【SS】誕生日の夜は眠らない

 オフィスの時計が18時を指している。

 いつもなら残業でもう一踏ん張りするサエコだが、この日はゴミを片付けて、さっさとパソコンの電源を落とした。


「あれ? 大島さんが2日連続で定時退社するなんて珍しいですね」


 くりっとした上目遣いを向けてきたのは派遣スタッフの北原ヒヨリだ。

 ギクッとした気持ちを苦笑いで隠しつつ、サエコは荷物をまとめる手を休めた。


「ちょっと用事がね」

「それって例の彼氏ですか?」

「違うわよ。私に彼氏はいない。ずっといない」


 そう、いない。

 サエコは今まで男に恋感情を抱いたことがなく、この体質は死ぬまで治らないと諦めている。

 もちろん過去に異性と付き合った経験はゼロだし、恋愛のノウハウなんてそこら辺の中学生にも劣るだろう。


 大学時代、女の恋人ならいた。

 会社では打ち明けられない秘密である。


「いいな〜。大島さんは経済的に安定しているからな〜。私なんて、親が病気になったらどうしようって、内心びくびくしながら生きていますよ〜」

「北原さんの若さでそういう考えができるのも立派よ」


 一見するとやわそうなヒヨリだが、むしろ芯は強い方だ。

 その証拠がパパ活だろう。

 常時5人以上のパパをキープして本業以上に稼いでいるらしい。

 今日もこれから裏稼業らしくブランド物のよそおいで上下を固めている。


 サエコがエレベーターホールに向かっていると、ヒヨリの足音が追いかけてきた。


「大島さんって、お兄さんか弟さんいませんか? 恋人募集中の21歳の女がいるって、宣伝してくれませんかね?」

生憎あいにくいないわね」

「ちぇ〜。大島さんのご兄弟なら男前かつ将来有望なのにな〜」


 やってきたエレベーターにサエコ、ヒヨリの順で乗り込む。


「北原さんの若さならいくらでも相手が見つかるでしょう。最近、出会い系のアプリも充実しているし」

「見つからないから困っているのですよ。私って東京じゃなくて地方の出身ですし。お付き合いするなら地元が近い人の方がいいですし。ほら、大島さんと私って出身が隣県じゃないですか」

「近くの出身か。一理あるわね」

「でしょ〜」


「私はコンビニへ寄ってきいますから!」というヒヨリと別れたサエコは、暮れなずむ空の下、いつもの駅へと急いだ。


 ホームで携帯を取り出しメッセージを作文する。

 電車が動き出したタイミングで返信が届く。


『私の方が先に到着しそうです』


『了解。じゃあ、現地で落ち合いましょう』


 電車のガラス窓に映っているサエコの口元はほころんでおり、締まりのない顔だな、と自分で自分に突っ込んでしまう。


 電車を降りた後、待ち合わせのデパートまで早足で向かった。

 キョロキョロと周囲をうかがっていると、ふいに視界が真っ暗になり、香水の匂いが鼻をついてくる。


「だ〜れだ?」


 猫なで声が耳をくすぐってきた瞬間、全身のうぶ毛が一気にざわついて、サエコの頬はみるみる熱を帯びていった。


「マリンちゃん⁉︎」

「当たりです」


 視界に光が戻ったかと思いきや、今度は後ろから胸を押しつけられてしまい、嬉しいのやら、恥ずかしいのやら、感情がごちゃ混ぜになってしまう。


「いきなり驚かさないでよ」

「だって驚いた顔のサエコさん、可愛いですから」

「歳上をからかわない」


 サエコがたしなめると、キラキラした女子大生、新居浜マリンは首をかしげながら笑った。


        ※        ※


「全部おいしそうですね」

「食べたいのがあったら教えて」


 デパートの地下には和洋中たくさんのお惣菜そうざいが並んでいる。

 相談しながら歩いているサエコとマリンは、一見すると友達同士なのだが、手はしっかりと恋人つなぎしていた。


 いつ見ても可愛いな。

 サエコの視線は10秒に1回くらいマリンの美顔に注がれ、うっとりと目を細めるのを繰り返していた。


「マリンちゃんってもしかして甲殻類こうかくるいが好き?」

「どうして分かったのですか⁉︎」

「だって……」


 エビマヨとか、カニグラタンとか、カキフライとか、そっち系の商品を目にするたびマリンの唇がパクパクと動くから、名探偵でなくとも推理できてしまう。

 そのことを指摘するとマリンは真っ赤になった顔を手で隠した。


「うぅ……恥ずかしい……実はエビフライが一番の好物でして」

「随分と可愛らしい好物ね。気になったやつは全部買いましょう」


 お惣菜のショーケースをのぞいている最中、この日最大のハプニングに見舞われた。


「あれ? 大島さんじゃないですか」


 いきなり声をかけられて振り返ると、一組の男女が立っており、その片方がヒヨリだったのである。


「こんなところで会うなんて奇遇ですね」


 無邪気に手を振ってくるヒヨリの隣にはザ・紳士という感じのおじ様が立っており、いわゆる『太パパ』であることは一目瞭然である。


 どういう天罰だろうか。

 一番見られたくない相手にデート現場を見られるなんて。


「私がお世話になっている会社の正社員プロパーさんで、とても仕事ができて、いつも丁寧に教えてくれて……」


 ヒヨリは口当たりの良い言葉を並べてくれるが、サエコの頭はパニックを起こしており、セリフの後半が右から左へと抜けていく。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、


「そちらのお嬢さんは?」


 とマリンに好奇の目を向けてきた。

 まさかれている相手と打ち明けるわけにもいかず、平常心をかき集めた苦し紛れの答えというやつが、


「ただの友達の妹」


 という毒にも薬にもならない一言だった。


「へぇ〜。ご友人の妹さんですか〜。にしては仲睦なかむつまじそうに見えましたが」

「ダメかしら。女同士で手をつないだら」

「ダメじゃないですが……普通はありえないですよね……へぇ、あの大島さんがねぇ」


 ぐぬぬ……。

 同性愛者だと疑われている。

 反論できないサエコとしては歯噛はがみするより他にない。


「なるほど。大島さんの周りに男の気配がない理由、よく分かりました。こんなに美人で、しかも歳下のパートナーがいたら、ね」

「それは誤解だから」

「本当ですか? でも彼女さんは不服そうですよ」


 まさかと思って横を向いたサエコは息を呑んだ。

 マリンの目が激しく怒っていたのである。


 理由は一つしかない。

 ただの友達の妹、というフレーズにプライドを傷つけられたのだろう。

 一見すると非の打ち所がないマリンにも、嫉妬しやすい、という困った欠点があり、それが露呈ろていしてしまった形となる。


「サエコさんにとって、私はただの友達の妹なのですね」

「違うの! マリンちゃん!」

「いいですよ、別に……」

「……」


 サエコは自分のバカさ加減を呪った。

 普段の半分の冷静さがあれば、どういう言葉がNGなのか、容易に想像できたのに。

 しなかった、できなかった、考えが回らなかった。

 悔やんだところで後の祭りといえる。


「私は気にしませんから。まったく。少しも。元はといえばパパ活から始まったお金の関係ですしね」

「本当にごめんって」


 この後、マリンが予約してくれたバースデーケーキを受け取ってから帰ったのだけれども、家に着くまでの間、何回も謝罪するハメになってしまった。


        ※        ※


 サエコの家にて。


「そりゃ、サエちんが悪いよ。マリンが怒るのも無理はない。ただの友達の妹って、ほとんど赤の他人じゃん」


 中身が減った缶ビールをくるくる回しているのはやしろイツキ。

 サエコの初めての恋人であり、マリンの姉にあたる人物だ。

 イツキはとにかく顔立ちが良いから、小バカにする表情すら性癖に突き刺さってくる。


「だって仕方ないでしょ。会社の人に見られるの初めてなんだし」


 いじけるサエコの正面には半分になったホールケーキが置かれている。

 その向こうにはマリンがおり、鼻先をワイングラスに埋めつつジトッとした目つきでにらんできた。


誤魔化ごまかされると一番傷つきます。ヒヨリさんでしたっけ? ぜひ明日訂正してきてください。正真正銘のパートナーだと」

「……はい」


 サエコは反省する子どもみたいに肩をすくめる。


「もっとケーキを食べないと。サエちんが今日の主役なんだし」


 イツキがクリームをたっぷりまとったイチゴを突き出してくる。


「そうです。サエコさんはもっと太る必要があります」


 マリンも姉の真似をしてくる。

 性格が似ていない姉妹のくせにサエコを責める時だけ意気投合するのはどういう理屈だろうか。


「ちょっと、マリンちゃん、これ以上は入らない!」

「ダメです。完食してください」


 もう無理! と言おうとしたら、ケーキのスポンジが喉を塞いで、むがむがと変な声を上げてしまう。

 とうとう吐き出したが、今夜のマリンはそれすら許してくれない。


「甘くておいしい」


 キスする要領でサエコの口からこぼれたケーキを舐めとったのである。

 小鳥がエサをついばむみたいに、繰り返し、繰り返し。

 唇についたクリームを掃除してフィニッシュ。


「なっ……⁉︎」


 サエコは硬直することしかできず、何が起こったのか理解した瞬間、全身の血液が煮えそうになった。


「びっくりしないでくださいよ。このくらい序の口じゃないですか」

「不意打ちは心臓に良くないから!」


 抗議の声も虚しくカーペットの上に押し倒されてしまった。


 マウントを取ってくるマリン。

 抵抗がことごとく失敗するサエコ。

 もちろんイツキが救いの手を差し伸べてくれるほど優しい人間じゃないことは知っている。


「歳下に責められて喜ぶとか、サエちんってドMだよね」

「喜んでいない! この減らず口!」


 腹が立ったので手近にあったクッションを投げつける。


「僕に不意打ちを決めようなんて10年早いでしょ。これでも昔から体育は得意なんだよね」


 悠々とキャッチされたクッションの裏からSっ気たっぷりの笑みがのぞいた瞬間、サエコは長い夜になりそうなことを悟った。

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26歳の女だけど、パパ活女子を囲ってみたら、死ぬほど癒された ゆで魂 @yudetama

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