鉱山と鉱石

第14話 苦痛

 目が覚めたとき、はじめに暗闇があった。どこまでも続く深い闇は本当に目を開けているかさえ分からなくなってしまう。

 首を傾けても灯りは見えなかった。鉱山内のどこかだろうが確証はない。とにかくここから動かないと。そう思い、ヴァンはゆっくりと起き上がろうとするが、どういうわけか体が動かなかった。

 何が起きたんだろう。必死で思考を巡らせるが、頭は重くて思うように働いてくれない。そして、なぜだか手も足も傷だらけで、体の節々が痛かった。こんな大けがをしているなら、原因ははっきり分かっているはずだ。なのに何も思い当たらないなんて、おかしい。何かが起こっている。何かよくないことが……。ヴァンは背中に冷や汗が流れるのを感じた。状況を把握するために、痛みを堪え歩き出す。真っ暗な視界のなかで、慎重に歩いていくと、ようやくあることに気づいた。

 闇が消えない。時間は分からないが、かなり歩いたはずだった。それなのに、どこまで歩いても坑道の灯りは見えてこなかった。

 ……これは夢だ。夢に違いない。

 次第にヴァンはそう考えるようになった。夢ならばいつか醒める。きっと目覚めたらサリュがいて――。

 胸がずきんと痛んだ。

 ――サリュ。俺は何か大事なことを忘れている気がする。

 ……ヴァンさん、大丈夫ですか。しっかりしてください!

 そのとき、後ろからはっきりとした声が聞こえた。誰かこの状況を説明してる人間がいるのだ。ヴァンは勢いよく振り返る。

 すると、目の前には光る二つの点があった。灯りにしては高い位置にあった。ヴァンは目を細め、よく見ようと頭を前に出し、そして恐怖に身が竦み、震える手で自らの口を塞いだ。

 その生物は平たい体をしていた。皮膚が半透明だったため、臓器のなかに何やら赤黒いものが透けて見えた。果実のようにも見えたが、人の頭のようにも見えた。

 来る――!!

 その不気味な生物が、まるでコブラのように尾を器用に使いながら向かってくる。全身が粘液で覆われているのか、湿った音がこだまする。あまりの衝撃に、周囲がわずかに明るくなっていることにもヴァンは気づかなかった。

 それはルデカルを襲った飛行生物に似ていた。伝聞では空を舞うと聞いていたが、長い間閉じ込められていたから、進化したのだろうか。いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。とにかく逃げないと。

 ヴァンは目を背けず、ゆっくりと後じさる。飛行生物と目は合っているはずだが、どういうわけか追ってこなかった。体を左右に振り獲物を探している――どうやら見えていないようだった。

 このまま、このまま……。ヴァンは慎重に下がっていく。

「くそ……!」

 だが、地面の凹凸のせいで小石を踏み抜く音を立ててしまう。飛行生物が唸り、ヴァンは走った。しかし、どれだけ早く走っても飛行生物に敵うわけはなかった。飛行生物は片翼を思い切り降って風を起こすことで、ヴァンをいとも簡単に転ばせる。それから、一瞬で長い距離を跳躍し、その体をヴァンに巻き付けた。

 息ができない。苦しい――。俺は死ぬのか。ヴァンの頭に様々な思いがよぎった。ルデカルでの貧しい暮らし。優しかった両親。孤児の生活。そしてサリュ。

 サリュ――。そうだ、俺は……。

 ヴァンはようやく思い出した。この場所にいる理由、自分の目的を。

 俺は鉱山から出るのだ。必ず帰ると約束したのだ。だから、こんな場所で死ぬわけにはいかない……!

 ヴァンは渾身の力で飛行生物を振り払い――。

「わっ!」

 声がして、ヴァンは目を開けた。目の前に邪悪な青い目が光っている。背中の感触から自分が横になっていることが分かる。

 見下ろされているのだ。肌が粟立ち身の危険を感じた。ヴァンは思い切りその生物を押し返した。形勢逆転だ。ヴァンは馬乗りになって両の手首を掴んだ。

「きゃっ」

 再び声がして、逆転されないようにヴァンはより体重をかける。しかし、抵抗する素振りも見せないし、声も息づかいも飛行生物のそれではなく、若い人間のようだった。視界が清明になるにつれて、状況がはっきりしてくる。

「あのぅ」真下から訊ねるような声がした。

 いつの間にか飛行生物は消えていて、代わりにそこにいたのは青い目をした少年の姿だった。少年は薄い体を強ばらせ、驚いたような眼差しをヴァンに向けている。きっと、この光景を外から見る者がいたならば、ヴァンが少年を襲っている構図に映ることだろう。

「ヴァンさん。目、醒めたんですね」少年は弱々しくいった。「体調はどうですか。ずっと寝てたから」

「……」ヴァンは答えない。

「だ、大丈夫です。ここは安全です。だから、あの、まずは落ち着きませんか」

「……」

「ええと……」

「アンタ、誰だ」ヴァンはきつくいった。

「へ?」少年は驚いた顔をする。

 ヴァンは手首を握る力を込めて、「お前は誰だと聞いている」

「痛いです! いいますから! わ――じゃなくて、僕はフロイっていいます。この房の囚人で」

「さっき俺の名前を呼んだな。どうして俺の名を知ってるんだ?」

 すると少年は口をぽっかりと開けて、「覚えてないんですか。ほら、あのときの」

 ヴァンは記憶を掘り起こす。青い目と金髪。確かにどこかで見た気がする。そうだ。初めてこの移民の町に来たときの――。ヴァンは微かに力を緩める。

「食堂で絡まれてた……」

「そうです。あのときのフロイです。その節はお世話になりました」少年はへへ、と笑い「それでなんですけど。ええと……僕は無力だし逆らう真似もしません。だから、離してもらえると嬉しいです。大丈夫です。僕は逃げませんから」

 それでようやくヴァンはフロイを解放した。フロイはゆっくりと起き上がり衣類から土を払う。ヴァンから少し離れた場所に移動して、そこからおずおずとした視線を送ってくる。

 ヴァンは自分が寝ていた粗末なベッドに腰を下ろし、周囲を見回した。房には木で作られた簡素な机と椅子、いくつかの衣類とよく手入れされたつるはし、そしてこのベッドくらいしかなかった。基本的な作りはヴァンの房と変わらなかったが、この少年の性格なのか狭いながらもよく整理されていた。

「何もない場所ですみません。本当は救護所へ連れていきたかったんですがお金もなくて……」

 少年は照れたようにいったが、ヴァンはそんなことは気にならなかった。

 救護所? どうして俺が。ヴァンは疑問に思っていた。少年の口ぶりでは自分は助けられたらしいが、まったくもって経緯が分からなかった。だが、とにかくはお礼をしなければ、とヴァンは思っていた。事情はどうあれ命の恩人に対して、自分がしてしまったことを考えるとヴァンは急に恥ずかしくなった。

「こちらこそ乱暴な真似をしてすまない。悪夢にうなされていて」

 ヴァンは少年に謝ったが、少年は気にも留めず、「いえ……そんなこと。それより目を覚ましてくれてよかったです」と、嬉しそうにいった。

「どれくらい寝ていたんだ」

「一週間くらいです」

「一週間……それは本当か」

「え、ええ。毎日、様子を見てましたから間違いないです。といっても労働が終わってからですが」

「一体俺は……」

 ヴァンは頭を押さえる。さっきから頭が痛かった。夢見が悪かったからだと思っていたらそうではないらしい。ずきんと目の奥から激しい痛みがするし、体のあらゆるところが軋むように痛い。だが、その痛みに思い当たるふしがなかったのが怖かった。それに――。そもそも、ここはどこなんだ。自分がどこにいるのか見当もつかなかった。

「混乱してるんですね」とフロイは優しくいう。「記憶がないのも無理ないです。あれだけの怪我を負ったんですから、生きていたこと自体が奇跡です」

「どういうことだ」ヴァンは青ざめた。「俺に何が起きたんだ」

 ヴァンは思わず、フロイの方へ身を乗り出す。  

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