小さい願いを星天に込めて

雲鈍

第1話 超巨大な塔と、小さな女の子の話

世界に唐突に超巨大な物質が突き刺さった。それはまるで人類に終止符をうつクサビのようであり、神の子を磔にした釘のようでもあった。人の認知を越えていて、上空の方は雲でかすんでいた。


ギガ・インパクトと人は呼んだ。


しばらくして、「どうやら塔の形をしてるらしい」ということが分かってきた。けれどそれ以上のことは何も分からない。中に入り、出てきたものはいないから。

巨大な建造物はいつしか、聖書からその言葉を引用され、「バベル」と呼ばれることになった。



追われているのには気づいていた。――というか、「気づかされて」いた。わざとらしい足音。よくぶつかる視線。これでは気づくなという方が無理だった。

思い当たる節はない。僕の懐で三毛猫の「ネオ」がミャアと鳴いた。

「ダカサ、後方10メートルに複数の人影あり」

僕の隣にいるのは、円柱形をした無機物(あいぼう)。ピューロ2020型だ。かつて一大ムーブメント、ロボットとAIの研究の遺物だ。今は人々の情熱はすべて「バベル」にそそがれている。

「わかってる」

「わかっている、とは?

 問題は解決すべきだ」

ピューロは、特徴的なモノアイを点滅させてこちらの様子をうかがう。

「ピューロ、僕はね、平和主義者なんだ」

「ダカサ、世の中のすべてがそうとは限らない」

ロボットに諭されてしまった。

「……性善説をね、信じたいんだよ」

「ピューロはダカサを守るよう設計された。危険は排除する」

なんて会話をしてるすきに。


パン、と乾いた音が響いた。


それが旧式の火薬型の銃だと気づくのに、そう時間はかからなかった。

赤いレーザーが僕の左手に狙いを定めていた。

距離は10m。当たる確率は、いいところで5分だろう。とても乗る気になれない博打だった。

「ネコをよこせ」

黒いトレンチコートの男が、一歩前に踏み出した。

あいつらのいうことはいつも同じだった。

ネコを差し出せ。

一年前に事故でグチャグチャになって死にかけの猫を、義足で動けるようにした、半サイボーグだ。そんな猫に、どんな価値があるというのだろう?

僕は取り立てて気が短い方ではなかったが、ネオにかかわると話は別だった。


こんな無邪気な生き物を。

渡せるわけがない。

…僕は性善説を信じたいけれど...。


「ピューロ。10秒後にプランEを開始。並行して半径5メートルに光かく乱型粒子を放出」

ピューロは赤い目を点滅させると、煙突状の突起から白い煙を吹き出す。かつてはステルス迷彩にも使用された素材。今はバベルの恩恵で、そこらへんに転がっているのだ。


そして僕らは逃げ出した。



「ぜい、ぜい・・・・ぜい・・・・」

男たちが追ってきてないことを確認すると、僕はくたびれた教会の中に入り込んだ。

ネオは相変わらず不思議そうに僕の顔を見つめ、ピューロは顔色一つ変えていなかった。


教会。

神。


どちらも、僕には縁遠いものだった。僕の父は工学好きが高じてバベルの研究者となり帰らぬ人となった。僕の妹は実験体として連れていかれた。その後母は目に見えない何かにとりつかれたように「神」を妄信し始めた。すべては信仰が足りないから。すべてはお金が。すべては…。


母が夜な夜な起きだし、一心不乱に五体投地をしているのがいたたまれなくて、僕は彼女の信じる神を壊した。僕の鼻には一閃の傷がついた。僕と彼女の話は、そこで終わりだ。


くたびれた教会だ。廃墟と言い換えてもいい。

かつての栄光は面影もなく、外光をとりいれるステンドグラスにもひびが入っていた。


人が首をかしげるように傾いた十字架。その下に、うずくまる一人の少女がいた。


「すべての人に、神のご加護があらんことを」


年齢は僕とそう変わらないように見えた。

白い髪に、緑色の目。

虹色の光彩がともっているように見えた。それは激情と憐憫、天秤の両極端にある感情を思わせた。


「...いきなり訪ねたのは失礼だった。謝るよ」

僕は言葉を選びながら、後ろ手に扉を閉める。

両手をあげ、武器を持っていないことをアピールするジェスチャー。


「僕の名前はダカサ。『星屑拾い』のダカサ。バベルの周りでハイテク機器の落ちこぼれを拾って生きてる、ちんけな存在だよ」

「ちんけなどと」

僕は心を見透かされた気持ちになった。緑色の瞳があまりに真っすぐこちらを見ていたから。

「自分のことを言ってはいけませんよ。ダカサさん。

 私の名前はエリィ・エンドフィールド。この教会でお世話になり、神に仕える身です」

エンドフィールド(終末の朽ち果てた先)。この名前を関する意味を、僕は知っていた。バベルが生み出したのは何も夢だけではない。僕が拾うゴミ屑を誰かが捨てているように、産み落とした命を捨てていくやつもいる。それは金持ちが愛人に産ませた子供であったり、バベルの地域内のワンナイトラブで生まれた子に愛情を注げないやつらの子供だったりする。どちらにせよ「望まれてない」という点では一致していた。

「気になさらないでください」

僕の意を組んだとばかりに、エリィは口元を緩めた。

「私は、決して自分の運命を恨んではおりません。

 ここにエンドフィールドとして生き合わせたことも、限りある生だとしても」

「親が責任を果たさない。そういう意味じゃ、うちだって同じだよ」

僕はため息をついた。

「急で悪いけれど、少しだけかくまって欲しいんだ」

「いつでも、ご自由に。ここはすべてを等しく受け入れる場所ですので」

僕は帽子を取って頭を下げると、適当にあった椅子に腰かける。

「人間の憎悪や嫉妬も?」

「それが神の思し召しであるならば」

問い詰めるつもりはなかった。彼女がそういうならば、そうなのだろう。


悪い気持ちではなかった。ただ「性善説を信じたい」僕でさえ、少しお尻がムズムズする程度の居心地の悪さを感じただけだ。


「ダカサさん。バベルはいつまで続くでしょうね?」

「人が人である限り終わらないだろうね」

政府が予算を計上している。およそ200年と見込みを立てている学者もいる。

僕個人としてはそれでは足りないだろうと思っている。


バベルの塔の最上階にたどり着くには、”人間の寿命では短すぎる”。おそらくどこかで肉体は腐敗し、朽ちていくだろう。もし最上階にたどりつくことができるとしたら、有機物を無機物に置き換え、自己修復を繰り返しながら前に進むことができるロボットだけだと僕は思っていた。


「ダカサさんは、上を目指されないのですか?」

「目指すつもりはないよ。今の生活で満足してるんだ。猫のネオ。相棒のピューロ。

 日銭を稼いで、少しだけ楽しいことをする。それで十分さ」

「それならば、なぜ」

その動作が、あまりにも無造作だったから。

僕はとっさに反応できなかった。



エリィが僕の胸元から、さっとネオを取り上げた。

「【零式量子回路】を大事に守っているんですか?」

「ネオを、離せ」

僕は腰に手をあて、火薬式の銃を取り出した。

ピューロがエリィの額に照準を合わせていた。


「この子は新人類の「エネルギー」となるべく生み出されました。

 人が人である限りたどりつけないバベルの塔の先駆者として、創られたのです」

「興味ないね。でも僕の生活を脅かすなら――」

「わたしたち(エンドフィールド)は、未来を許されていません。

 富を持つものの代替品として生きるのです。私は、とあるお金持ちのパーツとして輸出されることが決まりました。この目が。虹色で、きれいだから。そんな理由だそうです」

僕は彼女を撃てないでいた。

あとほんのわずか。

指を動かすだけなのに。


「でも私には夢があります。満天の星空が見たい。せめて、生きているうちに」

「ネオには関係ないだろうっ!」


パシュン!


僕の葛藤を切り裂いたのは、ピューロの攻撃だった。

左肩をえぐられ、エリィはよろめいた。


「ここは、すべてが許される場所。

 人の憎悪も、許しも。悪も、善行も。等しく...」

そしてエリィはフッと口を緩めて、その場に崩れ落ちた。


「使えないやつだな」

声が、どこか遠くの方から聞こえた。

長身の男。2メートルはあるだろうか。さきほどまで僕たちを追ってきたやつらとは違う、あきらかに異質な空気。額にキズがある。

目をギラギラと刃物のようにきらめかせ、男はエリィから無造作にネオを拾い上げた。ネオは「みゃあ」と能天気な声を上げた。

男は口元をゆがめると、ネオの首元にナイフを突き立てた。一瞬の、まばゆいばかりの閃光。ネオの姿はなくなっていた。


「……待てよ!」

僕は照準を男に定めていた。今度はためらわない。引き金を引いた。二度、三度。

どれも命中したはずだったが、男は平然とその場に立っている。

「俺が憎いか? 小僧」

「殺す必要はなかったはずだ」

「殺す?」

あまりにも不釣り合いな言葉だと、男は嗤った。

「殺すなど、神が与えたもうた命にかけられる言葉にすぎん。

 俺がしたことは回収だ。自分が作った道具から部品を取り出したにすぎん」

「そんなの、勝手な理屈だ!」

「俺の所持品をどう扱おうが、小僧に何かを言われる筋合いはないはずだが。

 例えば、この役立たずにしても」

男はエリィを蹴り、仰向けに転がした。

「【虹色の光彩】は貴重品だから大事にしろと言ったが、死んでしまっては意味がない。それとも人間から部品を回収するのは寝覚めが悪いか、小僧」

「やめろおおおおお」


僕はさけんでいた。


僕は組み伏せられていた。


ピューロは、視界の端で煙を上げている。


「小僧、死ぬか」

「くっ、ふざけるなっ!」

僕の顔を見て、男が表情を変えた。

「貴様ダカン・ラカン家ゆかりの――」

「それがどうした! 僕には関係ない!」

「ふふ...。【虹色の瞳】と【十字の光彩】か。鍵が二つ。

 今は生かしておいてやろう。死ぬなよ、小僧。俺が殺すまでな...」


僕はその場にうずくまり、痛む場所を抑えていた。

殴られたのか? 武器の使用は認められなかった。

それも屈辱だった。

内臓が破裂しそうだった。

僕の横に、エリィが仰向けになっていた。まるで、寝ているかのようだった。


「ピューロ、生きてるか」

僕の問いに、相棒はモノアイの点滅で答える。

「医療キットを貸してくれ」


僕は”星屑拾い”のダカサ。

このバベルで落ちてきたものは何だって。

「たとえそれが命であったって」

拾い上げてみせる!

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