第44(ラス)イヴェ ふ~じん、AVEC……、ずっとそばで
十五曲目の「ユメシュウエン」が終わり、翼葵と翼組のメンバーがステージから捌けて、ライヴ本編が終わった。
本編後の十分間の換気時間は、今回のツアーでのレギュレーションになっていた。
この時点で、ライヴの終わりを告げるアナウンスは為されてはいないので、本編の後にアンコールがあるのは必然で、つまり、この換気時間は、演者たちの再登場を待つ時間なのだ。
だが、〈アンコール〉が約束されているからといって、ここで坐したまま、アオイさん達の再登場を待っているようでは、〈全通者〉の名折れである。
グッさん、とっきぃ、シュージン、そして、ふ~じん等、〈全通カルテット〉に加え、複数会場参加者の〈おまいつ〉達は、本編が終了し換気時間になっても、座ったり、休んだり、スマフォを弄ったりすることなく、この十分間の換気時間の間ずっと、〈アンコール・クラップ〉をすることにしていた。
初日の神戸からずっとだ。
もちろん、感染症前のように、声を出すことは出来ないので、クラップをコールの代わりにしていた。
さらに、そのクラップのリズムは、パン・パン・パンといった、一定のリズムのものではない。
感染症前、まだ声が出せた頃のアンコールでは、「エッ・エッ・ル~」というコールが翼葵の定番の〈アンコール・コール〉であった。
そこで、〈おまいつ〉達は、この「エッ・エッ・ル~」をクラップによって再現すべく、「エッ・エッ・ル~」のリズムで、クラップをする事にしたのだった。
名付けて、〈クラッピング・エッ・エッ・ル~〉
ツアーの最初のうちこそは、〈クラッピング・エッ・エッ・ル~〉をするのは、企画をやり出した〈全通カルテット〉の〈身内〉と他数名だけで、会場全体を巻き込むまでには至らなかったのだが、心折れることなくやり続けているうちに、他のライヴ参加者達の中にも、〈クラッピング・エッ・エッ・ル~〉をする者が増えていった。
ファイナルの名古屋では、ステージを背にして観客席を振り返った、最前のふ~じんが、今回の〈クラッピング・エッ・エッ・ル~〉の発動役となった。
そして、換気時間の十分の間、ここ名古屋のファイナルで、さいっこうの〈エッ・エッ・ル~〉をホールに鳴り響かせることができたように、ふ~じんには思えた。
本編終了から十分後――
ライヴTシャツを着た翼組のメンバー達と翼葵が、再びステージに姿を現した。
「みんなの〈クラッピング・エッ・エッ・ル~〉、控室でも聞こえていたよ。ほんとおおおぉぉぉ~~~に、ありがとうっ! 手、痛くない?」
一瞬、翼葵がチラッとこっちを見たように、ふ~じんには思えて、思わず、首を横に振ってしまった。
それから、アンコール直後の〈MC〉の定番であるグッズの紹介をした後に、少しまじめな顔になって、今回のツアー「AVEC」のことを、翼葵は語り出したのだった。
「今回のツアーには、最新曲と同じ『アヴェック』というタイトルを付けました。でも、ツアーの方は、アルファベットの〈A・V・E・C〉で、『AVEC』という表記です。これはフランス語で、英語の〈with〉に相当する単語、つまり、〈~と一緒に〉という意味なのです。
実は、やはりこういう御時世なので、『こんな状況なのにツアーをするのか』って否定的な意見もあって、ツアーをするかどうか本当に悩みました。
以前なら、今日ライヴなんだって周りの人に言えたのに、家庭や、学校や仕事場に内緒でライヴに来てくれたって人、みなさんの中にも、きっといるかと思います。
また、ライヴに来る事に不安を感じていた人も、中にはいるかと思います。
それなのに、勇気を出して、ここに来ることを選んでくれたみんな、本当にありがとう」
こう言って、翼葵は深々と一礼した。
「そして、ライヴには来たかったんだけど、様々な事情で、どうしてもライヴに来ることができなかった人も、きっといることでしょう。
だからこそ、ここに来ることを選んでくれた君や君達、あなた達と、わたしは一緒なんだよ。
ライヴに来ることができなくても、君や君達、あなた達と、わたしは一緒なんだよ、という気持ちを込めて、〈AVEC〉、〈一緒に〉というツアー・タイトルを付けさせてもらったのです」
翼葵がツアーのタイトルに込めた意味が、ツアーの最終公演において、本人の口から、しかも目の前で語られて、ふ~じんは情動が激しく揺り動かされてしまった。
きっと、今の状況下においてツアーを回る事について、口さがない人から否定的な事を言われ、アオイさん、傷ついたりもしたんだろうな。
語りながら、翼葵が涙ぐんでいるのが見えてしまったふ~じんは、思わず、もらい泣きしてしまった。
「それでは……。アンコールの一曲目、新曲『アヴェック』のアンサー・ソングでもある『オセッカイ』を聞いてください」
「オセッカイ」のイントロの歌詞の中には、「信じて、君は一人じゃないから」というフレーズがあって、そこが歌われた時、そのフレーズが先のMCの話の内容と響き合って、ふ~じんはさらに心動かされてしまった。
また、二番の中の「大丈夫、ずっと、君の味方でいるから」というフレーズを聴いた時、ふ~じんは思わず心の中で叫んでしまった。
大丈夫、誰が何を言おうとも、俺や、俺達は、ずっとそばで、アオイさんの味方でいるから、と。
「オセッカイ」は、ミドル・テンポのバラードであったため、ふ~じんは、歌詞の一単語、一単語、一フレーズ、一フレーズを心の声で口ずさみながら最前列で聴き入っていた。
そして、「オセッカイ」のアウトロを聞きながら、ふ~じんは気持ちを切り替えた。
よし、残りは「極光」と「天狼星」、ブチ上げてゆくぜっ!
これらは、翼葵の初期の楽曲で、二曲共にアップテンポの激しいチューンなのだ。
だが――
「オセッカイ」の後に流れてきたのは、シュ~~~っ音が吸い込まれるような「極光」のイントロではなかった。
でも、これは……。
「約束の地」だっ!
十五本目、最後の最後のアンコールで、ここまでのツアーの十四本で一度も歌っていなかった「約束された勝利の地」というタイトルの、アーサー王の宝剣〈エクスカリバー〉や、理想郷「アヴァロン」をモチーフにした曲が来たのだ。
正直、この演出にはやられてしまった。
「約束された勝利の地」では、一番と二番の終わり、それぞれの歌詞の最後のフレーズの中に「約束の場所」という語が入っている。
ふ~じんは、この曲だけではなく、歌詞の中に「約束」という語が入っている曲では必ず、小指を立てた腕を前に差し出してきた。
だから、アンコールで歌われた「約束された勝利の地」でも、一番の歌詞が歌われた時に、最前列から、ステージで歌唱しているアオイさんに届けとばかりに、小指を立て、八本のラババンを着けた右腕を全力で前方に伸ばしたのだ。
そして、アウトロ前の二番の歌詞の最後のフレーズの時——
自分の右手だけではなく、前方に差し出された翼葵の手の小指もまた、指切りするが如く曲げられているのにふ~じんは気付いた。
これは、一年九ヶ月振りのツアーでみんなと〈一緒〉だよ、という、観客全員に対する〈約束〉のサインだったのかもしれない。
だが、小指が曲げられた手が伸ばされた時、最前にいたふ~じんは、翼葵と目が合った気がして、この〈小指〉が自分への〈私信〉のように思えてしまったのだ。
「俺、アオイさんが復帰してから、できるだけライヴに来るって勝手に〈約束〉していたんだ。今回も〈約束〉のこの場所に〈愛〉に来ることができたよ」
こんな風に、ふ~じんの心は語りたがっていたのだった。
「 下手のじんと上手のジン」(ふ~じん・シュージンの章) 〈了〉
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