第17話 口論

 房に戻ったヴァンを待ち構えていたのは、不安げな表情のフロイと、冷ややかな視線を浴びせるレザルだった。特にレザルは、勝手に夜間外出を試みたヴァンに対して嫌悪感を隠そうともしなかった。

 レザルはヴァンに詰め寄った。「勝手なことをしやがって。何を考えてるんだ!」

「レザル、落ち着いて」

 フロイは宥めるが、レザルの怒りは鎮まらない。

「落ち着いてられるかよ。鉱山での罪は連帯責任だってフロイも分かってるだろ。コイツのせいで道連れになるところだったんだぞ。むしろ、フロイももっと怒るべきだ」

「それはそうだけど……ヴァンさんだって理由もなく房を出るはずはないでしょ。きっと何か事情があるんだよ」

「ほう」とレザルはヴァンに短くいって、「じゃあ、教えてもらおうじゃないか。俺たちの命がかかってたんだ。よほど切迫した事情なんだろうな」

レザルは皮肉の混じった笑みをヴァンに向ける。

 そうして、二人に見つめられたヴァンはどう答えてよいものか、悩んでいた。

 自分が見た光景――バルザイがチーノを殺したという衝撃的な出来事をそのまま伝えるべきか、あるいは留めておくべきか、はっきりとした答えが出なかったのである。

 バルザイが示した報奨が嘘であると伝えるのは、鉱山から出る唯一の希望を打ち砕くというものだ。真実というものは痛みを伴う。果たしてこれが正しい行いなのか、確信が持てなかった。

 それに加えて、ヴァンにはもう一つ懸念があった。真実を話すことで、起こりうる最悪の事態だ。自分が脱獄を考えていることを勘づかれるのはまだいい。弁解の仕様はあるだろう。けれど、脱獄の企てをバルザイに密告されたら、それこそ次に風穴が空くのは自分かもしれないのだ。二人を信用するのはまだ早い。そもそも、自分は彼らについて何も知らないのだ。こういうとき、人となりを確認するすべがあればいいのだが……。

「何かいったらどうなんだ」

 レザルの厳しい口調に、ヴァンは最後まで悩んでいた。しかし、ふいに閃きが降りてきた。思いつきではあるが、成功する確率は高いだろう。

 ヴァンは態度を決める。――真実を話そう。

「悪かった」ヴァンは小さく呟いて頭を下げる。「チーノのことがどうしても許せなかったんだ。だから、夜を見計らって外に出た。アイツが鉱山とおさらばするのは、今日だっていっていたから。夜ならフロイにもとめられない」

「そんなことだと思った」レザルは侮蔑するような笑みを浮かべた。「で、バルザイとは話せたのか。アンタの手柄だと分かって、二人仲良く解放されるって。その報告を俺たちにしにきたのか」

 ヴァンはそれには答えず、表情を引き締めて、「いいや。だが収穫はあった。二人とも落ち着いて聞いてほしい」といった。

 ヴァンは訥々とありのまま起きたことを話していった。おぞましいあの光景を、言葉を選びながら語った。フロイの白い顔がみるみる青白くなっていく。レザルも「まさか……」とうわごとのように繰り返していた。けれど、ヴァンは話すのをやめなかった。もう引き返せない。ここでやめたら、逆に怪しまれるだろう。

 話が終わったとき、フロイは絶句していた。レザルだって、いつもの冷笑的な態度を見せることはなかった。

 ついに、フロイはその場にへたり込んだ。「鉱石を掘りあてれば、ここを出られる……。バルザイ様はずっとそういってたんだ。僕だって、実績を上げた人が出ていくのを何人も見てきてるよ。……そうだよ。きっと、何かの間違いじゃないの」

 フロイは哀願するようにいって、隣のレザルを見る。

「フロイのいうとおりだ。俺もバルザイに選ばれる囚人を何度も見てる。……そうだ。アンタが嘘をついている可能性だってあるんじゃないか」

「どうしてそんなことをする必要がある」

「さあな。俺たちを混乱させるためじゃないのか。証拠もないのに、荒唐無稽な話を信じられるわけがない」

 同調するようにレザルが続ける。

 否定されることは分かっていた。これまで信じていたものが崩れ落ちたのだ。

自分だって、とヴァンは思う。嘘であればどれだけよかったか。だが、あれは現実だったのだ。鮮血、苦悶の表情、すべて本物だった。

 ヴァンは静かに首を横に振った。「残念だが、これは現実だ。俺はこの目で見たんだ。チーノが殺されるところを」

「だから証拠を」

「証拠ならある。これを見て欲しい」

 ヴァンはチーノの所持品を二人に示した。使い物にならない鉱石は、鉱山内で金として扱われている。その鉱石の端がべったりと血で汚れていた。血糊がついた鉱石を見て、フロイの顔は引きつっていた。

「これって……チーノさんの。バルザイ様が渡したやつだよね」

「ああ」ヴァンは頷いた。「鉱石の力で射貫かれたときに落ちたんだ。衝撃で吹き飛んだのを、俺が拾った」

「信じられないね」レザルが口を挟む。「アンタが自分の血をつけたんじゃないのか」

「じゃあ聞くが、レザルは囚人が直接出ていくところを見たことがあるのか」

「それは……」レザルは口ごもる。

「フロイはどうだ」

「僕は……うん……見たことないよ。解放される人が選ばれるところしかなかった。バルザイ様を信じてたから。ううん、僕だけじゃない。みんな、信じてたから。疑ってる人なんか誰もいなかった」

 それがトドメになった。それきり二人は黙ってしまい、重苦しい沈黙が漂う。どこかで暢気ないびきが聞こえた。この真実を知らずに済む移民の一人だろう。静かだった。房を照らすわずかな灯りが、二人の表情に影を作る。

「じゃあ、本当なんだね……。ヴァンがいってることは全部、本当のこと」

 フロイはペットのチャムチャムを撫でながら、そういった。諦めの混じった響きだった。けれど、どういうわけか、唇を噛むフロイの表情に、ヴァンは一種の力強さを感じた。すぐに受け入れるのは難しいだろう。だが、どうにかして理解しようと苦しんでいる姿がそこにはあった。

 フロイは見かけによらずに強いのかもしれない。ヴァンはそう思った。レザルはどうか、とヴァンは目を向ける。すると、レザルの厳しい視線とぶつかった。

「……それを俺たちにいってどうなるんだ」レザルがとげとげしくいった。

「どうなるって」ヴァンが訊ねた。

「俺たちは鉱山から出ることを目的としてたんだ。だが、アンタは唯一の希望を夢見させることさえ許さなかった。俺は……まあいい。だが、フロイはな、本気で信じていたんだ。バルザイがいったことを……」

 フロイが俯いた。そのフロイを一瞥して、レザルは苦々しい表情で続ける。

「アンタを責めるのは筋違いだとは思う。だが、フロイはこの先、何を拠り所にして生きていけばいいんだ?」

「……分からない」

「なら、アンタは。アンタはこの先、どうするつもりなんだ」

「……」

「おい!」レザルは声を荒らげる。「チーノの手下とやり合ったんだ。反乱を計画してる、くらいいったらどうなんだ」

 レザルはヴァンの胸ぐらを掴んだ。すぐにヴァンはレザルの手を掴んだが、そこで気づいた。

 レザルの目が揺れている。その目に映っているのは恐怖だ。それで、ヴァンは察した。レザルはフロイを代弁して怒っているようだが、本当は自分が一番怖いんじゃないか。

「やめてよ!」フロイがいったが、レザルはその手を離そうとしない。

「……反乱は考えていない」ヴァンは静かにいった。

「そうか。なら、アンタはただ起きたことを伝えただけか? それならガキでもできる」

「違う」

「じゃあ――」

「脱獄をしようと思っている」

「脱……」

 レザルはゆっくりと息を吸ったが、言葉は続かなかった。ヴァンを掴んでいた手が離されて、だらりと垂れ下がる。

「脱獄って……本気なの」フロイがレザルをチラリと見て、話を引き継いだ。

「ああ。だからこうして二人に話してる。俺は絶対にここから出なくちゃいけないんだ」

「どうしてそこまで」

「妹がいるんだ」

 ヴァンの言葉に、レザルの目が見開いた。

「……妹? アンタにか」

「ああ」

ヴァンは頷いた。

 考えを明かしたのは思うところがあったからだ。脱獄が一人で出来ないことは、バルザイの能力を見てしまえば誰だって分かる。そこで、協力者として同房のフロイとレザルを試すことにしたのだった。

「それは初耳だ。だが、妹の姿が見えないのはどういうわけだ? いくら鉱山の町が広いといっても、人の口に戸は立てられない。最近入った新入りにもそんな奴はいなかった」

「ここじゃない。妹はルデカルにいるんだ。ルデカルで隠れて暮らしている。サリュは――妹は一人で俺を待ってるんだ。たった一人で……」

 ヴァンは自分が鉱山に来た経緯を話した。サリュがパンを盗んでしまったこと。自分が身代わりとなって警備兵に捕まったこと。あと少しで解放されるところで、タトゥーを見られてしまったこと。そのせいで、鉱山送りになったこと。そして、鉱山にいることでサリュの安否が分からないこと……。

「……逃げられなかったのか」

「逃げたさ。俺たちは必死だった。でも、妹は体が弱くて無茶な真似をさせられなかった。だから、妹に隠れているようにいった。俺が帰ってこなかったら、親しい人を頼るようにいって。俺一人が捕まって済むならそれでよかった」

「災難だったな」レザルがポツリといった。

「いいんだ。妹を助けるためだったから」

 ヴァンは小さな声でいった。いくら二人の協力を取り付けるためだとはいえ、サリュのことを話すのは辛かった。サリュがどうしているか、考えてしまうとそれだけで心が苦しくなる。あのとき、こうしておけばよかった。あるいは、こうしなければよかった。と、次から次へと過去への反省が立ち上ってくる。

 ふいに、レザルが立ち上がった。

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