第3話 あやふやな世界で揺れて



「私はトカナの村しか知りませんが」


 前置きをする。

 知らないことは知らない。この森の外のことは、一番近くの町までしか。


「お師様は王都ゼルカラに向かいましたが、どれくらいかかるのでしょう?」

「シルワリエス領首都のゴーラドから馬車で三十日あればいけるはず。ここからだと……よくわからないわね」

「ここからゴーラドまで十五日くらいだと言っていました。そうすると、最悪百日くらいはあなたと二人ですか」


 往復の日程を考えて気が滅入る。

 お師様が出かけてから十日ほど。こんなに長期間、森の魔女が森を不在にするなんて初めての経験だ。


「ルーシャのご家族の嫌疑を晴らすのだとか」

「そう聞いたわ。わたくしをここに届けたら王都に向かうと……ニウ・リンゴが」

「他に何か言っていましたか?」



 春先に届いた手紙からドタバタで、森のことは私に任せると出かけてしまった。

 アムレトの森の魔女ニウリンゴ。ニウなんて呼び方は貴族様向けだからお師様は嫌うだろう。


 手紙が届いたというのもとても珍しい。

 ここは近くの集落――トカナから七日くらいかかる森の中。迷わずに歩いて、という条件で。

 当然ながら配達員なんて来ない。


 何の為の郵便受けかと言えば、魔女同士の連絡の為。

 動物だったり風だったりを使って、本当に必要な時にだけ他の魔女から手紙が届くのだと。

 関わり合うことの少ない魔女の間でも、特に関わらない空の魔女からだと言っていた。


 アムレトの森付近一帯を治める領主シルワリエス家の危難。

 それを知って伯爵領首都に向かったお師様が連れてきたのがこのルーシャ。そしてまたすぐ出て行ってしまった。



 ――家を失くした娘さ。うちで預かるよ。


 四才の頃からお師様と二人だったフラァマの生活に、予期せず紛れ込んできた異物。

 とはいえ、お師様が決めたのなら反対は出来ない。留守を任せると言って出て行ってしまったお師様に理由も聞けず。



 ――元は伯爵令嬢。っても家を失ったんだからフラァアとおんなじさね。


 思い返せば少し妙な言い方だ。

 言われた通りフラァマと同じ魔女見習いなのだと考えたけれど、お師様が王様と話をまとめればルーシャは元の家に帰るのではないか。

 王様なのか、違うのか。その辺は雲の上の存在で関わることもないからわからない。


 詳しく説明する時間がなかったから、少しでもフラァマに抵抗なく受け入れるように言っただけなのかも。

 家を失くした子だと聞けば受け入れやすいと考えたなら、間違いでもないか。



「いくらアムレトの森の魔女でも、反逆の疑いで囚われたお父様たちを助けるなんて……」

「反逆、ですか」


 思ったより物騒な話だった。

 知る限り、シルワリエス家は長くこの土地を治める穏健派の貴族だとか。

 それがなぜ急にそんな大きな問題になっているのか。



「わたくしには二つ上の姉がいるの」

「……」

「とても綺麗で聡明な……他人に厳しいところもあるけど、尊敬する姉よ」

「へえ」

「この春十五の成人の儀を終えて、公爵家との婚約発表を控えていた時に、都から……」


 二つ違いということは、ルーシャは私より一つ上か。年齢の話は避けよう。

 めでたい門出になるはずが、都からの急使で一変した。


 ルーシャが喉を詰まらせた先を補完しながら、一度席を立ち空っぽだった彼女のコップを取る。



 水を……少し時間をかける為に、ぬるめのお茶を入れて席に戻った。


「……ありがとう、フラァマ。お父様たちも抗弁の為にあちこち手紙を出したけれど、そうしている間に都から近衛騎士が来て」

「連れていかれたんですか」

「お姉様だけはその前に、公爵様の手配で匿っていただいたの。わたくしはニウ・リンゴが……」


 言いかけて、まだ潤んだままの瞳で私を見て笑う。

 何かおかしかっただろうか。



「あの方、物怖じしないのね。森の魔女という人はもっと穏やかな方だと思ったのに」

「ああ」


 近衛騎士が連行しようとしたルーシャをお師様が庇ったのか。

 その様子を想像すればなんとなく。


「訛りもひどいし、普通に話していても怒っているみたいですからね。お師様は」

「近衛騎士に対して底抜けの間抜けかいって……ふふっ」

「そんなことを言っていましたか」

「お父様たちも少し落ち着いたみたいで、わたくしにニウ・リンゴと一緒に行くように仰ったの。自分たちは王都に行くからと」


 お師様の話す言葉は田舎者臭い。わざとやっているのか素なのか。

 権威者に対しても変わらないのだろう。



「わたくし、町の魔女なら知っているけど森の魔女は初めて見たわ。随分違うのね」

「町の魔女はあまり力がないですから」

「そうなの?」


 ルーシャの方の経緯はだいたいわかった。

 家に帰る見通しはわからない。なら、ここにいる間はやはり森の魔女見習い二号という扱いでいいだろう。



「そもそも魔女というのはですね」

「その話、退屈?」

「聞きなさい」


 話したらすっきりしたのか、ややおどけたように肩を竦めて、


「水汲みよりはいいかもね。聞かせて」

「あなたって人は……魔女というのは、世界と人との仲立ちのような存在です」


 自分の分のお茶のコップに、小さな香草の葉を一枚落とす。

 波紋を立てて中央に浮く葉にルーシャの視線が向いた。



「世界というのは、あやふなものの中に浮かんでいるようなものだと。私たちの住むこの地上は、そのずっと下も、ずっと上も。ふわふわした曖昧なものに包まれているんです」

「浮船みたいに?」

「とても大きな浮船ですが」


 この森も、伯爵領も、この国だけでなく異国も含めて全部。

 あやふやなものに包まれた世界。



「取り留めのないものたちは、時に大きな災いを起こすことがあるそうです。向こうには悪意も害意もなく、干したお布団の埃を払うみたいに」

「それは……どうなの?」

「何が起きるかわかりませんよ。洪水だったり山が崩れたり、空が光って辺り一帯が吹き飛ばされたり」


 数年に一度の災害なんてものではない、もっと大きなどうしようもない災厄。

 お茶に浮かぶ香草を指先でつんつんと揺らして見せてから、一口飲んで息を吐く。


「人の力ではどうしようもないそれらと折り合いをつけるのが魔女と言う存在です」

「民を守るの?」

「そういうのじゃないですね。色んな生き物が暮らすこの世界を、その波の中でも沈まないように助言するくらい」


 少し減ったコップを傾けて、浮船に見立てた香草が左右に揺れ惑う様子を見せた。



「町で暮らす魔女は、形ある確かなものに寄りやすいそうです。あやふやなものから遠く、だから魔女としての力はさほど強くない」

「不確かな方が魔女として上ってことかしら?」

「上とか下とか、そういう序列もないんですよ。森の魔女なんて言われますけど、お師様はほら。森で会ったら獣なのかならず者なのか、立ったまま寝ていると樹木と見間違えたりもしますから」

「曖昧すぎるんじゃありませんの」


 取り留めのない存在だから、取り留めのない世界の声が聞こえる。

 力ある魔女は皆、町と離れて暮らしているのだとか。



「あんまり過ぎると魔女そのものが生き物ではなくなってしまうんです。だからたまに弟子を取って人との繋がりも少しは残しておく」

「ふうん……」

「空の魔女は、人の姿を忘れかけた魔女だと聞きます。ふわふわと漂い、長い年月の末にいずれ空に消えていくのだとか」


 序列ではないけれど、空の魔女は最も力のある魔女ということになる。

 かなり向こう側・・・・に寄ってしまって、人の感性とはかなり異なってしまっているとも。不用意に接触するのは危険だとも教えられた。



「森の魔女の他にはどんな魔女がいるのかしら?」

「この国の中でも岩穴の魔女、湿原の魔女。海の魔女たちは世界中に。他には大河の魔女とか」

「大河の魔女は聞いたことがあるわ」

「お師様は仲が悪いそうですから言わない方がいいですよ。きっと良い評判でしょう?」


 前もって警告できたのは良かった。

 透き通るような絶世の美女で、と頬に指を当てながら思い出しているルーシャに悪気はないのだろうが。


「なぜニウ・リンゴは大河の魔女と仲が悪いの? 森と川なら良い関係になりそうなのに?」

「彼女の本当の年齢をお師様が知っているから向こうが嫌っているらしいです。お師様が言いふらしたのかもしれません」


 魔女同士の関りが薄いのは、互いに何か恥ずかしい幼年期を知っているからかもしれない。

 冗談のような理由を聞いて笑うルーシャを見ながら、香りのついたお茶を飲みほした。



  ◆   ◇   ◆

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