第11話

 覚悟していたが、イツキとの同棲どうせいはストレスの連続だった。


 まず電気の消し忘れが多い。

 トイレを点けっぱなしならまだしも、部屋の照明を点けたまま寝ていたりする。

 睡眠の質が悪くなるだろうに。

 不経済すぎる。


 蛇口の水もそう。

 閉めるのが甘くてポタポタ垂れているのだ。

 日中はいいが、夜中にこれをやられると、水音で目覚めたりする。


 あと冷蔵庫。

 ドアを開けて20秒くらい迷った挙句、何も取り出さずに閉めて、サエコをイライラさせた。


 せめて必要なものを決めてから開けなさい!

 思わず怒鳴ってしまったが、本人はどこ吹く風といった様子である。


 電気代なんて微々たるものだろう。

 でも、負担するのはサエコなのだ。


『私って細かすぎるのかな? 大島家では怒られたけどな。これって普通よね? ネットの意見も私と似たような感じだし……』


 少しは遠慮してほしいというか、迷惑を自覚してほしいというか、居候いそうろうの身であることを忘れないでほしい。


 まあ、部屋でタバコを吸わないだけマシか。

 掃除をお願いしたら、指示した箇所は掃除してくれるし……。

 そう思い直して目をつぶることにした。


 一方、仕事のハードさは相変わらずだ。

 新しいプロジェクトと古いプロジェクト、同時にこなすから体が二つ欲しい。


 特に大変なのは後輩のフォロー。

 悪い子じゃないのだけれども、サエコに訊けば3秒で解決することを、自力で調べようとして1時間も余計にロスする、みたいなシーンが目立った。


 一度だけ注意したが、改善しなかったところを見る限り、そういう性格なのだろう。


 本人が気づくことを祈るしかない。

 入社2年目なのだ、自分の頭で考えることは悪くない。

 

 そんなサエコにとって唯一の癒しはマリンとの週末デートだった。


 今日は街中の金魚展へやってきた。

 有名なデザイナーさんと東京の金魚専門店がコラボしたアートアクアリウムで、土日のチケットはすぐに売り切れた。


「私、こういうの初めてです」


 今日のマリンはミニスカートにブーツの組み合わせ。

 大学生らしい若さが全開になっており、特に太ももからふくらはぎのラインなんて垂涎すいぜん物の美しさといえる。


 サエコが見込んだ通り、マリンは小さい生き物が好きらしい。

 ゆらゆら揺れる金魚に釘付けのマリンを、すぐ真横でサエコが堪能たんのうするという、一度で二度おいしいデートとなった。


「この絵って誰のでしたっけ?」

伊藤いとう若冲じゃくちゅうね」


 あらかじめ勉強しておいた知識も完ぺき。

 群魚図ぐんぎょずといって、たくさん魚をあしらった絵をバックに、金魚たちが優雅に泳いでいる。


 展示スペースの中央には高さ3メートルの巨大な金魚鉢もあった。

 宇宙みたいに水流が渦巻いており、カラフルな金魚が星屑ほしくずのごとき輝きを放っている。


「この世の景色とは思えません」

「本当にね。映画のファンタジー世界よね」


 うっとりして隙だらけのマリンを観察していると、思わず後ろからハグしそうになる。

 うなじの部分にキスしてみたい、なんて良からぬ妄想を起こした自分をつねった。


 とにかくスタイルが良い。

 まるで下着のモデルさんみたい。


 イツキもスタイルは良くて、風呂上がりなんかバスタオル一枚でうろつくが、あっちは色気に欠けている。

 いうなれば、薄着の原始人みたいな。


 マリンはどうだ。

 きめ細かい肌も、ぷるんとした唇も、サエコの想像力をかき立ててくる。

 髪をいじくる仕草なんて少女漫画のキャラクターみたいで似合っている。


「この水槽の前だけは、写真撮影が許可されているそうですよ」


 一瞬、マリンの意図が分からなかった。


「ほら、記念撮影」


 スマホのカメラを向けられて、ああ、と納得する。


 パパ活なのにツーショットってどうなのかな。

 普通はサービス対象外という気もするが……。

 やっぱりサエコが女だから特別なのか。


 近くのスタッフさんにお願いして、シャッターを切ってもらった。

 マリンの方から手を握ってきて、サエコの顔は赤らんでしまう。


「サエコさんと並ぶと、私はデブみたいです」

「そんなことないって。マリンちゃんは理想の体型だよ」

「本当にそう思いますか?」

「もちろん」


 にかぁ、と笑顔をくれる。

 これがクソ可愛い。


 お土産コーナーがあったので、ぐるりと一巡してみた。

 なんと生きた金魚も売っており、誰が買うのかと思っていたら、いかにも銀座のマダムといったご婦人が注文していた。


「見てくださいよ、万華鏡ですよ、懐かしいです」


 マリンがサンプル品で遊んでいる。


「サエコさんものぞいてください」

「どれどれ」


 モスクの天井絵みたいな幾何学模様の中にガラスの金魚が3匹いる。

 赤、黒、金色……思ったより精巧な作りに驚く。


 懐かしい。

 万華鏡なんて、下手したら中学の修学旅行以来という気がする。


 いや、違うな。

 昔にイツキがプレゼントしてくれた。


『パチンコで大勝ちしたから』


 何を買ってきたのかと思いきや、ガラス工芸店で売っていたペアの万華鏡。

 大学生には安くない値段だった。


『サエちんへ、日頃のお礼』


 そういう女なのだ。

 パチンコ屋で勝ったら、普通は酒か肉か寿司だろうに、万華鏡を選んでくる。


 憎めない性格をしている。

 イツキはそういう女だ。


「どうしたのです、サエコさん?」

「いや……」


 マリンの声で我にかえる。


 最悪だ。

 デート中なのに別の女のことを考えた。

 しかも、最低のゴミ人間のことを。


「万華鏡、買おっか。どのデザインがいいと思う?」

「いいのですか? 私が思うに、サエコさんに似合いそうなのはですね〜」


 マリンが真剣に吟味ぎんみしてくれる。

 あの日、イツキもこうやって選んでくれたんだよね。


『この万華鏡、七夕たなばたをイメージしているんだってさ。こっちが彦星でこっちが織姫ね。サエちん、こういうの好きそうだよね』


 チクリと痛む心をジャケットの上から押さえつけた。

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