第5話 鉱山

「何、寝てんだ。起きやがれ」

 頭を小突かれて、ヴァンは目を開けた。いつの間にか寝ていたようだった。

「痛ぇな」

 と、頭を触ろうとして手が動かなかった。そこで初めて、自分が鉱山へ向かう荷車にいることを思い出した。

「けっ。旅行でもあるまいし。暢気なことだな」警備兵が馬鹿にしたように笑った。「それともこれから向かう先に希望があるとでも思っているのか。まったく移民というのはどこまで馬鹿なんだ」

 そういって、警備兵はまたヴァンの頭を叩いた。

 けれど、とヴァンは思う。これは旅行だった。片道だけで永遠に帰ってこられない旅行だ。せめて最後くらいよい思い出に浸りたかった。そういう気分で何が悪い?

 荷車が急に止まり、ヴァンの体が壁に叩きつけられた。傍らの警備兵が壁に手をつき、よろめきながら体勢を整えた。

 ふいに、辺りが明るくなった。荷車の覆いが外から開けられている。ヴァンは目を細めて、明かりの先を見る。外にはこの荷車を運転していた警備兵が覆いをまくり、別の者に指示を与えていた。風が吹いて、砂礫の匂いがした。目的地に到着したらしかった。

「降りろ」警備兵が無感情でいった。

 いわれるままに、ヴァンは立ち上がった。ほかの移民とも繋がれているから歩きにくかったが、そこで止まったらどうなるか分かっていた。ヴァンを殴った警備兵の腰には錫杖のような棒が差しこまれていた。もしも抵抗したら、あの棒で骨が見えるくらい叩かれるのだ。選択肢はなかった。従順にヴァンは歩いていく。

 両親のことがあってから鉱山にはずっと来ていなかった。迂闊に近づいたら捕まる可能性もある。だから荷車を降りて、飛び込んできた景色にヴァンは目を見開いた。

 以前来たとき、鉱山の入り口はせいぜい洞穴の入り口くらいしかなかった。その入り口は今は見えない。代わりに地面には巨大な空洞ができていた。大きさは計り知れなかった。まるでルデカルの街に隕石でも落ちたかのような大きさだった。その穴がすり鉢状に傾斜しており、円の内側をぐるりと囲むように道ができている。向かう先は中心部、おそらくあれが入り口だった。

「行くぞ」

 警備兵がヴァンの背中を押した。ヴァンは重い足取りで歩き出す。緩い傾斜だったからか手すりはなかった。けれど、中心部の入り口までは相当な高さがある。一歩間違えば命はないだろう。警備兵に注意されない程度に、ヴァンは慎重に歩いた。

 道の途中にはいくつかの建物が見えた。近くに差しかかると、男の声と熱と金属のぶつかる音がした。鉱石を加工しているようだった。採掘した鉱石を仕分けたり精製する場所が、鉱山近くにあると都合がよいのだろう。ヴァンはそのまま中心部に向かって降りていく。

「止まれ」警備兵が声を張り上げた。

 ヴァンの前後の移民がビクリと震え、足を止める。入り口から出てきた男に、ヴァンは驚いた。張り裂けそうなくらいの筋肉、顔の傷に欠けた指、趣味の悪い装飾品。そんなものは飾りでしかなかった。ヴァンが驚いたのは、この男の背丈だった。ヴァンは決して背の小さい男ではない。それなのに、そのヴァンでもってしても男の胸元にも届かないのだ。

「バルザイ様、連れて参りました」警備兵が恭しく頭を下げた。

 バルザイ――それがこの男の名前だった。彼がこの鉱山の責任者であることは聞くまでもなかった。バルザイはもったいぶったような間を作り、警備兵を見下ろす。

「ご苦労様です。下がっていいですよ」

「はっ!」と、警備兵がキビキビとした動作で引き下がる。

 警備兵を載せた荷車が去ると、辺りは静かになった。微かに頭上から金属加工場の音が聞こえるが、この場には両の手で足りるほどの人間しかいないのだから静かに決まっていた。

 ヴァンは移民を見た。怯える者、もはや心神を喪失しているように見受けられるような者もいた。一度入ったら二度と出られない、移民の監獄に来たのだ。その反応は至極当然であったし、バルザイを見たら尚のこと口をつぐみたくなる。

 そのバルザイは何もいわず、ただ黙って睨めつけるような視線をよこした。ヴァンは思わず、身構えた。バルザイの視線には血が通っていなかった。バルザイは眉間に皺を寄せ、一層厳しい表情になる。片目にある傷がより深くなる。品定めするように並んだ移民の前を歩き、屈んで移民の顎を持つ。いよいよ誰かが失禁しそうになったとき、バルザイは急に笑い始めた。

「申し訳ない。視力がよくないもので」

 バルザイの変化に誰もが戸惑った。

「怖がらせるつもりはなかったんですよ。私の顔ですよね。親からもらったものなので、どうもできやしませんが毎度こうだと疲れてしまいますよ」

 バルザイは優しく低い声でいった。それは警備兵への口調と違った。例えるなら、商人が上客へ使う言葉遣いだった。

「どうしましたか?」バルザイがいった。

「いや……」移民の一人が口を開く。

 ヴァンには移民の気持ちがよく分かった。戸惑っていた。鉱山の管理者というから強者を予想していたのに、顔こそ強面だが、実際に現れたのは丁寧な物腰の紳士だったのだから。

「歓迎しますよ。ようこそ、移民の町へ」

 バルザイは大きな体をくるりと反転させ、入り口に向かっていく。ヴァンは移民と顔を見合わせる。この先、何が待っているか分からない。逃げられたらどれだけいいだろう――ヴァンはそう考えていた。けれど、それはできない。

 警備兵を下がらせ、部下も連れずに現れたのはバルザイに自信があるからにほかならない。そうでなければ責任者など務まらないであろう。バルザイが一度も振り返らず、入り口に向かっていくのは自分たちを試しているのだ。移民が逃げる素振りを見せないか。見せてもバルザイ一人で対処できる、それだけの力があるのだ。

「さあ、どうぞ来てくださいな」

 バルザイが振り返りもせずにいった。

 選択肢はなかった。ヴァンは暗闇に足を進めると、背後から移民が恐る恐るついてくる気配がした。バルザイの後頭部が少しだけ上を向いた。バルザイは満足そうな顔をしているのだろうか、とヴァンは思うのだった。

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