第5話 先にある世界

 でも、本当にそれでいいの?

 わたしたちの国の平和と自由は、そこで生まれたわたしたちの手で掴むべきものではないのかしら。

 がらにもなく考え込んでしまったわたしに向けて、兄は言葉を続けます。


「おそらく魔王城が陥落するのも時間の問題だろう。だからいまは一時の平和を利用して、昔からやりたかった世界の探索をして回っているのさ」


「一時の平和? いまが?」


「魔王がいなくなったあと。世界はどうなると思う?」


「それは――平和になって、みんなが笑顔に――」


「魔族という人類共通の敵がいなくなったあと、今度は人間同士の争いがはじまる」


「そ、そんな、兄さん、なんてことを……」


 わたしは兄の言葉に激しく動揺しました。

 手にしたカップの中で、ハーブ茶の湯面が震えております。


「俺はモンスターを狩るのに抵抗はないが――人間同士の戦いで剣を振るうのはごめんだ」


 そう言って兄は、食べ頃になった触手の酒蒸しをホットサンドメーカーから皿へと移し替えてわたしに振舞ってくれました。

 いい匂いです。

 バターとスパイス、そして芳醇な酒の香が混ざりあった旨味たっぷりのジューシーな味。


 これがついさっきまでわたしの四肢を撫でまわしていたかと思うとちょっと複雑ですが、アツアツでぷりぷりです。

 わたしはまさに自分の敵討ちとばかりに、がっついてしまいました。

 兄はそんなわたしの食べっぷりを見て、満足そうに微笑みます。


 は、恥ずかしい――。


「さて。これ片付けたら、もうちょっと潜るからね」


 触手の酒蒸しとぶどう酒の熱燗を平らげた兄は、一つ目コウモリに向かって動画ラストのお約束であるサムズアップをして、映像の記録を終了させるとそう言いました。


「え? まだ撮るの?」


「うん。ダンジョンというのはそもそも、歴代の魔王たちでも手に負えなかった凶悪なモンスターを幽閉しておくための巨大な牢獄なのは知ってるかな」


 わたしは無言で首を横に振りました。

 触手おいしい。

 すでに口の周りはテカテカです。


「もともと中に侵入されないために強固にしているんじゃなくて『中からモンスターが出てこないようにする』ための工夫がされているのさ。つまり――」


「つまり?」


 はしたないですけど、わたしはゴクリと唾を呑み込みます。

 彼の次の言葉をドキドキして待ちました。


「奥へ行くほど強力なモンスターの肉が食える」


「そうそう、強いモンスターほど美味しいって――そんな理由かーい」


 これもまた異界からもたらされたお笑いのテクニック。

 乗りツッコミっていうらしいです。

 酒宴好きの司祭さまから、教えていただきました。


「さあ、行こう。おそらくこの先に、さっきの触手の本体がいる」


「ほ、本体っ。あれのっ?」


 きしょっ。

 思わず漏れそうだった悪態をどうにか呑み込んで、わたしは兄に笑顔を返しました。


「だがその前に――」

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