第20話 行動

 日が変わり、ヴァンは広場にいた。目の前にいるのはチーノの仲間だった男だ。二人を取り巻いた群衆が「やっちまえ!」と、はやし立てる。喧嘩は鉱山内で許された娯楽のようなものだった。大騒動にならなければ看守に黙認されていた。バルザイはガス抜きの大切さを知っていたのである。

 ヴァンと男の顔は土と血で汚れ、互いに荒い息を吐いている。ヴァンとしては軽い騒ぎが起きるくらいで充分だった。肩をぶつけて口論程度になるか、悪くても軽く殴り合うくらいでよかった。が、予想以上に男はムキになっていた。

 ヴァンは距離を取り、必要以上に男に近づかないようにする。このまま続ければ命の危険があった。せっかく計画を考えたのに、死んでしまっては元も子もない。しかし、男にとっては無関係なことだ。顔の血管を浮かび上がらせ、ヴァンを殴ろうと迫ってきた。

「アイツはもう外の世界を満喫してるだろ」

「アイツ?」ヴァンは男の拳を避けて、「誰のことだ」

「チーノのクソ野郎以外誰がいる! あのドブネズミ、お前を騙して極上の鉱石を手に入れやがった」

「それがお前の怒りと何の関係があるんだ。お前の言うとおり、騙されたのは俺じゃないか」

 すると、男は唾を飛ばして、「決まってんだろ! アイツに抜け駆けされたことにキレてんだ。だがチーノはいねぇ。だからお前で憂さ晴らしってわけだ」

 男が飛び込んでくる。一気にけりをつけるつもりだろう。だが、ヴァンは男の片足に体重がかかる瞬間を見逃さなかった。体の力を抜き、身をそらし、男の足を引っかけて倒した。

 男はくぐもった声を出して悶絶する。ヴァンはその隙を見逃さない。素早く体勢を変えて、男の腹に馬乗りになる。

 勝負あった、と誰もが思ったときだった。

「何やってる……。やめろ! やめるんだ」

 別の男の声がして、直後に笛が鳴らされた。群衆は自発的に道を空ける。現れたのは若い看守だった。険しい顔でヴァンと男を引き離す。

 ヴァンは離れた場所に立って、息を整える。

 男は暴れながら、「離せよ!」と抵抗する。だが、思った以上に看守の力が強いのか、男は逃れることはできない。さすがに暴動に対処するだけの訓練はされているようだ。いや、そうでなくてもペンダントの鉱石を開ければひとたまりもないだろうが。

 一方のヴァンは冷静さを取り戻していた。ようやく望んでいた展開が訪れたのだ。今来た看守はバルザイがチーノに風穴を開けたときにいた一人に間違いない。にしても来るのが遅すぎたくらいだ――ヴァンは流れた血を右腕で擦りながら、そう思った。

「喧嘩くれえ、やってもいいってアンタらの主人が言ってただろ」男は息を切らしながらいった。この頃には興奮状態は落ち着いていたようで、看守は拘束を解いていた。

「限度があるといっているんだ。それにこのまま続けて、いつ終わるつもりだ。片方が死ぬまでか」

 看守は有無をいわさず、ピシャリといった。

「医務室に連れていく。俺はそこの少年を連れていくから、代わりにコイツを連れていってくれないか」

 看守は野次馬のなかを見やる。そのときになって、ようやくヴァンはもう一人の人物に気がついた。別の看守が不敵な笑みを浮かべ、自分たちを見ていた。その視線は見世物小屋を楽しむ表情とも、せっかく楽しんでいた演芸を止められた不満足な表情ともいえた。体の大きさこを似ても似つかぬが、顔立ちはどことなくチーノを思い出させた。

 ヴァンたちの喧嘩を止めず、混乱を楽しんでいる。看守であれば、暴動に発展しないか憂慮するのが常だと思うが……。ヴァンが不思議に思っていると、

「どうして俺がそんなことを。お前が連れていけばいいじゃないか」馬鹿にしたような口調でいう。

「俺一人じゃ抵抗されるかもしれない。だから、体の大きなお前がコイツを連れていくべきだろう」

 すると、看守は笑って、「そういうことじゃねぇよ。どうしてこんなクズどもを助けるのか、って聞いてるんだ」

「それは――コイツらだって立派な鉱山の労働力じゃないか。治せばまだ働けるだろう。コイツらは命を粗末にしすぎる」

 若い看守はいったが、少しだけ焦りがあるのをヴァンは見逃さなかった。

「命ねぇ……」

「もちろん、バルザイ様の貴重な労働力が減るという懸念があるからだ」

「まあ、そういうことにしといてやるよ」看守は笑って、「コイツはお人好しすぎるんだ」ヴァンに囁くようにいった。それから、看守は男の方に向かう。

 しかし、男は声を荒らげて「俺はいい」と手で振り払う。チーノに似た看守はそれでやる気をなくしたのか、呆れたように両手を上げる。

 結局、若い看守がヴァンだけを連れていくことになった。


 広場を抜け、人の少ない通りを看守とヴァンは無言で歩いていた。ヴァンは話しかけていたのだが、看守の方が囚人との会話を禁止されているようだった。当たり前か、とヴァンは苦笑した。せめて、お互いのことを話せればもっとスムーズに物事が進むかと思ったが、それも難しいだろう。だったら、とヴァンは覚悟を決める。

「アンタの秘密を知ってる」

「何のことだ」看守はヴァンの顔を一瞥する。

「惚けないでほしいな。アンタ、バルザイの金を奪っただろう」

「何のことだか分からないね」

「そうか」ヴァンは頭の後ろで肩を組み、「なら、バルザイに伝えても問題ないだろう。アンタの持っている金を念入りに数えてみろってな」

 ついに、看守は足を止める。焦りの色が浮かんでいた。

「お前……見てたのか」

「ああ」

「鉱山の真実を知ってしまったなら、タダじゃ済まないぞ」

「アンタがバルザイに密告するってことか。それこそ、チーノみたいに」

 看守は答えない。ヴァンは続ける。

「死なんて……承知の上だ。鉱石を見つけてあのチーノみたいに死ぬのも、アンタにチクられて死ぬのも変わりないんだからな。それよりアンタはどうなんだ? アンタがチクったら俺と道連れに死ぬことになるぜ」

「……何が望みだ」看守は力なくいった。

「鍵だ。坑道の鍵」

「お前……何を考えている。まさか……脱獄する気か」

 ヴァンは静かに頷いた。「どうせ死ぬなら一矢報いたいからな。あの傲慢なバルザイに一泡吹かせてやろうってな。安心しろ、鍵さえ貸してくれればアンタの名前は出さない」

 看守はしばらく答えなかった。医務室がどこかは分からなかったが、まだ着く気配はなかった。足取りは重くじれったいくらいだった。おそらく看守は頭のなかで二つの選択肢を思案していた。

 ただ、ヴァンは確信していた。看守は折れる、と。

 看守の反応はそれほどまでに分かりやすかった。金を掠め取っただけであれば、ひょっとしたらバルザイは許すかもしれない。けれど、看守が焦っているということは、そのようなミスが一つや二つでないことが想像できた。

 それに――と、ヴァンは広場での出来事を思い返す。看守が喧嘩を止めたのは、秩序維持以上の目的があった。止めなくてもよい喧嘩を止めるということは何を意味するか。ヴァンはその行為の意味を何より知っていた。自分がフロイを助けたときと同じ、衝動あるいは無意識の本能的行動。広場で騒動を起こしたのは、始めから看守の介入を期待していたのだった。

 弱みと優しさを利用したことに罪悪感はなかった。自分も利用されたのだ。ヴァンはバルザイの言葉を思い出す。誰も信じるな――。ヴァンはようやくその言葉の意味を理解していた。

 利用されるくらいなら利用してやる……。

 医務室に着く。看守は静かに「分かった」といった。それが看守の回答だと気づくのに時間はかからなかった。

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