第3話

 話は、煉獄界にて件の騒動が持ち上がった直後にまで遡る。


 ナグシャム国皇帝——ガーネリの生誕祭は、来る日も来る日も盛大に祝われていた。

 華やかな赤や金の装飾が街中に施されて、数多の人々が、多彩な催し物に興じるべく行き交うのだ。

 まんじゅうの名店である福楽苑の看板娘たるリンリーも、家業の合間に息抜きに勤しむことを忘れない。本日は、大鐘つきの自己新記録を更新したり、猫レースの応援に興じたりと、ばっちりとリフレッシュしてから、福楽苑に戻ったのだった。

「おばちゃん、ただいま帰ったアルね!」

 ところが、リンリーの笑顔は、瞬時に強張った。

「すみません、間違いましたアルよ」

 咄嗟に下手なでまかせを言って、自宅から逃れようとしたのである。

 店内のど真ん中には、黒衣とピンクの長髪の、やたらと目力に満ち溢れた美女が、どっかと着座していたからである。映像ならまだしも、がっつりと実体だった。

「これはこれはリンリー、久しいのう。修行の捗り具合はどうじゃ? 此度は、ちぃ〜とばっかり頼み事があってのぉ」

 美女は笑みを浮かべたが、その笑顔こそが怖かった。

 すたこらと出て行こうとしたリンリーは、しかし、おばであるシャンシーに回り込まれ、阻まれてしまった。

 シャンシーは、ゆっくりと横に首を振る。

「リンリーよ、ゆめゆめ忘れるはずもなかろう? おどれら道術を嗜む者は、時にあの世とこの世の理を掻き乱すゆえ、このわっちに、みかじめ料を支払うことになっとるじゃろうが」

 ヒナギクは、逃れえぬ宿命について、とくとくと語って聞かせたのだった。

「イヤ! イヤ! アイヤ〜〜! 福楽苑はまんじゅうの店アルね!」

 リンリーがジタバタと抵抗したのは、みかじめ料との名目でヒナギクより与えられた試練が、「道術でパンを作る」というものだったからである。


 そして、否応なくリンリーへの特訓は開始された。

 ヒナギク手ずからの千本ノック、ケルベロスでロデオ——二十四時間耐久コース、さらには、ユニガンに飲食店を構えるホオズキとの料理対決等々……デュナリスが涙ながらにイルルゥから逃げ回っていた一方で、リンリーは汗を流して断末魔のごとく絶叫していたのである。


 そしてついに、ヒナギクがデュナリスに伝える時がやって来たのだ。ナグシャムに向かってはもらえぬかと——


「福楽苑に向かえばいいはずだよ」

 ゼヴィーロは、ナグシャムに到着した後も、あたかも水先案内人のごとく、デュナリスやアルドの前に立って街路を進んだ。

「あ……みて、せんせー、あっちのおはなのはちうえのほうを!」

 ふと、キヲがゼヴィーロの服の裾を引っ張り、福楽苑に程近い、街の一角を指差した。

 一行が見遣ったその先には、いつの間にやら、女児の人影が一つ、出現していた。

 俯いた顔に黒い乱れ髪がかかり、古代風の白い衣服も薄汚れている。

 何より、女児の輪郭は、消えゆく陽炎のように揺らめいているのだ。

「あれは……イルルゥくんだね。どうやら生前の姿のようだけど……そのうえ、煉獄の鎌の遣い手としての力は、封印されてしまっているようだけど……」

 デュナリスは、急激に喉が渇いてしまったかのように、苦しげに声を絞り出した。

 イルルゥの度重なる不始末に、ついに束ね役たるヒナギクが、強権を発動したということだろうか……

「キヲ、行っておいで」

 ゼヴィーロは、幼い教え子の肩に手を置き、促した。

 僅かによろめいたデュナリスの背には、アルドがそっと手を添えたのである。

「……こんにちは」

 キヲが壊れ物に触れるようにおずおずと声を掛けると、女児は弾かれたようにビクリと反応した。

「ごめんなさい! ごめんなさい! ルーリーはお腹がすいてるだけなの! だからぶたないで!」

 まるで野良犬でも追い払うように、あっちへ行けとぶたれたり、水をぶっかけられたりしたという最期の日々の記憶に、女児は突き動かされているのだった。

 キヲは、女児の反応に仰天して、「わーっ、せんせーっ」とゼヴィーロ目掛けて逃げ帰った。

「やれやれ、キヲ、きみがの天才ではないってことはよくわかったよ。ただ、こんなこともあろうかと、僕も準備をしておいたからね」

 ゼヴィーロは、まるで絵本を読み聞かせるように、キヲに何やらセリフを教え込み、かつ、どこからか手品のように取り出した花束まで持たせたのだった。

「こんにちはルーリー、うつくしいおじょーさん、キヲからあなたへプレゼントです」

 再び師に送り出されたキヲは、へっぴり腰ながら女児の前でセリフを述べ、プレゼントの花束を差し出したのだった。

 女児は、プレゼントに虚ろな目を向けたかと思うと、やおらキヲの手からそれ奪い取り、大口を開けてかぶりついたのである。

「ちょっと! 観賞用じゃなくて食用にしちゃうわけ!? 僕が一生懸命集めた花だってのに!」

 物陰から見守り、声を荒げぬように気を付けつつも喫驚したのはゼヴィーロである。

 彼は以前、イルルゥから花の好みを聞く機会があったため、コリンダの原に咲く珍しく美しいそれを、結構な時間を費やして花束にできるほど集めたのだった。

 ルーリーは、顔を倍以上に膨らませるほどの勢いで花を貪ったが、やがて、ぺっと吐き出してしまった。

「これ、ダメだ……蜜がほとんど無い……」

 ルーリーは、花束をキヲに返した。キヲは、試しに一輪引っこ抜いて、花芯の部分を口に含む。

「ほんとだ、これじゃあ、おなかのたしにならないね」

 彼もまた、すっかり納得して頷いたのだった。

 物陰では、ゼヴィーロが頽れていた。

「何なのあれ……人間の子供ってああなの?」

 教え子にまでダメ出しされるとは思っていなかったのかもしれない。

「いや、まあ、花の蜜をおやつにするくらいのことは、オレもやってたよ。

 もしかして、ルーリーは、イルルゥになって初めて、花を愛でる心の余裕ができたのかもしれないな」

 アルドの言葉に、ゼヴィーロは、はっと目を見開いた。

 ルーリーは、飢えて命を落とした。

 キヲは、今でこそ衣食に不自由していないが、かつては父親に疎まれ養育を放棄されていた子供だ。

「やれやれ、ごく短い時間しか生きていなかった僕が、今では大人の姿を得ている……そうした例もあるっていうのにね」

 ゼヴィーロが、腑に落ちた様子で見遣れば——

「おなかへったー」

「キヲもへったー」

 女児と男児が、雛鳥のごとく異口同音に囀っているのだった。

 そして、陽炎のごとく揺らいでいたルーリーの輪郭は、いつしかすっかり安定していた。それは、キヲの霊媒体質がもたらした好影響だろう。ゼヴィーロがキヲを彼女に近付けたのも、実は、それを見越してのことだった。

「あらあら、かわいい小鳥ちゃんたちが鳴いてるアルね!」

 福楽苑の扉から、シャンシーが姿を現した。

「小鳥ちゃんたち、今ならできたてのパンをご馳走してあげてもいいアルよ!」

 ルーリーとキヲは、顔を見合わせ手を繋ぐと、「わーい」と店へと駆け込んだのだった。


 キヲとルーリーは、福楽苑に入店するや、上客用のテーブルへと案内された。

 そして、二人の目の前には、大皿に山盛りのパンが置かれたのである。

 キヲは、一個を手に取ると、控えめな仕草でかじりつく。するとたちまち、彼の頬に赤みが差したのである。

「おいしい!」

 キヲは、ルーリーもそう感じているに違い無いと、隣に座った彼女を見遣る。

 ところが、女児は、両手で持ったパンを口一杯に押し込んだきり、じっと黙りこくってしまっていた。表情も呆けたように暗い。

「ルーリーちゃん、どうしたの?」

 ルーリーの口から、パンが抜け落ちた。

「こんなんじゃないもん……お母さんのパンは、もっと固くてしょっぱいんだから……」

 彼女は、母親の手作りのパンが大好きなのだ。しかし、この店のパンは、それとは味が違う……

 子供たちの様子を見ていたシャンシーは、思案顔となった。ルーリーが生きていたのは古代であると、彼女は聞き及んでいた。当時は、パンも保存を最優先に作られていて、風味が大きく異なったのかもしれない。

 それにしても、女児の落胆ぶりは、シャンシーの想定外だった。

 ルーリーの目から、涙が流れ落ちた。

「ごめんなさい……お母さん、ごめんなさい……すっごくおいしいの!」

「え!?……おいしいアルか?」

 シャンシーは仰け反った。

「なら、謝ることなんて無いさ」

 アルドは子供たちに歩み寄り、至って闊達に声を掛けた。

「子供は、たくさん食べてたくさん遊ぶのが仕事だって、うちのじいちゃんも言ってたぞ。

 ほら、せっかく用意してもらったパンなんだ。そんなにおいしいなら、どんどん食べるのが一番のお礼だと思うぞ……って、食べる合間に水も飲めよ、ルーリー!」

「ウシブタ乳のサービスアルね!」

「ああ、リンリー、どうもありがとう」

 アルドもまた、まるで妹の世話でも焼くように、夢中になってパンを貪り始めたルーリーの代わりに礼まで述べるのだった……


 キヲとルーリーが入店してからしばらくして、一人の兵士が店にやって来た。兜を脱ごうともしない彼を、シャンシーは、調理場に近い席へと座らせる。そこには既にゼヴィーロがいた。

「あちらのテーブルと同じパンでいいアルね?」

「ええ、お願いします」

 兵士……の姿をしたデュナリスは言った。

「なるほど? そんな変装をすることで、自分の中の不安と折り合いをつけたのかい?」

 ゼヴィーロは、僅かに口角を上げたが、声色は穏やかだ。

「ああ、そうさ。アルドくんの伝手で、ホオズキさんが手配してくれたんだ。軍装の他にも、キノコの魔物の着ぐるみとか、鬘で角を隠して化粧で肌の色を補正する人間風の女装まで提案されたんだけど、僕にとっては実質これ一択だったよ」

 むしろ、デュナリスの口調こそいささか自嘲的だった。

 ルーリーのことを見届けたい。しかし、ある程度の距離は置いておきたい。魂を嗅ぎ分ける力を封じられているであろう今の彼女に対して変装して臨むことで、彼は、ゼヴィーロに指摘された通り、自分の心と折り合いをつけたのだった。

 デュナリスは、調理場のシャンシーに尋ねる。

「それにしても、随分と準備がいいんですね?」

 まるで、煉獄の鎌の遣い手が、力を封印された状態で出現することを事前に知っていたかのように準備が成されていたからだ。

「それはそうね。ヒナギクの姐さんから、あらかじめ傾向と対策は指示されてたアルよ」

「……姐さん?」

 デュナリスが反応したのは、そこだった。

「そう。ワタシら道術を嗜む者は、この世とあの世の境界に風穴を開けてしまうことも、ままあるね。お陰であの世のお偉いさんに、バッチリみかじめられているアルよ」

「みかじめって……」

 デュナリスでなくとも不穏に感じる言葉だろう。

「みかじめ料は、時々、姐さんの指示通りに働くことアルね! まあ、みかじめ料を納めることは、徳を積むことになるらしいアル。ナグシャム随一の道術の遣い手にして、この国で二番目に男を泣かせてるワタシだから、罪滅ぼしにせいぜい頑張って徳を積むアルヨ〜」

「シャンシーおばちゃん、なんかカッコイイね!」

 コロコロとよく笑う独身のおばを、リンリーは、今までに無い畏怖のこもった目で柱の陰から見つめたのだった。

 デュナリスも釣られてふふと笑い、出されたパンを口に運んだ。

「どうアル?」

「……率直に言って、魔獣の僕には、かなり薄味に感じられますね。けれど、このパンには、作り手の思いがたっぷりと込められていることは伝わってきます。

 これは……祝福の気持ち?

 嬉しいな。とても温かい。そうか、僕は祝福されているんだ……」

 そして、デュナリスは兜越しに、ルーリーたちのテーブルを見遣った。

「僕と彼女は、今後も相容れないかもしれない。けれど、なぜだろう……僕も彼女も祝福されている。そのことが、今はたまらなく嬉しいんだ……」

 ルーリーは、大皿ごと何度もおかわりしてまでパンを平らげた後、ついに「ごちそうさまでした」と手を合わせた。その姿は、急激に黄金色に光り輝いたかと思うと、無数の光の粒子と化して消えていったのである。

 煉獄界へと帰還したのだろう。

「おやまあ、ワタシはまたイイ男を泣かせてしまったアルよ」

 シャンシーは、優しく微笑むと、兜の下で声を殺しているデュナリスに手巾を差し出したのだった。


「そなたが、イルルゥを静かに見送ってくれたことに、心より礼を言う。

 あれの魂は、ようやっと安定しつつあるけぇ、煉獄の鎌の遣い手として、一からやり直させるつもりじゃ」


 デュナリスが、ふと目を開けると、そこは光射すコニウムだった。

 ナグシャムでイルルゥを見送ってより早数日、彼は、かつての潜伏生活の礼と称して、コニウムにて畑仕事を手伝う暮らしに戻っていた。

 作業の合間に木陰で午睡していたら、ナグシャムでのあの日を夢に見たのだ。

 ルーリーが煉獄界へと帰還した後、ヒナギクが直々にデュナリスに挨拶をするために現れた。そして、イルルゥをやり直させると言ったが、デュナリスにも特に異存は無かった。事実、あの日以来、イルルゥは彼の前に姿を現すことはなくなったのだ。

「何考えてるの? 束ね役殿からの提案、受けることにしたのかい?」

「そっちこそ何を考えてるんだい? ゼヴィーロ」

 デュナリスは、彼に一応の笑顔を向けた。ゼヴィーロは今日、コニウムに姿を現したものの、農作業に加わるわけではなく、一方で、デュナリスの休憩には便乗して、木陰に座って優雅に茶を啜っているのだった。

「何って……僕は僕の仕事に勤しんでいるわけだけど?」

「せんせーっ!」

 キヲの声がしたかと思うと、鈍色の球形の魂が、ゼヴィーロ目掛けてふよふよと飛来したのである。

 ゼヴィーロは、ティーカップの水面を揺らすことすら無しに、片手で鎌を振るって、魂を煉獄界送りにした。それは確かに彼の仕事であり、鮮やかな手際でもあった。

 キヲは、生来の霊媒体質を活かして、ゼヴィーロのために死者の魂を集めているのだ。それも、決して案山子のように佇んでいるわけではなく、魔獣の子供たちに混じって鬼ごっこに興じながらである。

「体も鍛えるに越したことはないだろうからね」

 ゼヴィーロは、先日も、あらかじめコリンダの原で花束を拵えていたり、マクミナル博物館の図書エリアで人間向けの「初めてのデートマニュアル」を読破したりと、キヲの師として努力を惜しまないことは確かだ。その努力が的を射ているかどうかは別問題であるが。

「デュナリスさん、これをどうぞ。このきせつのワニナシは、あなたのこうぶつだからとってあげてって、レリアスちゃんにいわれました」

「え……」

 キヲは、鬼ごっこの合間に、路傍のフルーツをもいで、デュナリスに差し出したのである。

「どう? 僕の教え子の霊媒体質は。きみの魂に癒着している妹さんの声だって聞くことができるんだ。もっとも、今はまだ、きみが眠っている間に限られちゃうんだけどね」

 ゼヴィーロは、鼻高々といった様子で、教え子の才覚を自慢する。

「ええっと……今、レリアスと言ったかな? それも随分と親しげに」

 デュナリスは、フルーツを受け取ったついでに、キヲの手首を掴んだのだった。

「ちょっと! 妹さんの魂が幾分強度を増して、煉獄の鎌の遣い手になれなくもないってわかった途端に、そういう面倒臭い兄貴と化すのはやめてくれないか? つまるところ、きみの側が妹離れできそうもないってだけなんじゃないの?」

「悪いがゼヴィーロ、きみのこの子への教育方針には、少々疑問を感じていてね」

「はあ!? 論点をずらすのはやめてくれないか!」

 実のところ、先日ナグシャムにおいて、ヒナギクはデュナリスに告げたのだ。レリアスには、未だ転生は難しい。しかし、転生を前提として煉獄の鎌の遣い手となるだけの強度なら既に備わっていると。

 レリアスの魂をデュナリスのそれから分離するには、彼の同意が必要不可欠だ。同意するか否か——実は、それを聞き取りヒナギクに報告するところまでが、今回彼女と臨時の雇用契約を結んだゼヴィーロの仕事なのであるが、どうやらなかなか任務完了とはゆかないようだった。


 


 

 

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パンが無ければ 如月姫蝶 @k-kiss

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