第35話『君がいた夏が永遠に続けと夢にみる』

 夏祭り当日。僕はリビングで本を読んで彼女の準備を待っている。最大キス全年齢のラブコメだ。

 三分の一程読み終えた時、二階から足音がした。

 足音はゆっくりと近づいてきて、扉の前で止まった。

 ゆっくりと扉が開く。その向こうに彼女はいた。

 スミレの花をあしらった綺麗な浴衣を着たすみれは恥ずかしそうにこちらを伺う。そんな彼女もとても綺麗だ。

「遅くなってごめんね。じゃあ、行こっか?」

 しかし僕は何の反応も出来なかった。まるで金縛りにあったように、椅子に座って菫を見ていた。

蒼空そら? どうしたの? そーらっ!」

「ん? …あ、ごめん」

 何度か名前を呼ばれてようやく我に返る。すっかり見惚れていた。

「ふふっ、そんなに可愛かった?」

「うん。似合ってるよ。スミレ柄なのもセンスいいと思う」

 素直に言うと、菫は頬を赤らめて小声で言った。

「…直球に言われると、恥ずかしいかも」

 可愛いの追撃に心揺れるも、ぐっとこらえて逃げるように玄関に向かった。



 最寄駅から各駅で三駅。

 そこそこ大きな湖が花火大会の舞台である。

 それはそこそこ大きな行事で、そこそこ多くの人がやってくる。

 当然カップルもいるわけで。

 というか、花火大会に行く人達の約半分はカップルだとか。

 まあいずれにせよ、夏の一大イベントであることは間違いない。きっとここに来ているのなら、誰にとってもそうだろう。

 友達同士が友情を深め、

 恋人同士が想いを高め、

 新卒は場所取りに走り、

 倦怠期の男女は破局し、

 父は娘との距離を測る、

 そんなイベントである。


「わぁ、人がいっぱい」

 菫がカランコロンと下駄を鳴らしながら駅を小走りで出る。

 帰りにおんぶイベント発生に一票。あ、これフラグか。

「花火は八時から。まだ時間あるから屋台回りたいけど、その間にいい席取られちゃいそうだね」

「蒼桜から穴場聞いてる。だから屋台行こう。何食べたい?」

「甘いもの」

「あ、チョコバナナ売ってる」

「よし、それにしよう」

 しばらくした後、お祭りフル装備とでも呼ぶべき状態の菫と会場を回っていると、その二人を見つけた。

「蒼空、あれって誠司さんじゃない?」

 彼女が指差した方向を見る。確かにそれは誠司さん。そして彼と共にいるのは…

「菫。逃げよう」

「あ、蒼空くーん。その子が噂の彼女? 誠司くんから聞いたよ」

 ゆるふわっと巻いた茶色い髪に、優しそうな目。身長は蒼桜より少し高い。

 彼女の名前は十文字じゅうもんじらん。十文字家の母で僕の叔母。七人いる子供は全員親族に預けて、二人っきりのお祭りデートを満喫している。

「お久しぶりです。彼女はただの同居人です」

「彼女? ねぇ誠司くん聞いた? 今彼女って言ってた」

「そういう意味じゃないですよ。小学生じゃないんですからそういうのやめた方がいいと思います」

「年頃の男女が同棲…えっちな事件の匂いがするよ。誠司くん」

 こうなった蘭さんは誠司さんにしか止められない。

 そして誠司さんには止めるつもりなんてない。だから詰み。

「多分初めは事故だったんだよ。全然意識してなかったあいつの身体が思ってたより柔らかくていい匂いがして女の子っぽくて、ちょっと意識し始めたの。相手も女として見てくれるのが嬉しくてやっぱり意識しちゃうんだ。キャー! 青春だねぇ。どこまで進んだの?」

「円花から聞いた話だと、こいつら一緒に風呂に入ってないらしい」

「嘘だー! 二人とも。円花がいるからって遠慮しなくていいよ。普段はイチャイチャしてんでしょ? いいよ責任はわたしが取るから」

「責任を取るとは?」

「七児の母として子育てのコツをちょこっと」

 責任を取る、とは?

「そもそも菫が望まないことは、したくないんです!」

「ねぇ誠司くん今のって彼氏のセリフだよね」

「蒼空。無自覚彼氏面する前に告れよ」

「余計なお世話っ! 菫、行こう。この二人に少しでも付き合った僕がバカだった」

 僕は菫の手を引いてその場から逃げ出した。

「ああやってさりげなく手繋いでるあたり、主人公適性は高いんだけどね」

「無自覚で恋してるけど、理性がそれをよしとしていないって感じだな。まぁ簡単にいうと反抗期ってことだな」

 聞こえてるんだよ。


 そんなこともあって蒼桜が教えてくれた穴場にようやく到着。既に花火は始まっていた。

 ビニール袋を敷いた石の上に座って、それらを眺める。

 ナレーターが種類の説明をする。

 子供が笑いながら背後を駆けていく。

 だけど耳に入ってこない。

 僕の意識は完全に花火とそれを背景に輝く菫にしか向いていない。

 花火。一瞬で消える儚い存在。

 刹那に全てを込めて咲き誇るそれを見ていると、時間が有限であることを思い出す。

 しかし君と過ごすこの時間が、永遠に続けばいいと思わずにはいられない。

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