこの苦痛から解放されるのだろうか。そもそも、殺したのは自分だけなのだから、死ぬのは自分一人で充分だ。

 でも、と思う。サリュとの約束を果たせなくなる。俺は誓ったんだ。だから――。

 ヴァンは左右のフロイとレザルを見る。フロイは体が震え今にも崩れそうだった。レザルはバルザイを睨んでいた。

 レザルに罪を押しつけよう。レザルはバルザイ、ひいては体制側を憎んでいた。看守を殺す動機になり得る。

 ジオジー、チーノ……。俺は沢山の人間に裏切られてきた。レザルもフロイも上っ面だけいいだけに決まっている。いつ裏切られるか分からない。自分さえ助かればいいんだ……。

 そもそもコイツらが自分を生け贄に出さない保証なんてない。

 やられる前にやる……。俺は学んだんだ!

 なのに――。

「ア、アイツだ」絞り出した声で誰かがいったのは、ヴァンがそう決断したときだった。「あの新入りの……ヴァンとかいう奴が犯人じゃないのか」

 その声はヴァンから数人隣から聞こえてきた。

「そうだ、俺も見たぞ」と誰かが同調した。「あの問題児ならやりそうだ」今度は遠くから声を上げる。ヴァンは声の主が誰かを知っていた。食堂でフロイを救ったときのチーノの仲間たちだった。口裏を合わせていたらしかった。

 バルザイは尋問を中止してヴァンを振り向いた。そのまま近づいてきたが、ヴァンの手前で止まって、ごろつきに不気味に微笑んだ。「私の忠告が聞こえてなかったようですね」

 血しぶきを上げ、ごろつきは呆気なく倒れた。ごろつきの断末魔など気にも留めず、バルザイはヴァンへ近づく。

 バルザイは音を立てずに立ち止まった。その影がヴァンを覆い隠す。ヴァンの目の前に来ても、バルザイは何もいわなかった。ただ、ヴァンを見つめ気味の悪い微笑を浮かべた。結末の分かった勝者の余裕だった。

 全身が粟立つ。こうなったらひと思いに殺して欲しかった。

 バルザイは粘液質の音を立てて唇を開く。「あなたは確か風の魔物と同じ名前の……。そうですか。いつか厄介事を持ち込むとは思っていましたが。やはり予想通りでしたね」

 ここまでか――ヴァンはついに覚悟を決めた。死ぬのはいい。けれど、サリュに最後の別れを伝えられないことだけが心残りだった。

 ごめん、サリュ――。

 ヴァンは静かに目を閉じた。涙が一筋伝う。

 そのときだった。

「俺がやった。俺が殺したんだ」

 幻聴かと思った。ヴァンは驚いて隣を見た。

 レザルだった。レザルが管理者を強く睨んでいた。囚人の立場を忘れてしまうほどの強い眼力だった。

 信じられなかった。どうして――。そう思わずにはいられなかった。どうしてそんなことをするんだ。このまま黙っていれば俺が死ぬだけで済んだのに。どうしてわざわざ嘘をついてまで犠牲になんてなろうとするんだ。

「ほう」バルザイは含み笑いを浮かべた。「これは意外な……。てっきり隣の坊やかと思っておりました」

 レザルはバルザイから目を逸らさない。「ヴァンは無関係だ。こんな根性なしに殺しなんてできやしないね」

「ならあなたにはできるのですか」バルザイがいった。

「ああ」レザルが答える。「その気になれば誰だって。アイツは俺のことを軽んじていた。飯に唾を吐いたり、虫の居所が悪いと立場を利用していたぶってきた。だから殺した。ずっと殺してやろうと思ってた」レザルの言葉は揺らがない。

「なるほど……それで路地に呼び出したと」

「ああ」レザルが頷く。「アイツの最後の顔は最高だったな」

 バルザイは何かを考えるようにゆっくりと目を瞑り、ぶつぶつと呟いたと思ったら、静かに目を開けた。「……いいでしょう。個人的な恨みは怖いものです。さて、あなたの最後の言葉は」バルザイが問う。

「別にありゃしない。言葉より死に様を見てくれよな」レザルは素っ気なくいった。

 これから死んでしまうというのに、どうしてそんなに冷静なんだよ。

 ヴァンは喉元まで言葉が出かかっていた。でも、それをいう勇気がなかった。

 俺はなんて臆病なんだ――ヴァンは唇を強く噛んだ。弱くて、卑屈で、恥ずかしかった。

 レザルとフロイは瀕死の俺を助けてくれた。庇ってくれたんだ。なのに俺のしたことといえば、裏切ること、自分だけが助かる方法を考えていただけじゃないか……!

 助けなきゃ。今度は俺が助けるんだ――。

 一歩を踏み出す。体が震える。馬鹿みたいに動かない。たった一言、自分がやったといえばいいのに。

「覚悟はとっくにできているようですね。では――」

 バルザイはペンダントをレザルに向ける。わずかに漏れていた光がだんだんと膨らんでくる。しかし、光はいっこうに飛び出すことがなく、むしろ小さくなっていき、とうとう何も見えなくなってしまった。

 バルザイはペンダントの蓋を開ける。「おや、鉱石が尽きたようですね。なんとまあ、タイミングの悪いこと」

「バルザイ様」親衛隊の一人がいった。「私めのをお使いください」

 しかし、バルザイは片手で制し、「それには及びません。まったく強運の持ち主のようで」といって思い切りレザルを殴った。砂塵が舞ってレザルは吹き飛び、壁面に体を叩きつけられた。

「レザル!!」ヴァンが駆け寄る。すぐに後ろからフロイも走ってくる。

 口から血を流し、レザルは力なく横たわっていた。

「レザル! おい、大丈夫か」ヴァンが肩を揺さぶる。「しっかりしろよ!」

「ヴァン!」フロイの叫びにヴァンは驚いた。「揺すっちゃダメ。僕に見せて」

 フロイがレザルの口元から胸に向かって耳を近づけて、呼吸を確かめる。そのまま体の向きを変えて楽な姿勢を作る。「大丈夫……とりあえず意識を失ってるだけだよ。でも、早く医務室に連れてかないと」

 すると、どこからか「くくく……」と含み笑いが聞こえた。気配なく、いつの間にかバルザイが近づいていた。ヴァンがフロイたちを守るように立ちはだかる。

「おっと、私に戦うつもりはありませんよ。美しい友情を目に焼きつけているだけですので」

 バルザイはそういって、ヴァンに背を向け、数歩進んだところで立ち止まる。

「この程度で済んだことをありがたく思ってください。けれど、次はありませんからね。私はずっと見ています。くれぐれもお気をつけください」

 親衛隊を引き連れてバルザイは去っていった。

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