風の鉱山の街 ルデカル

第1話 日常

 ルデカルが首都の名を冠して久しい。為政者の住む白い宮殿が遠くに高くそびえ、住宅の赤い瓦がアクセントになり、所々に見える緑が目を和ませる。ルデカルはそんな色彩豊かな街だった。

 街は首都の名に恥じず、常に人で溢れており、その一角の市場では今日も喧噪が満ちていた。

 男が羽をむしった鶏を手にして女をまくし立てる。女は攻撃的な目をして、指を三本立てている。値段を交渉しているようだった。その隣には果物店や菓子屋が並び、かと思えば銅細工店や工房といった飲食以外の建物が隙間なくひしめいている。買い物の時間となるとルデカルはいつもこの調子だが、初めて見るものはさぞ圧倒されることであろう。

 その賑わう市場のなかにヴァンはいた。白銀の短髪、浅く灼けた肌。幼さの残る顔立ちだが眼光は鋭い。ヴァンは鋭い目をより細くして、眼前のマメを見ている。

「で、どっちにするんだい。ヒヨコマメとソラマメ」

 女はいって、たくましい腕をめくった。

「ちょっと待ってくれ。もう少しで決めるから」

「どっちのマメを選んでも同じなんだからさ。早くしておくれよ」

 女はあからさまに迷惑そうにいった。

「兄ちゃん、後ろ」

 ふと、ヴァンの袖が引っ張られる。妹のサリュだった。

 言われたとおりヴァンが振り返ると、マメを買い求める男が並んでいた。足踏みをして苛立ちを隠そうともしない。急がなければならないのは分かっているが、自分たちも同じように長い時間並んでいた。

「ほら、こんな小さな子に言われちゃって。お兄ちゃん、さっさと決めてーっていってるよ。ねぇ」

 女がサリュに微笑むと、サリュはヴァンの後ろに隠れた。ヴァンは苦笑する。サリュは人見知りをするから、そうなるのは当然だった。実際、サリュが同い年以外で話せるのはイエーナおばさんくらいしかいない。

 案の上、女は機嫌を悪くしたようで、「けっ、可愛くない子」と吐き捨てる。

「もうこれで我慢しときなって」

 女は乱暴に、頭上から吊されたカゴからマメを掬い取る。小石を擦った音がした。しかし、ヴァンは首を横に振って、女の手を退ける。

「何すんだい」

「アンタにとって同じマメでも、俺たちにとっては貴重な食料なんだ。もう少し慎重に選ばせてくれないか」

「傷んでるっていいたいのかい。文句があるなら他へ行ってくれよ」

「そうじゃない。だが自分たちが食べるものだから、よく見て買いたいんだ」

「……」

「値段の交渉をする気もないし、冷やかしでもない。なにも問題を起こそうっていうんじゃない。だから、そんなに急かさないでもいいだろう」

 女は何か考えているようだった。おそらく値段の交渉をしないといったのが効いていた。ここルデカルの市場では値段交渉は日常的だ。それをしないでいいといっているのだ。商店の女にとってはこれ以上ない良客だった。

「そりゃ昔と違ってトラブルを起こす人はいないけどさ」

 女は声を落とす。先ほどとは違い、今度は客を離すまいと商売人の態度に変わった。

「トラブル? 何かあったのか」

「昔の話だよ。ここいらにまだ移民がいたときの。腕とか体にタトゥを入れた人が溢れていた時代はまあ、トラブルが尽きなかった。そいつらがいたときは今みたいな平和じゃなかったからね」

「移民……」ヴァンは戸惑った。

 女は怪訝な顔をして、「お兄さん、どうしたんだい」

「ああ……そうだ。移民がいないから平和だな。こうしてゆっくり品物を選べる」

 サリュがまた袖を引いた。潮時かもしれない。

「……こっちのマメにしとくよ。迷惑かけて悪かったな」

 ヴァンはズリを取りだし、商店の女に渡した。袖がまくれないように気をつけて。

 女はそれを数えると、とたんに優しい顔になる。

「どうも。また来ておくれよ」

 ヴァンは妹の手を引き、店をあとにした。


 行き交う人をかき分けて、ヴァンとサリュは歩いていた。まだ、日も昇りきっていないにもかかわらず人が途絶えることはない。

「私、あの人嫌い」

「しょうがないだろう。いつものお店が閉まってたんだから」

「それはそうだけど……あの人、見下したみたいな態度して。私たちにお金がないの知ってるから。私、すっごくムカつく」

「あの人にだって事情があるんだ。お店をやっていれば不愉快な思いの一つや二つあるだろう」

「兄ちゃんは優しすぎるの。見た? あの顔、笑ったときこーんな口になってた。きっと、作り笑いしすぎておかしくなっちゃったんだわ」

 サリュは口の端を指で引っ張り、女の真似をした。

「サリュ、そんなことしてるとそのうち同じ顔になっちゃうぞ」

「ふん。私はなりませんよー、っだ」

「そうか。口に癖がついてるけど」

 ヴァンが指摘すると、サリュは食べこぼしを拭き取るかのように口を触って、

「えっ、えっ――ホントに??」

「嘘」

「もう、お兄ちゃんのいじわる」

 サリュはふくれ面をしたが、急に何かを見つけたように視線を動かす。商人が男と交渉していた。手にはふかふかのパンがあり、香ばしい匂いを連れてくる。ヴァンは思わず唾を飲み込んだ。

「あーあ」サリュがいった。「私、マメよりパンがよかったな」

「マメだって煮込んでスープにすればおいしいだろう」

「でも、もうずっとだよ。私、パンなんていつ食べたか分からないよ」

「もっと稼いだら食べさせてやるから、それまで我慢してくれないか」

「それもずっと言ってる。こんなことなら鉱山に――」

「サリュ! それは約束したはずだろう」

 ヴァンは声を荒らげる。鉱山労働は大金を稼げると有名だった。今の日雇い労働よりも遥かにいいのだろう。だが、両親の言いつけを守り、どれだけ空腹であってもヴァンは決してそうしなかった。理由は聞けなかったが、鉱山労働で亡くなった両親そのものが理由だとヴァンは言い聞かせていた。

「ごめんなさい……。私、一度でいいからお腹いっぱい食べてみたくて」

「ああ、分かってる。でも、それで言いつけを破るわけにはいかない。鉱山には近づくな。父さんたちは、これが俺たちを守るためだといっていた。サリュは良い子だから約束できるよな」

 ヴァンは優しくいった。

「うん」

「よし、良い子だ」

 そうして、ヴァンが歩き出すが、サリュは立ち止まったまま。

「サリュ?」

「お兄ちゃん……。怒らないで聞いてくれる?」

 ヴァンは首を傾げる。

「お母さんたちの言いつけ。人の物を盗むな、って言ってたんでしょ。それは私も分かるよ。でもね」

「まさか」ヴァンの顔が青ざめる。

「あの女の人、私たちのことを悪くいった。移民は汚らわしいって。私、それが許せなかった。だから……」

 サリュは服をまくり、ヴァンは言葉を失った。

 服の下からパンが一つ。サリュの指の部分だけが柔らかく潰れていた。

「悪い人だったよね。お母さんたちが言ってたのはいい人だけで、悪い人は入ってなかった。それに、お兄ちゃん、喜んでくれるかなって。サリュ、何もできないけど、どうしてもお兄ちゃんに喜んでほしかった。ねぇ、お兄ちゃん、それでもサリュのこと怒る?」

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