第16話 演説
鉱山内で響く金属加工とは違う音。鐘の音だろうか。何事かとヴァンが思っていると、フロイは慌ただしく「外に出なきゃ」といった。様子がおかしいのはフロイだけではない。あの冷静を装っているレザルさえも、そそくさと支度をして房を出る。
フロイとレザルが先行し、一歩下がったかたちでヴァンもついていく。早足で進む二人は軽口の一つも叩かない。
「どこに向かうんだ」ヴァンはいった。
「広場だよ。鐘が鳴ったら絶対に行かなくちゃいけないんだ」フロイが答える。
フロイの真剣な表情を見て覚悟はしていたものの、想像を絶する光景にヴァンは息をのんだ。
広場は「囚人」で溢れていた。鉱山にいる全ての囚人が集められたようで、五つある通路にも人が詰めかけている。それでも収まりきらない者に関しては建物の屋根にまで。そわそわした様子の彼らが首を長くして、前方を見ている。
「ここじゃ見えない」
「うん、そうだね……。でも、いつものことだから――あ、ちょっと」
通路にいたヴァンは群衆をかき分けて前へ進んだ。舌打ちをする囚人を押しのけて進む。密集した人の臭いも暑さも気にならなかった。
何か、予感がしたのだ。とてつもなく悪い予感が。
押し出されるようにして、ヴァンは開けた場所に出た。跪いた状態から頭上を見上げると、バルザイが木でできた高台に立っていた。背後には親衛隊が控えている。バルザイは自分に集まる目線に優越感を感じているのか、小さな笑みを浮かべていた。その笑みが隣の人物に向いたとき、ヴァンは体が熱くなるのを感じた。チーノだった。あの小悪党のチーノが、善行を褒められた子供のように気恥ずかしそうに立っている。
「今日ここに集まってもらったのは、この英雄――チーノさんを知ってもらうためです」
時が来たとばかりにバルザイは口を開く。そこからの演説は聴くに堪えない内容であった。
チーノの普段からの行いに始まり、いかに人となりが優れているかを語り始め、最後にはその勤勉な性格が素晴らしい鉱石を掘りあてたのだという結論に帰着した。全て嘘であることをヴァンは知っている。その鉱石は俺のものだ。ヴァンは平常心ではいられなかった。
「嘘だ。あの鉱石は俺が見つけたんだ! あいつはデタラメをいっている」
前のめりになって、ヴァンは叫んだ。突き刺すような群衆の視線がヴァンに集中する。それでも構わずヴァンが続けようとすると、背後から腕を掴まれる。看守かと思った、そうではなかった。
「ヴァンさん、ダメだって。そんなことしちゃ」
フロイが息も切れ切れにやってきて、ヴァンの口を塞いだ。それから気を悪くしたであろう周囲の囚人に申し訳なさそうに、苦笑いを浮かべる。そうやって場を取り繕うとしてくれているのだろう。一旦はそれで解決して、バルザイは演説を再開した。囚人たちはヴァンを気が触れた者と思ってくれたらしかった。しかし、ヴァンの怒りは収まらなかった。目の前の壇上に裏切り者がいるのだ。静かな心ではいられなかった。
口を塞いでいた手を払いのけフロイに向かって、「でも、あれは俺が見つけたんだ。絶対に」
「そうだとしても、です。バルザイ様の言葉を遮った人は今まで誰もいなかったんです。このまま続けたら殺されますよ!」
「いいから離せ!」
「イヤです!」
「離してくれ」
「フロイ!」と声がした。「離してやればいい」
フロイの手が緩まる。その隙にヴァンがフロイの手を振り払うと、そこにいたのは涼しい顔をしたレザル。ヴァンは驚いて、レザルを見つめる。何をいうのか身構えていたが、さらに彼は冷たい眼差しを送って、「阿呆らしいな……」と呟いた。
「は?」ヴァンの怒りの矛先がレザルに向いた。
「事情は分かった。だが、それが本当だったとしてもここで暴れたらどうなるか分かるだろう。アンタがここまで間抜けだったとはな。状況というものを読めないのか」
またしても冷めた口調でいった。それでヴァンの怒りが静まっていく。納得したというより、レザルの嘲笑に我を取り戻したというのが正しかった。
壇上ではバルザイが熱のこもった話をしている。
「このように嫉妬されるほどチーノさんは素晴らしい実績を上げました。さて、そうしてチーノさんは外の世界に旅立つのですが、手ぶらでは心許ないでしょう。これはほんの気持ちです」といって、懐に太い手を入れる。
「これは――金、金だ」チーノは受け取った袋を開いて驚嘆した。「こんなに」
チーノは溢れ出る涙を止められなかった。お金が、ヴァンが地上で一年働いてもらえるほどのお金が、震えるチーノの手にあった。本来であれば、俺がもらえるはずの金。ヴァンは唇を噛んだ。
「ありがとうございます……バルザイ様、ありがとうございます」
チーノの声がどんどん小さくなっていく。感激しているのだ。それに合わせて、群衆の声が大きくなった。「バルザイ様」と讃える声がどこからともなく広がり、合唱のようになる。気をよくしたバルザイは太い首で頷いている。
「今回の選抜は以上です。さあ、みなさんもチーノさんを見習って働きましょう」
そうバルザイが締めくくると、群衆が散り散りになっていく。その一人一人の後ろ姿を意味なく見送る。
ヴァンは悔しくてたまらなかった。だから、その日の晩、フロイとレザルが寝ていることを確認してから、ヴァンは房を抜け出した。看守や親衛隊に見つかったら、ただでは済まされないがチーノの解放を見過ごすわけにはいかなかった。
ヴァンの歩調が早くなる。ヴァンはバルザイを探していた。そこで真実を打ち明けるつもりだった。俺の手柄を横取りした挙げ句、褒美まで与えられたのだ。バルザイだって事実を知れば黙っているはずはない。どうなるかは分からないが、欺かれたと知ればバルザイはいい気はしないだろう。上手くいけばヴァンに理解を示してくれるはずだ。そうなれば、すぐにでも解放されるのではないか。チーノではなく、自分が。ヴァンはそう考えていた。
夜の町は不気味なほど静かだった。巡回している看守もいるはずだが、その姿は見当たらない。広場を抜け、昇降機の辺りまで来て、ヴァンは立ち止まった。足音がした。音はこちらに近づいているようだ。見つからないように、近くにあった岩の後ろに体を隠した。ザクザクとした、いくつもの足音が地面を踏みならす。ヴァンは首を伸ばして慎重に周囲を窺った。
バルザイとチーノ、それに看守が歩いてきた。灯りを掲げているのは先頭にいる看守だ。笑み一つ見せず表情を引き締めている。それに対して背後のチーノの足取りは軽い。鉱山を出られるとあって、有頂天のようだった。彼らがヴァンが隠れていた岩を通り過ぎる。ヴァンは息を殺し、音が離れたことを確認して、岩陰から様子を窺った。
チーノが昇降機に乗るところだった。ヴァンはバルザイの大きい背中越しにチーノを隠れ見る。チーノだけが昇降機に乗せられて後続する者はいない。ここでお別れといわんばかりに、佇んでいる。
今が好機だった。ここでヴァンはバルザイに主張すべきだった。だが、何かがおかしかった。チーノの旅立ちだというのに、異様なほど静かだったのだ。チーノとバルザイたちに温度差があるというか……。とにかく拭いきれない違和感のせいで、ヴァンは身動きが取れなかった。
ヴァンは耳を澄ました。
「バルザイ様、お世話になりました」チーノは興奮した様子で話す。「鉱山では本当によくしていただいて――」
チーノのご機嫌取りが始まる。それには食傷させられたが、どうしてだかバルザイの方はあまりよい感触ではないようだ。背後からしか窺えないが、普通、嬉しければ某かの動きがあるはずだ。なのに、それがない。バルザイは微動だにせずチーノの言葉を聞いている。
「とにかく、そういうことでありがとうございました」気まずい雰囲気を察したのか、チーノは早々に切り上げて、頭を下げる。
バルザイは何もいわない。不自然な間があった。やがて、バルザイは口を開く。気のせいか声が震えている気がする。笑いを噛み殺しているようだった。
「バルザイ様?」チーノが問うように聞く。
「ああ……すみません。別のことを考えていて。何でしたっけ? 私に対するお礼ですか? それには及びません。これまで鉱山へ貢献してくださって、むしろこちらがお礼を伝える側ですよ。この活躍は忘れません」
バルザイは不適に笑う。チーノはつられて笑ったが、不気味な笑い声に、すぐに真顔に戻る。昇降機の手すりに掴まり、早くこの場から去りたいことが手に取るように分かる。
「バルザイ様、そろそろ」控えていた看守がいった。
「ええ、そうですね。最後になりますが、チーノさん今まで本当にありがとうございました」
「は、はい。ありがとうございます」
「それでは永遠にお別れです」
「えっ……バルザイ様、それはどういう――」
その後の言葉は聞こえなかった。チーノの声が強い風に遮られたのだ。その風はヴァンの隠れている岩陰にも迫り、思わずヴァンは顔を手で覆った。目を開けたとき、飛び込んできた光景にヴァンは愕然とした。チーノの胸にぽっかりと穴が開いていた。その穴からはどす黒い血が流れて地面を汚していく。チーノは自分が射貫かれたことに気づかず、一拍置いて地面に崩れ落ちた。静止した時間。ただ一つの変化は、バルザイの右手は前に突き出されていて、そこから発せられた強い光だった。今、光が徐々に弱まっていく。
鉱石だ――ヴァンは直感した。昇降機を風で動かしたときと同じ。その力を使ったのではないか……。
「おや……?」
そのとき急にバルザイが振り返り、ヴァンはすぐさま岩陰に隠れた。
鼓動が早くなる。見つかっていない。音も立てていない。それなのに、どうしてバルザイはこちらを見たのだ。いや、それよりも――一体、何が起きているんだ。
「バルザイ様、どうかなさいましたか」
「いえ」と、バルザイ。「誰かいたような気がしたのですが……気のせいでしたか」
ヴァンは胸をなで下ろし、もう一度だけ身を乗り出した。横たわったチーノ。すでに生気はなく、誰が見ても死んでいた。吹き出した血が、だんだんと面積を広げていく。紛れもなく現実だった。ヴァンは嘔気と漏れてくる息を必死で押さえながら、状況を把握しようと努めた。
「服が汚れてしまいましたね……。看守の方々、申し訳ないですが代えの服を用意していただけないですか。それと、このお金を」
傍らに立っているバルザイは、チーノの死体を蔑むように見下ろしていた。そして散らばった金を看守に拾わせていた。ちょうど、ヴァンから一番近いところにいた看守が懐に金を入れるのを、ヴァンは見逃さなかったが、それを知ったところでどうにもならない。
目の前で人が殺されたのだ。ルデカルでも死人は珍しくなかったが、殺人となると話は別だ。それも、人を射貫くこんなむごたらしい殺し方は見たことがなかった。
チーノは憎かった。自分を騙して利用した。だが殺されたことにはヴァンは哀れみの感情を抱かざるを得なかった。たとえ嘘であってもチーノとはそれなりの時間を過ごしたのだ。殺された――その事実が簡単には受け容れられなかった。
ヴァンは呼吸を整える。静かに、気づかれないように。そうして、気持ちが落ち着いてきてもヴァンは岩陰から動けなかった。バルザイたちがまだ近くにいるかもしれないという不安。そして、見つかったら殺されてしまうかもしれないという恐怖。運良く見つからなかったとしても、殺人の瞬間を見てしまったのだから、対面すればいつぼろが出てもおかしくはなかった。
商店の方から物音が聞こえる。朝――といっても太陽がないから分からないが、そろそろ労働時間が迫っているようだった。ここにいても埒が明かない。ヴァンは静かに岩陰から動き出す。
房に戻る道中、ヴァンはずっと考えていた。鉱山の真実。働いて、鉱石を見つければ鉱山から出られると信じていた。けれど、それはまやかしだった。
そして、あの男――バルザイ。柔らかな物腰や優しげな口調は移民たちを油断させるためのもので、これがバルザイの本性なのだ。
――脱獄しよう。
足の震えを我慢し、ヴァンは静かに、しかし力強く走り出すのだった。
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