第26話

 マリンを連れてきたのは繁華街にある焼肉屋だ。

 ディナーデートの鉄板だし、サエコも腹ぺこだったので、ほんの数秒でお店を決めた。


 コース料理が3種類あり、上から順にみやびあおいいろどり

 もちろん一番高い雅コースを注文しておく。


 サエコは一回の食事で色々な味を楽しみたい派である。

 肉が一枚ずつ運ばれてくるコース料理は、いつも重宝しているし、毎回ドキドキさせられる。


 まずはグリーンサラダと牛テールスープが出てきた。


 見た目はいたって普通。

 でも、ニンニク風味のドレッシングは絶品だったし、スープの方も『ご飯と一緒に食べた〜い!』と思うほど旨味が凝縮されている。


 お肉のトップバッターはお店自慢の厚切り牛タン。

 ステーキ肉みたいにぶ厚いお肉を、いっせいの〜で、でマリンと一緒に焼いてみる。


 せっかくベストな状態に焼き上がった肉を、マリンはぽとりと網に落とした。


「サエコさん……今なんと……」


 かわいそうな牛タンがワンバウンドしてからコンロの端まで転がっていく。


「ん? 私の同居人、出ていっちゃった」


 マリンの手が完全にフリーズしていたので、サエコが取り皿まで運んであげた。


「ええっ⁉︎ でも、行くところがないんじゃ⁉︎」

「自力で見つけたらしいよ」


 そんなに驚くことだろうか。

 お代わり無料のライスをサエコは一口ほおばる。


 イツキとの関係は話すかどうか迷った。

 もしマリンが気にしていたら……。

 そう判断して軽いノリで同居にピリオドが打たれたことは伝えた。


「それって、ケンカしたってことですか?」

「ケンカ? う〜ん、どうだろう。殴り合いとかののしり合いはなかったけれども、ケンカといえばケンカかもね。とにかく心のすれ違いはあった。私はあの女のことを過小評価していたみたい」


 サエコはビールを飲んでから、口の周りについた泡をぬぐう。


「よく分からないけれども、これ以上私に迷惑をかけたくないんだってさ。そんなこと言われたら出ていくのを止められないでしょう。だから、バイバ〜イみたいな。しばらく疎遠だった仲だし、何が変わるでもないのだけどね」

「へ……へぇ……」


 イチボとサガリが運ばれてきたので、せっせと網にのせて焼いていく。

 なぜマリンが動揺しているのか不明だが、それも牛タンを一口食べると笑顔に変わった。


「とってもおいしいです。お肉の脂が舌の上でとろけます」

「でしょ〜。一口に牛タンといっても、タン先、タン中、タン元とか部位があって、お店のこだわりが出やすいのよね〜」

「それは初耳です! このタンはどこの部位なのですか⁉︎」

「間違いなくタン元ね」

「おおっ!」


 マリンは尊敬するように瞳をキラキラさせる。

 年上の貫禄かんろくを見せつける瞬間というのは、何歳になっても楽しいものだ。


「あの〜」


 ニコニコしていたマリンの顔色が急に暗くなった。

 理由を問うてみたら、


「今日って本当に大丈夫でしたか? 本当はもっとお仕事する予定だったのでは? あるいは早めに帰って寝る予定だったのでは?」


 うつむき加減に教えてくれる。

 サエコは明るく笑ってから、トングでお肉をひっくり返しておいた。


「私が帰ろうとしたらね、上司が仕事を振ろうとしてきて」

「えっ……」

「だから言ってやったのよ。今日は無理です! と。気持ちいいわよね。ストレートに無理です! が言えると。え〜と……つまり……マリンちゃんには感謝している。私に理由を与えてくれたから」

「そんな……」


 マリンは恥じらいながらおはしをくわえて、じぃ〜と上目遣いを向けてきた。

 今度はサエコが焼けたお肉を落とす番だった。


「やめなさい、可愛いから」

「なるほど、サエコさんは上目遣いが好きなのですね」

「あのね……」


 サエコがジト目を返した時、お口直しとなるキュウリのタタキに続いて、メイン肉のロース&カルビが出てくる。

 

「焼くのは私に任せてください。こう見えても自信あるので」

「あら、そう?」


 さすがパパ活女子。

 高級な焼肉屋は慣れているってことか。


 店員さんに網を交換してもらってから、マリンがいい具合に焼き目をつけてくれたお肉を、サエコはしっかりと咀嚼そしゃくしてから飲み下す。


 悪くない。

 女子大生に焼いてもらったお肉が一番おいしい。


「焼き加減はどうですか?」

「うん、完ぺき」


 ホルモンが運ばれてきたので、こっちもマリンに焼いてもらった。

 待っている間、真剣そうな美顔を堪能たんのうさせてもらう。


「そうだ、忘れないうちに……」


 残すはデザートのみとなったところで、マリンがラッピングされた小包を渡してくる。

 サイズ的には小さなハンドバッグくらいで、重さは缶コーヒーくらい。


「入浴剤のアソートです」

「えっ? もらっていいの?」

「当然じゃないですか。サエコさんのために買ってきたのですから」


 仕事で疲れていると思ったから。

 サエコにゆっくり入浴してほしくて、今日選んできたらしい。


「それからこれも」


 驚いたことにプレゼントはもう一個ある。

 その正体を聞いてサエコは一気に赤面した。


「ボ……ボディスクラブって……」


 存在は知っている。

 美意識の高い女性がお風呂から上がった後、お肌にぬりぬりする例のやつ。


 申し訳ないが、サエコの同業者の女性で、ボディスクラブを愛用している人に出会ったことがない。

 そもそも健康を犠牲にするような仕事だし、そんなに美容が大事なら転職しろ、と言われるだろう。


 ボディスクラブ。

 自分には縁がないと思っていた。

 しかしマリンからプレゼントされた以上、次にデートした時、使用感を質問されるのではないか。


「ちなみに、マリンちゃんもスクラブとか使うの?」

「はい、私のと同じブランドにしておきました。小さいサイズのビンにしたので、気に入ったら今度一緒に買いに行きましょう。たくさん種類があって、色々試すのが楽しいのです」

「ふ〜ん」


 ラベルには『角質と毛穴のケアができます』と書かれている。


 お肌がツルツルになるのかな〜。

 いつかマリンと楽しい夜を過ごすかもしれないしな〜。


 みだらなことを想像するサエコは、さぞマヌケ面を浮かべていることだろう。


 行くか、旅館。

 一泊二日のお泊まりデート。

 新しい目標を見つけたことに満足して、


「とても素晴らしいわ」


 と呟きながら口元をぬぐった。

 マリンは焼肉の腕前を褒められたと勘違いしたらしく、


「お口に合ったようで何よりです」


 はにかみながら恐縮している。


「私の方こそ忘れないうちに今日のお給料を渡さないと」

「えっ⁉︎ いやっ⁉︎」


 財布を取り出したら、マリンが慌てて手を振ってきた。


「ダメですよ。私はサエコさんに会いたかったのです。これはパパ活デートとかじゃなくて、純粋なお食事会なのです」

「いやいや、ダメだよ。ただでさえ2回もデートをスキップしているのだから」

「でも、困ります。私がお金のために今日誘ったみたいじゃないですか」

「違うよ。誘ったのは私の方なんだし」

「ですが……」


 しばらく問答した末、マリンは渋々といった感じで折れてくれた。


「じゃあ、半分だけいただきます。満額は受け取れません。時間だっていつものデートの半分ですし」

「意外に頑固だな〜。そこが可愛いのだけれども」

「あぅあぅ……」


 断りを入れてから頭をナデナデさせてもらう。


「その代わり頼みがあります。次のデートのプラン、私に立てさせてほしいです」

「もちろん、構わないけれども……」


 満腹のせいでサエコはすっかり上機嫌になっており、マリンの瞳に宿っているイタズラっぽい光に気づいた頃には、とっくにYESの返事をしていた。

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