第13話 謝罪と提案

「晴翔君、やっていいことと悪いことがあるよね?」

「重々承知しています」


 隣人――優里亜さんの下着を見てしまったのは、不慮の事故だった。だが、彼女にこのことを軽く流すつもりはなかったらしく、数分ほど現場となった扉の前でぐちぐちと文句を吐かれた次第である。


「今回はいいとして。晴翔君、次はないからね? 次に恥ずかしい思いをさせたら永久追放ものだよ」

「くっ、それは困る……」


 ひとつは、ここが学校に近くて助かっている、理由から。もうひとつは、冴海ちゃんからの追及が恐ろしいという理由からだ。


「ちょっと大人気おとなげないことをいったね。永久追放は取り消すわ。せいぜい一ヶ月くらい?」

「どちらにせよ追い出されるんですか」

「もちろん追放なんて冗談だから間に受けないでね。頼むよ?」

「はい」


 優しげな表情で念を押してくる。これまでの優里亜さんと表面上は変わらないようにも見えるが、前より距離を置かれている気がしてならない。


「それにしても、優里亜さんはどうして僕の部屋まで来たんです?」


 そもそも、あれは俺がドアを開けようとしたときに、奇跡的なタイミングで優里亜さんもドアを開けようとしたことで起こったことだった。

 実に想定外であった。なぜ来たのかは知っておきたい。


「晴翔君、私がヤケ酒してたのって覚えてるかな?」

「一緒に片付けをしたときのことですよね」


 あれは片付けをしていたときのことだった。


『床に虹色のキラキラが落ちてるかもしれないから気をつけてね』


 などいわれたのは、たった数日前のことだ。忘れるはずもない。


「うん。君の部屋まで来たのは――ヤケ酒の原因についてお話しようかなって思ったんだ。いいかな?」

「それなら全然ウェルカムですよ」


 優里亜さんはソファにつくと、しっかりと足を閉じ、スカートの裾をきゅっと引っ張っていた。


「……さっきは本当に申し訳なかったと思っています」

「口先で謝ったくらいじゃさ、スカートを隠している手、どけるつもりないよ?」

「僕にはそこまでの下心はありません」

「すくなくとも、あのときの晴翔くんの目線からは妙ないやらしさを感じたよ」


 過去は変えられない。ここは受け入れるしかないだろう。それに、僕と優里亜さんとが、出会って間もない関係であることを忘れてはならない。


 たった数日では、相手から強固な信頼は得られないし、そもそも、かの「ゴム事件」で一度引かれている。警戒心を持たれるのは当然である。


 それでもなお、我が家を訪れてくれているのだから、現状、信頼がマイナスに振り切ってはいないのだろう。ゼロに限りなく近いプラスかもしれないが。


「すみませんでした」

「これからは気をつけてね?」

「はい」

「たとえ私が下着姿でいたとしてもね」

「それは……正直、本能に抗える気がしないです」

「正直すぎない!?」


 正直も何も、無理なものは無理だ。もし、隣のお姉さんの下着姿なんて見たら。きっと、年頃の男子はみんな答えは同じはずだ。


「見ないように努力しますが、あえなく終わる可能性大です」

「……やっぱり晴翔くんは変態さんかぁ〜」

「変態じゃありません。真っ当な男子高校生です」

「知ってたかな? 男子高校生はみんな変態なんだよ?」

「もう何いっても無駄じゃないですか」

「そうかもね」


 優里亜さんは笑った。先ほどからずっとニヤニヤしている。


 どう足掻こうとも、優里亜さんの中では、僕が変態ということで決まっているらしい。現実は受け入れがたいものである。


「ああ、そういえばヤケ酒の話だったね。けっこう脱線しちゃったけど」


 そういうと、優里亜さんは事情を説明しはじめた。


 お金を騙しとられた――――。


 一言でいえば、それが原因だという。


 友人にお金を貸してほしい、とせがまれた優里亜さん。別に貸さない理由もなかったし、すぐに返してくれるという条件付きでもあったので、軽い気持ちで貸したのだという。


 しかし、友人はいっこうに返す様子がなかった。


 連絡が完全に繋がらなくなった時点で、ようやく騙されていた、と確信したという。


「……で、やけ酒をしちゃったの。馬鹿だよね、私。生活に差し支えるくらい貸しちゃった。高校から仲良かったから、正直ショックだった」

「そんなことが……」


 言葉につまった。信じていた人に裏切られる辛さ。僕でもある程度は想像がつく。


「そうなると、これからどう暮らしていくんです? アルバイトをするなり、お金を借りるなりするわけですよね」


 しばらくして、僕はいった。


「いまは、人からお金は借りるなんて考えられない。そうなると、アルバイトをしなくちゃならないんだけどね……」

「気がかりなことでも?」

「これまで長続きしたためしがなくて」

「あー」

「なぜだか納得してるし!?」


 あの優里亜さんの天然っぷりだ、ミスばかりしている様子がやすやすと目に浮かんでくる。


「それは置いておいてですね。それならどうするつもりなんです?」

「晴翔君、いい質問ね! その質問、待っていたわ!」


 脱線をしまくっていたが、ここでようやく本題というわけである。


「さしあたり、貯金を崩してやりくりするつもり。無駄な買い物を減らすのはもちろんだけど、それでもなかなか削りきれないところがあるわよね」

「水道代と電気代、あとは食費とかですか」

「その通りよ」

「まさか、一日一食で済まそうとか考えてないですよね?」

「大丈夫、有力候補だったけど、少ししてから却下したから」


 食事を抜くのが有力な選択肢だったのか。優里亜さんのことが心配でならないものだ。


「それから数日間考えた結果、私は結論にたどりついたの。しっかり三食とれて、かつ食費代、水道代、電気代……すべて削減できる、そんな冴えた結論よ」


 優里亜さんにとって、そんな都合のいい方法があるのだろうか。数秒間、思考する。


 その先に、予期せぬ答えが浮かび上がってきた。


 いや、まさかそんな。やり方としてはいいかもしれないが、実行に移すのには、それなりの覚悟が必要だろう。


「……冴えた結論、というのは?」


 答えをきくというのは、いささか勇気を必要とする行為だった。


「晴翔君! 私と同棲しましょう!」

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