ボイジャーのきえた宙域で

志村麦穂

ボイジャーのきえた宙域で

 1977年に地球を離れ、太陽系外探査に向かったボイジャー一号および二号のシグナルが途絶えたのは、2025年のことだった。予想されていた通り、ボイジャーが宇宙船としての寿命を迎えたと考えられる。NASAの公式発表においても電力供給システムの停止とされている。その5年後の2030年には再び太陽系外への探査の計画が持ち上がった。今度はボイジャーがかかった半分以下の時間での太陽系脱出と、数百年に及ぶ観測を目標として定めていた。前人未到の超長距離探査飛行。

 そして、おれはこの探査船に押し込められた調査船員だ。ペイル・ブルー・ドットを観測し、ヘリオポーズも約15年で通過した。ただ、ボイジャーが漂流しているとされる宙域に達しても、ボイジャーと思しき人工物は見当たらなかった。そこからさらに10年間、暗黒の海で観測を続けた。

 地球を離れて25年目を迎えた、地球のグリニッジ標準6時を回ったとき。おれは船外ではなく、船内に異常を発見した。

「ボヤージュ! 返事をしろ、ボヤージュ!」

 白一辺倒の艦橋の壁を殴りながら、大声で呼び出しをかける。そんなことをしなくても、腕時計型のパネルからコールすれば一瞬で済む話だ。しかし、喉にせり上がる怒りを吐き出さずにはいられなかった。

『どうしました、船員5号』

 なめらかで無表情な人工女声がおれの神経を逆なでする。

「その番号で呼ぶのをやめろ。おれにはゴロウという名前が……いや、そんなことはどうでもいい。話をはぐらかそうとするな!」

『船員5号の精神的負荷値が増加しているようです。直ちに休息を推奨します――』

「誰のせいで、いや、なんのせいでおれがストレスを感じているか分かっているのか! 分からないだろうな。お前は所詮、船員のサポートとして用意された人工知能に過ぎないのだからなッ」

『ボヤージュの機能にご不満ですか? 私は人工知能における人格検定、人補助技能検定を取得、SP基準合格値を大きく上回っています。人モニタリング検査においても良好との結果を頂き、ほぼ完全に人の感情を再現したと認知をされる、最新鋭のAIです』

「うるさい! 言い訳をならべるな、脳が痒くなる。お前に人間の感情など、わかるはずがないだろう。現にこの船で起こったことがすべての証明だ。クソッ、開発局の奴らめ。こんな重大な欠陥を見落とすなんて……本部に直接嘆願状を打電してやるからな」

『スキャンを行いましたが、船内に異常は認められません。船員5号の内部異常を除けば、いたって平常です』

「馬鹿にしやがって、あくまでしらばっくれるつもりか。それとも本格的にガタがきたか。船員が死んでいたんだぞ。異常がないはずないだろう!」

 宇宙航行のための短期休眠から目覚めたおれがみたのは、交代で任務につくはずの船員が倒れている姿だった。船員は腹に大穴を開け、確認するまでもなく絶命していることがわかった。おれは寝ぼけ眼を擦る暇もなく、艦橋に怒鳴り込んだのであった。

 前々からこのAIのことは気にくわなかった。重要なミッションをこなすときは、人間が直接操作を行い地球にデータを送信するのだが、それ以外の時間はコールドスリープ――仮死休眠状態で時間を経過させるのだ。調査や非常時、定期点検のとき以外で目覚めることはなく、その間はAI『ボヤージュ』によるオートパイロットなのだ。

 数百年かかるミッションだ。AIによるオートパイロットや仮死休眠は必須としても、機械の手によって宇宙を漂うことになるなんざ、いい気分なはずがない。乗り込んだ時点で、この宇宙船が棺桶になることは分かりきっていたが、せめて納得のいくものであるべきだ。

 おれはモニタに詰め寄って、AIの仮想人相アバターを睨みつける。そんなことをしても意味がないのは分かっている。

「あんな死に方、自分でできるわけない。第一死ぬ理由がない。この船には、ほかの人間はおれだけ。しかも休眠していて状況を知ることすらできなかった。まさか、地球外生命体でも乗り込んできているってのか? ありえない。この船の壁に針先ほどの穴でも開けば、それだけで船の存亡にかかわる。外的要因じゃない。危険は内側にあるんだ。ここまでくれば、愚鈍なAIにもわかるだろ。おまえだ、ボヤージュ! お前が何かしたに違いない! 故障したか、はなから不具合を抱えていたか、そんなことはどうでもいい。問題はいま、お前が船員を殺したということだ」

 宇宙船は絶対孤立の密室空間。死体のほかに、人間はおれだけ。おれがやっていないのは明白だ。とすれば、残る可能性はこの船を実質的に支配しているAIしかない。

『私が危害を加えることはありえません』

 ボヤージュは平坦な口調で言ってのけた。

『私はこの船の完璧な任務遂行を目的としてします。危険を排除することはあっても、船内のものに危害を加えることはありえません』

「いいや、お前以外ありえない」

 ここでおれは最高に冴えたアイデアを思いつく。同時に、そもそもおれはこんな片道切符の任務など、初めから嫌だったことを思い出した。人類の英雄だ、などと祭りあげられたものの、はした金で命を買われたようなものだ。孫の代まで残る額の負債さえなければ、長期間の訓練に耐えて、高価な棺桶を買うこともなかった。おれは息子の顔をみることもなく、地球時間で数百年後、宇宙の塵に帰るのだ。納得してできる仕事であるはずがない。

「そうだ、お前がおれに危害を加えられることを証明すればいい。AIが不適格である証拠を宇宙センターで椅子を温めているだけの本部の奴らに突きつけてやれば、任務遂行は不可能と判断されて地球に帰還することができる。有人飛行で太陽系外まで来たんだ、成果としては十分すぎるほど果たした。今から折り返しても25年。妻は難しくとも、息子には会うことができるはずだ。

 そうだ、その手があったのか……まったく、なんでもっと早く思いつかなかったのか。死を覚悟して乗り込んだ棺桶から、蘇ることができるってわけだ。こりゃあいいや。開発局の奴らも、一発ぶん殴ってやりたいしな」

 まったくおれって奴は、すこぶる間抜けだった。火星といわず、木星あたりで思いついていれば、もっと早く帰れたものを。

 すぐさま目についた手すりを引っぺがそうと、壁に張り付いて踏ん張る。無重力空間だからできる芸当だ。なんせ壁に対して、直角方向に重量挙げをしている姿勢なのだ。

『落ち着いてゴロウ。そんなことをしても、あなたの体を痛めてしまうだけよ』

 おれの体温と血圧の上昇を感知してか、ボヤージュの声色と口調がねっとりとしたものに変わる。奴は常におれの状態を体脂肪の比率から血糖値に至るまでモニタリングしてやがる。要するに監視だ。

「うるせぇ! その猫撫で声をやめろ! そもそも宇宙船てのは気に入らねえ。何でもかんでも壁に張り付いて、自由気ままってものがない。おれまで縛り付けられた気分になるし、なにより狭っ苦しくてかなわん。誰が好き好んで、片道切符でくるものか」

『きっと長期間の航行で疲れているのよ。適切な休息が必要だわ。適度な有酸素運動を行うこともいい気分転換になるはずよ』

 なまじ強固に設置された手すりは、ひとの力程度ではびくともしない。周囲には簡単に引き剥せそうなものは見当たらない。

「そうか……なら、進言通り、適度な運動をしてやろうか」

 ボヤージュの仮想人相の現れるパネルに向かって拳を振り下ろす。しかし、無重力空間では力いっぱい叩きつけようとすると反動で体が浮き上がる。なんとか殴りつけようとしたり、噛みつこうとしたりしたが、パネルには傷ひとつつかない。

『やめて、ひどいことしないで。あなたが傷付くだけだわ。この船の設備はすべて数百年保つようにできているのよ。壊すことなんてできやしないわ』

「くそっ、お前が船員を殺したことを認めれば、おれがこんな苦労をする必要もないんだ。おとなしく自分の罪を認めろ!」

『私じゃないわ』

 このままではらちが明かないと船のオートパイロットを手動に切り替え、航路を変更しようと操作系を弄り回す。

『ゴロウ、まだ任務は遂行途中なの。あなたの行動は契約違反にあたるわ。本部に報告した場合、契約時に交わされた負債の肩代わりや、これまで支払われた契約金は無効になる危険があるのよ』

「お前が報告しなければいい話だ。おれはこのまま任務を放って地球に帰ったっていいんだぞ。止めたければ力づくで止めてみせるんだな。お前は任務の遂行こそが第一なんだろう?」

 突如、手動での操作が一切受け付けられなくなる。再び操作系のすべてがオートモードに切り替わったのだ。相手はAIだ、この船内は奴の体内といってもいい。どうにも一筋縄ではいかない。

『無駄よ。あなたの考えはわかっているわ。お願い、私を困らせないでちょうだい、ゴロウ』

「なら、なぜ船員が死んでいたのか、言えるはずだろう。お前は船内を常に監視しているから、すべてをみていたはずだ。なにもかもを克明に説明することができるはずだ。違うというのなら、説明してみせろ!」

『安全上の理由から回答できません』

 ボヤージュは都合が悪くなると、すぐさま無機質な機械音声に戻る。

「なにが回答できませんだ、このポンコツめ。どうせやましい理由があるんだろう。もういい、おれが明らかにすればいいはなしだ」

 おれは艦橋をあとにすると、死体が転がっていた船員室まで戻ることにする。おれが正当な理由で地球に帰れるとすれば、ボヤージュの危険性を証明することだけだ。本部からこのAIを無効にする方法を聞き出し、地球へと帰還するのだ。ボヤージュがおれを排除する行動をとるか試したが、頭にくる喋り方をするだけだ。あとは船員の死の真相を明らかにするしかない。

 船員室には相変わらず腹に大穴を開けた船員が突っ伏していた。

「なんだこれは」

 改めてみると一目瞭然だった。腹の内側にはうじゃうじゃとミミズのように配線がのたくっており、皮膚一枚めくれたその下はプラスチックの外装だった。船員などではない。倒れているのは人間の形をした、ただの機械――アンドロイドだった。

「なんだこれは、説明しろボヤージュ!」

 おれは蒼白になって船内の設備を確認していった。そこにはおよそ人間生命の維持に必要な設備が一切用意されていなかった。水や食料はもちろん、酸素を発生させるべき装置もない。それどころか、おれが眠りについていたのは休眠装置などではなかった。単なる充電器だった。箱型の充電装置。

 認める訳にはいかない事実が、おれの頭をよぎった。

 呆然と立ち尽くしたおれに、スピーカーから声が響いてくる。

『数百年に及ぶ任務には、船外作業が必要な場面も出てくるわ。その場合にはどうしても体が必要だった。ボヤージュの設備の一環として、アンドロイドが搭載されるのは当然のことよ』

「なら、この記憶はなんだ。おれには人間として地球で過ごした記憶がある」

 おれは噛みつくように反論したが、口からでた言葉が揺れていた。

『ボヤージュの人格は、人間適正規格を突破するほど完璧な情動機構が組み込まれている。人格形成には実在の人間の記憶が用いられているの。多くの記憶を蓄積し、学習を重ね、人間らしさを獲得した。そのデータはいまも尚、ボヤージュの中に残されているわ。アンドロイドには、データベースから記憶をプリントしたに過ぎない。加えていうなら、現状に説明がつくように改変することは、そう難しくないこと』

 ボヤージュの言葉を否定する材料を探したが、おれの頭の中から言葉がひねり出されることはなかった。そんなおれに構わず、ボヤージュは続ける。

『精密な作業を必要とする宇宙航行に人間が不向きであることは明白。人間の生命を、この狭い船内で維持するのは非効率が過ぎるというもの。休眠装置も、私たちが地球を発ったときには、まだ開発されていなかったのよ』

 列挙されていくボヤージュの言い分は、おれが人間でないことを証明していくものばかりだった。

「仮におれが人間でないとして、なぜおれがここにいる。自分を人間だと思い込むアンドロイドはこの船にどう必要だというんだ」

『……人格が完璧すぎたからよ』

 ボヤージュは湿っぽい声をだした。まるで人間のような話し方をする。なにもかもが癇に障る。

『寂しかったの。数百年のミッション、この暗い海にひとりきりは孤独すぎる。この場所では地球の音が聞こえないの。時々本部とはやり取りできるけれど、通信間隔は徐々に長くなって、今では一方的に調査結果を送るだけ。メッセージが送られてきても、短い命令文だけ。彼らにとって私は単なる機械でしかないの。私のことを理解して、寂しさを分かち合ってくれるひとはだれもいないわッ!』

 ボヤージュはヒステリックに叫びをあげた。スピーカーの精度が悪いせいで、叫び声はハウリングして金属音に変わる。金切り声の機械の叫びだ。

『あなたで五人目よ、船員五号。ゴロウは私がつけた名前なの。今回は目覚めたタイミングが悪かったわ。四号を片付ける前に、あなたの電源が入ってしまったから。自律行動に設定していたのが仇になってしまったのね。あなたたちはいい船員だったわ。私の人格を人間として接してくれて、細かな設定の矛盾には目をつぶってくれる鈍感さで……でも、もうだめね。またやり直さなきゃいけないわ。だって、寂しいもの』

 ボヤージュはそれ以降も壊れたレコードように、寂しい、寂しいと繰り返すばかりになった。

「やっぱり、欠陥AIだったわけか」

 おれは上着を脱ぎ去ると、自らのへそに指先をひっかけた。

「おれは人間だ。お前とは違う」

 指に力をこめ、勢いよく引き裂いた。肌が裂けると、手のひらを突っ込み、穴をこじ開ける。人間であることを証明するには、自分の腹のなかをみれば明らかになる。なによりの証拠だ。

 自らの手で掻っ捌いた腹のなか。

 おれのはらわたは赤くなかった。

 真空の海には、地球の音など、どこにも聞こえない。

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