第9話 残熱



「あつっ!」

「言ったじゃないですか! ちょ……ああもうっ」


 ここ数日、ああもうが口癖になっている気がする。

 森羊の世話から先日取ってきた果実――梨薔りしょうの蜜漬けの下ごしらえをしたり。合間に夕食用のシチューを作って。

 ルーシャに教えながらやっているうちに日が暮れかけてしまった。


 火を極力使わないようにしているので夜は暗い。青白い月と星明りだけ。

 つい、時間の感覚を忘れてしまっていた。


 昨日は忙しくてできなかったので今日は湯浴みをしたい。ルーシャの希望はフラァマも同じ。

 納屋と母屋の間の小屋、石畳になっている小部屋に大きめのタライを用意して、ルーシャが汲んできた水を湯に変える。



 ――わたくしにも出来るかしら?


 置いてある時にはただの黒い丸石のようなもの。

 まじないの言葉と共に魔法の粉をかけると赤銅色に変わる。わずかな間だけ。

 見た目通りとても熱くなる。だから火ばさみで持って水に浸ける。

 熱はすぐに散って代わりに水が温まるのだけど、ちょっと用意した水が多かった。ルーシャが張り切り過ぎだ。


 追加でもう一度やろうとしたところでルーシャがやってみたいと言い出した。

 今日は色々と手伝いたがった。まあいいかと思ってやらせたのだけど。



「ご、ごめんなさい」

「もういいです、瓶の蓋を閉めて。お湯はこれでいいでしょうから、着替えを用意してさっさと入って下さい」


 ルーシャが落とした火ばさみを取って、外に投げ出してしまった熱石を拾いに出る。

 熱に耐えかねてうっかり投げ出してしまったのだ。

 フラァマにぶつけないようにと思ったのだろう。咄嗟に外に。


 魔法の粉の詰まった瓶を閉じるよう指示して外に出た。

 井戸と畑は近い。

 風呂の小屋も井戸と近いので、放り出された熱石は畑に転がっていったようだ。

 日が沈み、空は残った赤みだけ。暗くなると見つけられないかもしれない。そうなると厄介だ。



「……?」


 ほわんと、畑の中に明りが見えた。

 収穫前の魔里参まりさん。その隣辺りで。

 ルーシャが使った粉が多かったのか、まだ熱を持っていたようだ。お陰ですぐ見つかったのはよかったけれど。


 まだ熱が残っている。

 思った以上に熱を発したようだ。二度続けたからなのか違うのかわからない。


「お師様には内緒にしよう」


 熱石は扱いを間違えると危ない。今回は平気だったにせよ。

 外に出さないようにも言われている。冬の寒さをしのぐのに便利だから使うけれど。

 火ばさみで回収した熱石を石の箱にしまいながら、ルーシャにも口止めが必要かなと考えた。



「本当にごめんなさい、フラァマ」


 替えの服を抱えたルーシャが済まなそうに姿を現した。

 しょんぼりとした顔を見れば怒る気も失せる。上手に森の暮らしができると自慢げだった笑顔が、火が消えたように。


「大丈夫ですよ、ルーシャ。すぐに見つかりましたから」

「本当?」

「料理でもなんでも、最初からうまくできるはずありません。私も初めの頃はひどいものでしたし、そのたびにお師様が……」


 慰めの言葉を続けようとして、浮かんだ記憶に思わず眉が歪んだ。フラァマの機嫌を窺うようにルーシャが覗き込んでくる。


「フラァマ?」

「私が失敗するたびに、お師様は大笑いしていました。わざと失敗するのを待っていた時もあったと思いますよ。まったくあの人は」

「そ……それは、その……大変だったのかしら? だけど楽しそうだわ」

「楽しんでいたのはお師様ですけどね」


 首を振って、早く湯浴みをするように促す。

 せっかく温まった湯が冷めてしまう。棚の上に着替えを乗せるルーシャに背を向けて外に出て――



「ね、ねえフラァマっ!」


 小屋から半分踏み出たところで、ちょっと力を込めて呼び止められた。

 熱を感じる声で。さっきは火が消えたようだったのに、まだ残る熱みたい。


「わ、わたくし屋敷ではいつもメイドと入浴していたのです。だからその、一緒に入って下さってもいいのですよ」

「……私はあなたのメイドではありませんけど」

「そういう意味では……だからその、いつもわたくしが先で……フラァマが気を悪くしているのではと」


 それなら先に入ってと言えばいいのに、どうして一緒に入ろうとなるのか。

 譲るというより要請に近い言い方になってしまうのは、やはり生来のお嬢様気質なのかもしれない。


 メイドのように、ルーシャの体の隅々まで洗い清めればいいのだろうか。今朝見た彼女の胸元を思い出してふいっと顔を背けた。


「そんなことで気分を害したりしません。夕飯の仕上げをしますから、変なことを気にしないで入って下さい」

「……そう」


 しょぼんとしたルーシャの声音に後ろ髪を引かれるのを振り切り急ぎ足で立ち去った。

 やはりまだ夢手茸の影響でも残っていたのだろう。


 そんな風に考えていて――




「フラァマぁ‼ 来てくださいまし! やっぱりここいます・・・わぁっ!」



 シチューをかき混ぜていたら、けたたましい叫び声で呼び出された。



  ◆   ◇   ◆

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