森と谷

継代

 船を作るのだ。そう思った。


 細長い谷底に、乳白色のような灰色のようなものが無限に堆積している。そこから細長い塔が伸び上がっていて、なるほどこれが材料なのかと得心した。

 船を。

 作る。

 死人のむくろが結晶した石で。

 渡し守が、来るまで。


 それが私の役目だ。


 谷幅の最も広い場所を選んで進んでいくと、一つだけ、まだ人の形をした骸があった。

 石像のように割れた、男の顔の半分。側には古い仮面が落ちている。


 なるほど、と思う。

 この男はきっと何か言う。

 それがの合図だ。


 私がそばにひざまづくと、砕けた顔の男は唇だけを動かし、風のような声で一言。


「――――春風イェフタ…………」


春風イェフタ。分かった」


 答えを聞くと、男の顔にはたちまちひびが入り、見る間に崩壊して他の残骸と同じになってしまった。

 けれども私には分かる。

 今告げられたのが、私が作る船の名だ。

 春風イェフタ。それが、今崩れ去った男、私の前の船匠の、魂の半分である人の名。


 男の骸は玉骨石に育ち、私がそれを船に作るだろう。

 春風イェフタという名を宿した船はいつか飛び立ち、その名を道標に天へと進む。

 死者の船とはそうしたものなのだ。船と船匠の魂に刻まれた航路を辿って、たくさんの魂を天へ運ぶ。


 きっと、私もそうなるのだろう。

 いつか船を見送って砕けたあとに。

 新しくやってきた船匠に、私の魂の半分である人の名を告げるだろう。

 そうして私は砕け、愛する人の名を冠した船となって、天へ向かう。

 そのとき、私は航路を誤らない。

 心に抱くたった一つの名が、船を必ず導いてくれるだろうから。


 前の船はもう天に着いたのだろうか?


 やがて崖の上から、ぱらぱらと骸が降ってくる。

 見ると、影色のもやのような死鬼が森へ戻っていくようだった。


 たくさん、たくさん運んで来い。

 それで船の材料ができる。

 死人たちを天に届けることができる。

 いつか渡し守が来る日まで、私はここで船を作り続ける。


 私は、手にしていた仮面を自分の顔に着けた。

 そうしてその瞬間、殆どのことを忘れた。




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