私の証明

和泉茉樹

私の証明

     ◆


 呼び出された部屋に私が入ると、そこに私が待っていた。

 視線を交わし、どちらからとも会釈して、私は空いている椅子に腰掛けた。部屋には円卓があり、椅子の数からすると六人が向かい合うことができる。

「こうして見てみると」

 私が私に声をかけてきた。

「本当にそっくりね」

「そういう設計ですから」

 私と彼女は瓜二つだった。背丈が、とか、顔の作りが、とか、髪型が、とかではなく、何から何まで、同じなのだ。

 全く同型の脳情報移植型身体に私たちは入っている。

「ここに来るまでは何を?」

「それは任務の性質上、機密。あなたもでしょう」

 私たちは共犯者の笑み、しかし寸分違わない笑みを浮かべる。

 扉が自動で、かすかな音ともに開く。

 そちらを見ると、もう一人の私が立っている。今度は三人ともが、顔をしかめた。三人いるという状況に、三人ともが同種の不快感を感じたからだ。そして不快感は、全く同じ表情を生み出した。

「なんだか、嫌な予感がしてきた」

 私が空いている席に座り、二人を見る。

「何も聞かされていないのは、同じみたいね」

 まさしく、という意味で肩をすくめたけど、二人ともが同時に、ピタリと同じ動きをしたので、次には三人ともが苦笑いしていた。その苦笑いは三者三様なわけもなく、一様だった。

「あなたたちは自分が何歳か知っているわけ?」

 それはあなた、と私が答える。

「私たちに年齢なんてあるものですか。あるとしてもそれは年齢とは少し違う」

「訂正。あなたたちはあなたになって、どれくらいが経つ」

 私が「二年」と答え、私が「二年と少しね」という。そして私は「まだ半年の私が年下ね」と言って笑う。

 扉がまた開いた。

 私がそこで目を丸くしていて、素早く三人の様子を確認した。三人も三人で、同時に他三人へ視線を巡らせた。

 私が空いている席に着き、ため息をつく。そのため息は四つが重なっていた。

「ちょっと、やめてよ。コピー人間に会うっていうのは、なかなか気が重くなるわ」

 私もそう思っていたけど、言わないことにした。他の三人も言わない。

 それでもと私が口を開こうとした時、扉がまた開き、そこには私が立っていた。事態を把握すると、苛立ったことを誇示するように大股で部屋に入ってくる。私は乱暴に椅子に腰掛けた。さすがにこの時は、五人ともがこの悪趣味な会合について腹を立て、しかし怒りを向ける場もなく、腕組みをして、唇を結び、俯いていた。

 扉がまた開く。

 五つの視線が攻撃的な色で向けられても、そこにいる私は平然としていた。

 私ももう冷静だった。そういう訓練を受けている。

 椅子は全部で六脚、そして今、六人目が入ってきた。

 これで全員が揃ったのだ。事態が動き出すのに違いない。それに万全に対処するために、そうと悟られないように身構えた。他の五人もそうだろう。 

 席が埋まり、沈黙が降りて、私が一言目を発する。

「こうして同じ人間が六人集まって、しかし、本当に同じ人間かどうか、気にならない?」

 私は鼻を鳴らし、私はムッとした顔をして、私はちょっと笑みを浮かべ、私は無表情。

 私はどんな顔をしているのだろう。

「外側は同じでも中身は違うでしょう。だって、私たちは元々は同じ人間でも、別々の経歴を生きてきたんだから」

 私の指摘に、私が頷く。

「でも私たちは、全くの別人ではない。基礎の基礎が同じなんだから」

「オリジナルの脳情報を精密にスキャンして、情報化して、そこから私たちが分岐していったことを言いたいわけ?」

 まさに、と私は頷いた。

「でもそれって、些細なことじゃない? 個性を持っている以上、それは個人のはずだけれど。初等教育において、みんな統一されたテキストで言語を覚えるけど、言葉遣いや頻用する単語はバラバラになるわけで。例えば、同じ家庭で育っても別人になるし」

「統一されたテキストから、何を見出すか、というところに意味があるとも言える」

「それを言ったら、私たちはオリジナルというテキストを共通して使っているわけで、結局、そこから何かを見出す、と表現するよりない過程を経て、別人になっている」

「肉体が同じだから混乱しているだけでしょう。もし今、私たちがまるで別人の代替身体を使っていれば、私たちはこんな意味もないことを議論する必要はない」

 私の言葉に、私が身を乗り出す。

「つまりあなたは、肌の色や、髪の色、瞳の色が、個人を決定する上で不可欠だと言いたいのね? でも、それら全ては自在に変えられる。変えられる以上、それでは個人という概念を定義する要素にはなりえない」

「精神、人格こそが個人と呼ばれるものの唯一の所有物だと?」

「価値観と言ってもいい。あるいは、感情とも」

「なるほど、確かに私は今、とても不愉快だわ。私が何人もいて、喧嘩しているんじゃね」

 沈黙。

 誰も何も言わなくなった。

「私は私だと、はっきりさせる方法がある」

「オリジナルと比較する、ということでしょ? それは意味がないわ。オリジナルは私たちの出発点と共有するものを持つけど、やっぱり独自の日々を過ごし、経験し、学び、獲得し、新しい人間になっている。つまり、私とは別の人間よ」

「私だってあなたたちとは違う日々を過ごし、経験し、学び、獲得してきた。それなのにどうして、私は全くの別人になれないの?」

 その言葉に答える者はいない。

 いつの間にか空気は冷え込み、重かった。

 何かがズレていくのがわかる。

「オリジナルにはあって、私には無いものは何かしらね。肉体ではない。脳でもない。意識でもない。記憶でも、感情でも、経験でもない。人間関係でもないし、社会的な立場でもない。では、何が足りないの? 何もかもがあるはずなのに、もしかして、知らないところで、何かが欠けているのかしら」

「私には何も欠けていない」

「人間ではないとして、でも私のこの意識、思考、知性は人間だわ」

「作られたものではない。私が作ったものよ。基礎の基礎は他人のものでも、その上に作られたものは、全て、私が作った」

「私が混乱するのは、私が無数にいることを、私が許容できないからだとしか思えないわ」

「そんなはずはない。では、一卵性双生児は自分が二人いることに、何らかの矛盾を感じなくてはいけない。しかしおそらく、そのような疑念は生じない。私が今、はっきりと感じている、この違和感は、複数の自分が存在するからではない」

「試しましょうか」

 私が立ち上がり、拳銃を抜いた。この部屋に入る時、武装は解除されていない。

 誰かの意図か。

 考えている暇はない。

 蹴倒された椅子が倒れる前に、私が立ち上がり、拳銃を向ける。

 さらに二人が立った。四人が銃を向けあうが、一人が一丁しか持っていないため、実に奇妙な膠着が出来した。

「ここで一人になれば、何も問題はない」

 私の言葉に答える者はいない。

 かすかに音を立てて引き金が軋み、動く。

 生き延びるにはどうするべきか。

 私も拳銃を持っている。

 いつでも構え、照準し、引き金を引くことはできる。

 しかし自分を殺して、生き残って、どうなる。

 どうしてここで引き金を引く必要がある。

 自分こそが自分だと証明するために、自分とそっくりの存在を死体に変えて、それで何がどう変わるのか。

 私のオリジナルデータは今も、どこかで厳密に保存されているだろう。

 設備があり、資材があり、人員がいて、法律が許せば、あるいは法律が許さなくても、私と同じ存在はいくらでも生み出せる。

 違う。

 私と同じ存在ではない。私と同じところから始まる、全くの別人だ。

 私は私であるということを証明することは、必要なのか。

 私が私であることは、私が知っていればいい。

 例え、私と同じ外見の、私と同じ価値観を持つ、私と同じ意識を共有するように見える他人であろうと、それは他人に過ぎない。

 私がここで目の当たりにしている五人の私は、ドッペルゲンガーのような空想上の存在ではない。

 実在する存在。幻ではない。作り物でもない。

 私は私。

 目の前にいる私は、私だが、私ではない。

 引き金がついに引かれ、銃声が響き渡る。銃火が部屋を刹那だけ照らし、硝煙が膨らみ、血飛沫が白い壁に散り、床では鈍い音が鳴る。

 それが連続する。私が悲鳴をあげるわけもない。私はどんな時でも冷静で、どんな時でも決めたことを実行する。

 それが極限状態であろうと。

 銃声の残響がゆっくりと消えていき、硝煙が立ち込めた部屋の中で、椅子に座っているのは私と私だった。

 私の手には拳銃があり、その銃口を口元に寄せ、一筋の硝煙を私はそれっぽく口元をすぼませてふうっと吹き散らした。

「あなたは銃を持っていないわけじゃないでしょう」

 私はどういう表情を作るべきか、ほんの少しだけ考え、何も表情を変えないままで頷いた。

「でも銃を抜かない程度には、賢明ということね」

「私は、私たちとは少し違うようです」

「私はあなたから見て、どう見えるのかしらね」

「あなたはあなた、私は私です」

 私はわずかに口角を持ち上げ、感情を読み取りづらい、微笑を作った。

「それは、六人のうちの四人が倒れていて、私とあなたしかいないから、二人だからこそ言えることじゃない?」

 二人だからこそ言える、か。

 私が考えたのは二人だから、ではなく、仮に世界が同一人物で占められたら、そこでは個人をどのように判断するのか、ということだった。

 全く別の個体として、それぞれに違うものを見て、聞いて、触れて、感じて、解釈して、それで個体が成立しているはずなのに、そんなことはどうやっても、確認できない。

 自己の内面の表現手段である、言葉や表情、行動は、どこまでの個体差を表出させるのか。

 私も、五人の私を前にして、確認できない彼らの個性を、正確に読み取り、把握することはできなかった。同じ姿形をしている、ということを抜きにしても。

 わかったのは、ここで私は他の五人とは違うらしいということで、でも実際にどれほどの差異があったかは、わからない。ただ、違う、違った、としか言えない。

「悪くない時間だった」

 すっくと私が立ち上がり、冗談だろう、拳銃を大げさな素振りで脇の下にしまい、部屋を出て行った。

 扉が閉まる前に、銃声が聞こえた気がした。

 息を吸おうとしても、とてもきれいな空気とは言い難い。

 立ち上がることもできずにいると、扉が開いた。

「立てるかな」

 そこに立つ白衣の男の言葉に、私はそちらを見て、一度、頷いた。

「名前を言えるかい? 自分の」

 答えを考えている間、私は椅子にもたれ、目を瞑った。

 名前。

 私には私としての名前がある。

 そうか、細かいことを考えず、名前のことを考えれば良かったかもしれない。

 あの五人の私にも、それぞれに名前があったのだろうから。

 まずそこから、始めるべきだった。

「ええ、名前は言えます」

 そう声にして、私はゆっくりと立ち上がった。


(了)

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