IF 敗者の解法

 いつの間にか、その背中を目で追っていた。


「――鉱山のミノタウロスを?厄介なクエスト扱いされてたやつじゃないか。まだ銀等級になったばかりだろう?」


「いや、もうそういう域じゃねえよ、あれは」


 毎日の様にギルドで話題になって、いつも偉そうに話している男達が驚愕の声を上げる。


「アイツだけじゃない。赤毛、禿頭、そして白髪……なんだこれは、新世代ってやつか?」


 どんなクエストでも確実に成功させて、ただ愚直に上を目指すその姿。


「……あっ」


「おっと、大丈夫か?」


「は、はい」


「オーくーん、はやくー。お腹空いたー」


「先を急いでるんだ、すまなかった」


 その感情の始まりを、あえて言葉にするとすれば。


「……」


「フェリエラさん?受諾するクエストは決まりましたか?」


「あっ、す、すいません……」


 多分、憧れだったんだろう。





 ☆





「……はい……はい。クエストの成功を確認しました。こちら、報酬となります。追加でクエストの受諾は――」


「し、しません。ありがとうございます」


 受付員の言葉を断ち切って、報酬を懐に入れてそそくさと立ち去る。昔の私はずっとこんな感じだった。


 冒険者にはなりたくてなった訳じゃない。仕事の失敗が重なってだんだん暴力的になり、日に日に私を見る目が気持ち悪くなっていくロクデナシの父親から何の考えも無く逃げ出した結果、辿り着いたのがそれだっただけだ。


 戦うのが好きじゃない。剣を握るのが好きじゃない。モンスターの肉を斬り裂くあの感触が好きじゃない。私にクエストでの共闘を名目に、下卑た目で声をかけてくる男共が嫌いだった。


 でも、クエストさえこなせば生活は出来る。少しずつ貯めたお金で小さな部屋を借りる事も出来た。


 難度の低いクエストを何とかこなして、その日暮らしを続ける向上心の無い銅等級冒険者。


 この時点での私はそういうヤツだった。





 ☆





「相席良いか?」


「――え?」


 それはとある食堂で私が食事をしていた時の事だった。その日その場所は混んでいて、私は相席を求められた。


 その相手がオーウィンさんだった。


「っ、ど、どうぞ……」


「悪い」


 そう言ってオーウィンさんは私の対面に座り、店員に注文をし始めた。


 この時のオーウィンさんを知らないヤツなんて冒険者には居なかっただろう。 私と同じくらいの時期に冒険者になったのにも関わらず、この時点で既に銀等級に昇級していた。昇級後も難度の高いクエストを次々成功させ、そのまま金等級にまで行ってしまいそうな話題の人。向上心の高い、私とは真逆の人種。


 そして、私はオーウィンさんを淡い憧れの目で見ていた。年齢も大して離れていないのに、多くの人に囲まれて多額の報酬を貰っているという事実が大きかった。


「冒険者なのか?」


「えっ?」


 いきなりの出来事に思わず私がチラチラと見ているのが分かったのか、オーウィンさんはその視線に合わせて私に顔を合わせた。


「は、はい」


「俺の事は知ってるか」


「も、もちろんです」


「そうか……」


 私の返答が良かったのか、オーウィンさんは普段の何かを睨むような引き締まった表情を崩して、小さな笑みを浮かべた。


「お互い、それぞれの道を真っ当しよう」


 目。オーウィンさんは私の目を見てそう語った。


 私の姿を映しているようで、実際は自分の夢しか映っていない。柔らかい表情に反した、溢れてしまいそうな野心と熱量の籠った情熱的な目。


 結局、その後オーウィンさんは手早く食事を済ませてすぐに私の目の前から居なくなってしまった。


「……は、話しちゃった」


 軽い世間話のつもりなのだろうけど、あの目と普段との差が激しい笑顔は当時の私には刺激が強かった。


 何気ない小さな憧れが、ほんの少しの時間で別の何かに変わってしまった。そんな出来事だった。






 ☆





「はあっ……はあっ……」


 私は息を切らせてへたり込んでいた。目の前には双頭の犬型モンスター……オルトロスの死体がある。


「か、勝った……」


 ツメによる傷や、噛みつかれた事によって破れた衣服。少し背伸びをして受けたクエストの相手は、この時の私にとっては強敵だった。


「――おい、そこの」


「!?」


 突然背後からかけられた声。振り向くとそこにはオーウィンさんの姿があった。


「さっきから戦ってるのを見てたが、剣から手を離すのは流石にダメだろう」


 オーウィンさんは少し機嫌が悪そうだった。私はこの時のオーウィンさんの様子から、以前私と食堂で話した事に気づいていない、覚えられていない事を察した。


 こんな場所でいきなり声をかけられた事に混乱しつつも、その問いに答える為に私は口を開いた。


「てっ、手汗が酷くて……どうしても……」


 オルトロスとの戦闘中、私は一度剣から手を離していた。結果的には勝ったけど、致命的な隙だったのは間違いない。


 緊張による発汗。子どもの頃からの癖だった。


「成程な」


 オーウィンさんはそれを聞いて少し考えた後、自分の懐からそれを取り出して、私に差し出した。


「手袋……?」


「これを使うといい。ミノタウロスの革で出来た手袋だ。買ったけどしっくりこなくてな。あ、使うなら一応洗えよ」


「えっ、えっ、そんなっ。いきなり……」


「どうせ俺が持ってても使わん。目の前に必要としてるヤツが居るんだ。良い機会だ」


 オーウィンさんは押し付けるように手袋を私に持たせ、そのまま立ち去っていく。


「良い戦いだった。いつか、肩を並べて戦う時が来るかもな」


 そう言い残して。


「……」


 多分、オーウィンさんは私の戦いをずっと見ていた。自分のクエスト中に必死に戦う私を偶然見つけたのだろう。


 今だから分かる。もし私が勝てないと判断した場合は手助けをしてくれていた筈だ。でも、私と面識があるのは覚えていない。オーウィンさんにとってこの時の私は名前も顔も知らないただの冒険者。


 つまり、それが誰であっても手を差し伸べる準備をしていた。オーウィンさんはそういう人だった。


「……!」


 私は渡された手袋を大切にしまい込んでその場を後にした。


 オーウィンさんが言い残した私に期待をするような言葉は、私の向上心を刺激する最高の材料だった。


 憧れから始まったその感情を胸に、私は自分がオーウィンさんの隣に立っている姿を夢想した。


 ――あまりにも愚かで、罪深い夢想だった。






 ☆





 その先の事は、あまり思い出したくない。


「大丈夫か」


 それには幾つかの原因があった。

 本来そこには居るはずの無い、凶悪なモンスターが居た事。


「あ……あ……」


 それを追っていた冒険者の集団に、当時華々しい活躍をし続け、駆け出しの冒険者達にとっての憧れになっていた彼が居た事。


「あ、足が……」


 そこに偶々――いや、彼の言葉を真に受けて、いつもは行かないような地域の難易度の高いクエストを受けていた愚かな弱者を、彼は見過ごせなかった事。


「――気にするな」


 その時のオーウィンさんの苦し気な笑顔を、私は忘れる事が出来ない。





 ☆




 その怪我はオーウィンさんを深く蝕んだ。オーウィンさんの最大の武器である風足を奪った。


 誰も私を咎めなかった。助けられた弱者に興味を示す者は少なく、オーウィンさん自身も興味は無かったようだった。


 ギルドを歩いても、何も言われない。ギルド内で足を引きずるオーウィンさんに謝罪をしようとしても、常に側に居るあの白髪が私を射殺すような目で見て近づけさせない。あの女は私が原因であると分かっていたようだった。


 日に日に活力を失っていくオーウィンさんと、それを失望の目で見るギルドの連中。


 それに対して私は何も出来ない。謝罪すらも許されない。


 そんな地獄の日々が続き、私はクエストを受ける事を止めた。





 ☆





「なんで?」


 荒れた部屋の中で、自問自答を繰り返す。


「なんで?」


 何故こうなったのか。私がオーウィンさんの足を――夢を奪ってしまったのか。

 一つ、思い浮かんだ。


「弱い」


 私は弱かった。父親に反抗する力が無かった。だから冒険者になった。自分の身を完全に守れるような力が無かった。だからオーウィンさんの夢をぶち壊した。


 弱さは罪で、敗者が得られるモノなんて無い。


「……!」


 だから私は、もう一度剣を握った。






 ☆





 弱い自分が嫌で、ただ剣を振るう。気が付けば銀等級になっていた。


 周囲の私を見る目が変わる。オーウィンさんはこんな気分だったのかと思うと同時に、私に一つの案が浮かんだ。


 ある日のギルド裏の錬武場。そこにオーウィンさんは居た。


「風足のコツ?四六時中マナを扱う事を意識しろ。後は訓練しかない」


 私の問いにそう答え、オーウィンさんはまた動き始めた。片足が満足に機能しない事の面倒さはそれを見てすぐに分かった。


「はっ、はっ……うぐっ!……クソッ」


「……」


 まだオーウィンさんは諦めていない。でも直に限界が来る。そして今も尚、オーウィンさんを軽んじるゴミは増え続けている。


「私が……代わりに……」


 それが、私が見つけた贖罪の形だった。





 ☆





 風足の習得。クエスト。鍛錬。習得。クエスト。鍛錬。甘えは許されず、私自身も私を許す気は無かった。


 傷が増えた。身体が細く丈夫になった。口調と言葉遣いを変えた。やっとの想いで風足を習得した。


 金等級になった。周囲から認められた強者としての自負を胸に、私は精一杯の虚勢を張ってオーウィンさんに接触する。


「すまん、補佐それはは無理だ。――俺はまだ、冒険者でありたい」


 私の提案は拒否された。冒険者を引退し、私の側に居てもらうという事。


 完璧な安全を提供し、私の強さの向上を手伝ってもらう。風足を習得し、オーウィンさんの名前と共に駆けあがっていく様子を間近で見てもらう為の提案の筈だった。


「……」


 この時になってようやく、オーウィンさんは私を急成長中の冒険者フェリエラとして認識し始めた。そんな冒険者が何故そこまで自分や風足を求めるのか、訳が分からなかっただろう。


 でもそれで良い。その提案を承諾さえしてくれれば、ちゃんとした場で真実を明かせる。心からの謝罪をして、私の決意を伝えられる。


「だから、私の隣に……」





 ☆





 その後も何度提案をしても断られ、私が焦り始めた頃。


「早く……早く省級してもっとお金を稼げるようにしなくちゃ……っ!」


 フリューゲルあの女と初めて出会い。


「違うな。フリューゲルの才能は本物だ。――俺はアイツに夢を託した。本気で」


 私に向けられる筈だったその言葉を聞いて。


「私は貴女に何を言われようと、オーウィンさんの隣に居続けます」


 私は敗者になり、オーウィンさんの視界から完全に消えた。






 ☆





 それでも諦めきれない。あの二人に勝ちたい。怪我とその想いで怒り、苦しむ私の元に、オーウィンさんが来てくれた。


 最後のチャンスだと思った。あの女に私の罪を晒され、自分でも何を言ったか覚えていないくらいにオーウィンさんに泣き縋って、教えを受ける事が出来た。


 猶予は少ない。この数日間でオーウィンさんを納得させる力……あの二人を超える力を身に付ける。そうすれば私は敗者じゃなくなる。ちゃんと私を見てくれる。


 でも。


「はあ……はあ……」


 その日、オーウィンさんが訓練を続ける横で風足の訓練をしていたその瞬間。


「はは……」


 ふと、私は自身の敗北を悟った。

 分かっていた。オーウィンさんは最初から私に期待なんてしていない。


 知っていた。私はあの二人にどうしたって勝てない。


 現実。


「……あ」


 その敗北を認めた瞬間、一筋の光が見えた気がした。






 ☆





「――!」


 侵入者。扉が開く音と足音に反応し、反射的に意識が戻る。視覚で情報を得る前に、ベッドの脇に備えていた剣に手を伸ばした。


「誰だ」


 この部屋は俺が借りているフェリエラ邸の一室だ。


 今は夜。照明はベッドと出入り口の間を仕切るように窓から射す僅かな月明かりのみ。侵入者の姿は未だ見えない。


「わ、私です」


「……まあ、そうか。フェリエラお前だろうな」


 ここの使用人はもう避難済み、そして外部からの侵入者がここまで馬鹿正直に入ってくる筈も無い。剣は握ったまま、緊張を解く。


「何の用だ。……明日に響く、手早く頼む」


 緊急クエストの招集は明日の朝だ。睡眠不足なんてのは話にならない。


 だが、俺の急かすような言葉を聞いても何故かフェリエラは俺の方へと近寄ってこようとはしなかった。


「う、嘘だ」


「……」


「私がどれだけ強くなっても関係ない。私なんて最初から、オーウィンさんの視界に入ってない」


 暗闇の中でぼやけた輪郭のまま、フェリエラは独り言のようにそう呟いた。やけに力の抜けたフェリエラらしからぬ声色。そして、恐らくはフリューゲルやフロイデを超える力を示すというあの宣言に関する言葉。


 俺は緩んでいた剣を持つ手に力を入れた。


「そ、そうなんですよね」


「ああ。……お前が何をしようと、俺はこの絶好の機会を逃す気は無い。かつての自分を取り戻し、俺という存在を知らしめる」


「……オーウィンさんは緊急クエストの場には適さない。一金等級冒険者として、私がギルドにそう伝えました」


「そうか」


 ギルドは俺の事情を把握している。フェリエラはそれと自身の立場を利用してギルドに進言したのだろう。


 だがそんな事はどうでも良い。俺自身の意思がある限り、ギルドから止められようとも俺は明日の戦場に出る。


 何の意味も無い浅はかな妨害。そう思っていた。


「私もです」


「……何?」


「私自身も適さない。まだ怪我が完治していない事から、招集からは排除してほしい。ギルドは容認しました」


 意味が分からなかった。上昇志向の強いフェリエラが、既に完治している怪我を理由に緊急クエストの招集を拒否する。


 ギルドもフェリエラの仮病にはある程度は気づいている筈。容認はすれど、この一大事に手を貸さなかったという事実は今後に大きく影響する。


 困惑する俺を置いてフェリエラは話を続ける。常に自尊心の乗ったような普段の声色ではなく、卑屈さすら感じるような震えの混じった声で。


 ばさりと、布が落ちるような音がした。


「私、冒険者を辞めようと思います」


 俺は目の前の女の事を何一つ理解出来ていなかった事を悟った。


 恩と贖罪意識。それに付随した多少の情愛。こいつが俺に拘り、求める理由はその程度だと。


「だから――私と一緒に居てください」


「お前、何を……」


 道理もクソも無い、意味不明な懇願のようなその言葉に対して、俺はただ呆然としていた。出入り口の前から進み、月明かりの中に姿を現したフェリエラは何も身に付けていなかったからだ。


 引き締まった女の肉体そのものよりも、俺の目が向いたのはそこに刻まれた幾つもの傷跡だった。


「もうあの二人に勝てなくても良い。オーウィンさんの夢を継げなくても良い」


 フェリエラは涙を流していた。自分を抑え込むように唇を噛み、血を滲ませながら。


 そして、緊張が解けたようにその表情が崩れた。代わりに浮かんだのは弱者が強者に媚びるような笑み。


「ぼ、冒険者を辞めたら、私は何の取り柄も無いグズになりますよね」


 月光に照らされたその場所から、俺が居る方へと一歩を踏み出した。


「助けてください」


 小さくベッドがきしんだ。


「私を見て」


 何となく分かった。

 俺はこいつの自尊心の高さを知っている。自らが積み上げた物を否定するのがどれだけ苦しいのかも。普段の様子から、男に女として見られる事に嫌悪を感じているのであろうという事も。


「わ、私を……」


 あの日、こいつが俺に見せた敗北を良しとしない再起の為の涙とは違う、同情を誘う為の敗者の涙と行動。


 これは、ただの泣き落としだ。


「それ以外は全部諦めます……お願いします……」


「フェリエラ」


 涙と共に子供のように鼻を鳴らし、己の情けなさに顔を歪めて懇願するその姿が余りにも哀れで。


「泣くな」


 俺は思わず手を伸ばしてしまった。握っていた剣が音も無くベッドに沈む。


「あ……」


「お前をここまで追い込んだのは俺なんだろう」


 こんなのは口だけだ。俺は別に罪悪感や責任を感じている訳じゃない。


『オー君は目の前の弱者は見捨てない。そういう英雄としての在り方を自分に強いてるだけだよ』


 フロイデの見立ては正しかった。俺はもう、こいつを見捨てる事が出来ない。


「……お前の勝ちだ」


「オーウィンさん……っ」


 フェリエラの顔を引き寄せる。血の味が口の中に広がる。


 歓喜の様子でそれに応えるフェリエラの両手がしがみ付くように俺の背に触れた。雲に隠れたのか、月明かりはいつの間にか無くなっている。


 互いの吐息だけが聞こえる中で、俺は手放した剣が床に落ちる音を聞いた。

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