エアリアル この清冽な力

佐藤苦

発端

 はじめに暗闇があった。次に激しい音が辺りを揺らし、わずかに開いた隙間から光が見えた。

「あと少し……。よし、開けた」若い男がいった。「――見てください、首領。かなり広いです」

 首領と呼ばれた男が新入りの肩を叩いた。

「よくやった」

 それから、なかを覗きこむ。

「だいぶ足場が悪そうだ……」首領の声が低まる。「おい、お前。灯りを貸せ」

 首領は長身の男から松明を受け取ると、ゆっくりと洞窟のなかに入っていく。そのあとに肌を焦がした大柄な男たちが続いた。身分も出身も様々だったが、共通点は力自慢であることだった。

「なかは狭い。慎重に歩けよ」男たちの肩越しに、首領がいった。

「首領、大丈夫ですって。別に何かいるわけでもあるまいし」

「馬鹿いえ!」首領は声を張った。「そういう油断が一番危ねぇんだ」

 首領は自らの仕事を振り返る。

 経験上、分かっていた。こういう何でもない仕事の方が危ないのだ。

「それに、何かいる気がする。俺の勘だが」

 首領の静かな声に、男たちは気を引き締めた。


 何百年も昔、かつてこの街――ルデカルを未曾有の災厄が襲った。異形の生物が上空に襲来し、街全体を覆い尽くしたのだ。

 当初、誰一人まともに対応しようとは思わなかった。初期には少数の生物の飛行に留まっていたことと、平たい体に鞭状の尾というその姿は、海を泳ぐ生き物に似ており、愛らしさ目当てで物見遊山に出かけるものまで出現した。ところが、次第に生物が集まり――この生物は音で群れを作る習性がある――太陽が遮られると状況は一変した。草木が萎れ、それに依存する家畜や人間は食糧不足により連鎖的に死んでいったし、街の機能がことごとく停止したことで、さらなる死人が出るという悪循環を生み出した。天高く舞い地上の生物に害なすそれに、当時の為政者は祈祷師に頼るしかなかったという。

 しかし、そこで異変が起きた。翼のような器官が欠落し、長い尾は折れて、突然――飛行生物が落下し始めたのである。

 原因は分からない。現在では栄養不足とも、そもそもが長期間の飛行に耐えうる構造をしていなかったともいわれたが、後世に残された歴史書には”祈りの力“としか書かれていなかった。もっともこれは為政者の威光を示す脚色という線が濃厚であるが、ともかく、奇跡を活かさない手はなかった。

 今後、同様の事態が起こるとも限らない。為政者はすぐにその飛行生物の分析をさせた。切断や焼却、実験と称してあらゆる侵襲的な処理を試したところで、またしても思わぬことが起こるとは誰が予想できただろう。

 体が修復したのだ。どれだけ傷をつけようとも、明くる日には完全な状態で回復してしまっていた。生物がいまだ生きている可能性に、為政者はいよいよ困り果てたようだ。最終的には前述の文献にあるとおり、為政者はその遺骸を洞窟に閉じ込めた。殺せないとしても、二度と出てこないようにする必要があった。

 ……そうして街は見かけ上平和を取り戻した。幸いにも、以来、飛行生物は姿を現すことはなかったし、これまで大きな災厄が起きることはなかった。

 これが首領の知る全ての情報であり、ルデカルの民ならば揺籃期より母親から聞かされている物語である。街外れの禁域には入ってはいけないよ……そう、首領でさえ口酸っぱくいわれたものだ。

 しかし、首領たちは、今その洞窟に踏み入れている。何百年ぶりに、現在の為政者の方針で秘密裏に調査を任されたのだった。

 首領にとってその仕事は簡単なものだった。人を殺すわけでもないし、殺される危険もない。

 だが、この胸騒ぎはどこからくるのだろう。藪蛇にならなければいいが――。

「止まれ!」

 首領の声が響いた。男たちが松明を高く上げる。それでも光は天に届かない。かなり開けた場所を意味していた。

 近いな……。文献によると、広まった場所に飛行生物を埋めたとあった。

「よし」首領が男たちを集めた。「ここで作業を始める。各自、飛行生物の痕跡を見つけるように。ただし、もし見つけても触れるなよ。必ず俺に声をかけるんだ」

 首領がいうと、男たちは周囲に散っていった。

 さて、このあとの報奨をどう配分するか――。

 首領はその場に松明を立てた。灯りが消えないのは空気の流れがあるからだ。首領は手下の持ってきた小さな椅子を広げて、黙考した。

 功績に応じるのは当然だが、年月も……。

 突然、叫び声が聞こえた。

「どうした!」首領は叫んだ。「おい! 何があったんだ」

 靴音が洞窟に谺する。名前を呼んで、安否を確認する。最後まで返事がなかったのは新人だけだった。

 まさか、と首領は思った。嫌な予感がした。次々と男たちの野太い声が重なる。誰もが声の出所に向かっていき、灯りが一カ所に集まった。ようやく辿りつくと、新人が腰を抜かしていた。

 松明を投げて、首領は新入りに駆け寄った。「おい、大丈夫か!?」

 新入りの体に触れる。怪我はないようだ。しかし、呼びかけても新人は口を震わせるばかり。「あ、あれ……」かろうじて、その指先が彼方へ向かう。

 首領は新人の目線の先に灯りを向けた。そして、安堵のため息が漏れた。

「おい、新入り……。お前はこれに驚いたのか」

「へ……」間抜けな声を出す。「そ、それです」

「よく見ろよ。死んでる」

「えっ」新入りはようやく目を開けた。

 そこには飛行生物の遺骸があった。大きさは大人の男二人分ほどか。予想よりは小さかったが、それらが折り重なり骨の山を作っていた。首領も当然見るのははじめてだった。いや、現代に生きている人間は誰であっても見たことがないだろう。

「情けねぇな」長身の男がいった。

「で、でも、動いたように見えたんだ」

「松明の影でも見えたんじゃねぇの」

 そこで一斉に緊張が緩み、男たちの笑いが起きた。新入りは恥ずかしそうに立ちあがり、横たわる飛行生物の遺骸を足で蹴った。

「おい!」首領がいった。「気をつけろ。依頼のものだ」

「すいません……」

 新人が小さくいった。

 無理もない、と首領は思った。暗闇のなかだと、こうして錯乱するやつも出てくる。もう何度も見てきた。

「だが、ちょうどいい。これで手間が省けた。――みんな、この骨を調べるぞ」

 首領の号令のもと、検分が始まった。見たところ、骨は野生生物のそれと変わりなかった。が、それにしては重かった。骨の継ぎ目が青くなっているのも気になった。

 ナイフを取り出し、骨に当てて削り取った。見た目よりずっと柔らかいようで、ナイフはすっと骨に入っていく。

「うっ……」途端に、青く鋭い光が現れ、首領は目を細めた。「何だ……これは」

 切り取った骨を指の間から見る。長い年月を経て化石のようになっている表面は理解できる。けれども、その断面の美しさは現実のものとは思えなかった。

 ――こんなもの見たことがない。発光する鉱石なんて。細やかな凹凸から無数の光が針状に出ており、内部の色を反映しているのか深海のような青色。次第に光は弱くなっていったが、神秘的な輝きはいつまでも見ていられるほど魅惑的なものだった。

 男たちはみな驚いた。首領も例外ではなかった。これは……とんでもないことになるかもしれない。首領はそう直感した。

「すぐに集めて、帰ろう」

 突然、轟音が駆け抜けた。

「伏せろ!」首領が叫んだ。

 激しい視界の揺れで、地面が揺れていることに気づいた。首領はほとんど反射でその場に伏せた。頭を腕で隠して周囲を見た。手下たちは松明を落とし、首領と同じ体勢を取っている。できるだけ一カ所に集まりたい。しかし、揺れがひどく動ける状況ではなかった。ただ耐えるしかなかった。何か喋ろうとすると舌を噛みそうで、上から落ちてくる砂礫から目を守るくらいしかできない。

 ようやく揺れが小さくなってきて、動けるようになると、次第に声が聞こえてきた。

「怪我はないか!!」

 首領は辺りを見回した。灯りがあちこちに見えるが、その姿は見えない。呻き声が聞こえる。どうやら負傷者が出たようだった。崩落の危険性がある。一刻も早く連れ出さなければならなかった。しかし、と入り口を見る。先ほどの揺れで、岩石が落下し塞がれていた。ここにある道具ではとても対応できるとは思えなかった。

「首領、どうしましょう……」

「そうだ」長身の男が思いついたようにいった。「きっと、外の人間が不審に思うはずですよね。首領に依頼したお偉いさん。報告がなければ、変に思いますよね。その人が助けてくれれば」

「ああ」

 首領は頷いたが、そうは思わなかった。これは秘密任務だ。外部からの助けなど来るはずもないことが分かっていた。けれど、ここで男たちに本当のことをいえば混乱するだろう。現に、新入りを馬鹿にしていた長身の男さえもこの狼狽えようである。事実をいって、いたずらに体力を浪費するのは避けたい。

 首領は男たちに待つように指示した。しかし、数刻経っても状況が変わらない。水も食料もない。限界が近かった。

 死。誰もがその足音を感じていた。

 首領は後悔していた。自分一人が死ぬのはまだいい。だが、将来のある若い男たちを巻きこんでしまったのは、自分に責がある。任務を受けなければ……。

 首領は鉱石を翳した。消えかかった松明に照らされて、青い鉱石が鈍く光っている。

 これさえなければ……。首領は唇を噛んだ。これさえなければ、死ぬこともなかった。

 男たちが泣いている。声を殺して泣いている。松明がまた一つ消えた。

 首領は鉱石を握りしめ、一度も思い浮かべたことのない神の姿を思い浮かべた。せめて、こいつらだけでも助けてほしかった。

 そのときだった。手から強烈な光が漏れ、思わず首領は手を離した。乾いた音で、小さな塊が落ちた。光の源は鉱石だった。途端に大地が割れんばかりの大きな音が鳴り、光が膨らんでいく。

 男たちは我が目を疑った。その青い光は真っ直ぐに天を貫き、洞窟の真上に大きな穴を開けたのだ。すべては一瞬の出来事だった。今、鉱石の光は失われ、代わりに空の白い光が覗いている。

「奇跡だ……」誰かが呟いた。

「奇跡だ……奇跡だ!」狂ったように叫んだ。

 首領は男たちの汚れた顔を見ていた。奇跡だ……。言葉には出せなかった。打ち震える思いだった。そうして、首領は落ちていた鉱石を拾い、丁寧に懐にしまった。

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