第一九回その2


 

 その駒原に現れる、うら若く美しい一人の巫女。彼女とその従者が駒原を調査し、彼女の視点からこの国がそうなってしまった理由が語られる。

 駒原は長らく名島氏が治める国だったが家臣によって下剋上され、名島氏は族殺されてしまったというのである。主君殺しをして駒原を乗っ取ったのは圭倉たまくら松秀まつひでという男で、この男は元々徳兵衛という名の商人だった。さらに元をたどれば駒原のとある寺院の生まれで、若い頃に一念発起して天竺へと渡って修行し、帰国のために商人となったという。

 なるほど、天竺徳兵衛が悪役なのか、と左近は筆を動かしながら得心する。天竺徳兵衛は寛永年間に日本から天竺に渡航し、戻ってきた実在の漁師だが、一八世紀中頃から日本を滅ぼそうとする悪役として歌舞伎等にくり返し登場するようになった。元はただの漁師なのに何故日本を滅ぼそうとする大悪役のボスキャラ扱いされるようになったのか、その経緯はいまいちよく判らない。


「名島氏は異国との交易を盛んにして駒原をもっと豊かにするために徳兵衛を――」


「あの、裏太郎さん」


 左近が達郎の語りを中断させた。その言い方は下手をすると御政道批判と取られるかも、という左近の懸念を達郎もまた理解する。


「ええとそれじゃ……『外国や仏教、また商業に関する高い見識を買われて徳兵衛は名島氏に請われ、家臣として仕えることとなったのだ』」


 徳兵衛はその才覚によりたちまち頭角を現し、名島氏は彼に歴代の重臣の中から断絶した家名を与えた。こうして名付けられたのが「圭倉」という苗字だったが、駒原を乗っ取った彼が今名乗っているのは「天圭てんけい蝦蟇躯斎がまくさい」。略して、


「『人呼んで天圭斎』……」


 左近は内心で安堵した。これから先「蝦蟇躯斎」などという漢字を何千回書くことになるかを考えて一瞬憂鬱となったのだ。だが略称「天圭斎」なら手で書くことも、彫師が手で掘ることもさしたる負担ではないだろう。

 天圭斎は民百姓に重税を課し、さらに自分で作った「天圭宗」というインチキデタラメ宗教を民衆に無理矢理押し付けた。息子の圭倉四郎を天圭宗の少年教祖とし、自分はそれに仕える教主という立場である。

 ああ、と内心で声を出す左近。達郎は天竺徳兵衛だけでなく七草四郎も出すつもりなのだ。そして駒原が島原のもじりなのは説明されるまでもない。

 「島原の乱」で知られた史実の益田四郎時貞こと天草四郎、これを元にして生み出されたのが七草四郎というキャラクターである。その登場は享保四年(一七一九年)初演の浄瑠璃「傾城島原蛙合戦」を最初とする。ときは源頼朝によって奥州藤原氏が滅ぼされた直後、藤原秀衡の遺児・四郎高平は蝦蟇の妖術を使って幕府を転覆せんとする。その四郎の潜伏地が「島原」であり、最後には筑紫「七草」に籠城する。このためその通称が「四郎」――そのまんまやないかい、と突っ込みたくなるくらいだ。

 でも、どうして「七草ななくさ」ではなく「圭倉たまくら」なのだろう、と左近は首を傾げた。左近はそこまで知らなかったが、史実で島原の乱が勃発した根本原因、苛政によって島原の民百姓に塗炭の苦しみを味わわせた藩主の名前が「松倉勝家」なのである。乱鎮圧後、幕府は彼の責任を追及して斬首刑に処した。江戸時代を通して大名が切腹ではなく斬首とされたのはこの松倉勝家ただ一人である。

 史実の天草四郎には神の力を借りて様々な奇跡を起こした、という逸話があり、江戸時代の史書には「天草四郎は手品を奇跡のように見せかけて信仰を集めた」と記されている。「天草四郎は不思議の術を使う」というイメージは既存であり、「傾城島原蛙合戦」はそれを下敷きにして書かれたものなのだ。「蝦蟇の妖術」という要素は元々の天草四郎には関係ないが、この時代には様々な説話・奇談により「蛙には不思議の力がある」というイメージを人々が持っていたという。

 「不思議の術を使う天草四郎」に「蝦蟇の妖術」が加わって作り出されたのが七草四郎というキャラクターであり、これ以降「蝦蟇の妖術使い」が物語の悪役として定着した。天竺徳兵衛もまたその流れの中で生まれており(天竺徳兵衛は七草四郎の影響を受けて生み出された後発のキャラクターだ)彼もまた「蝦蟇の妖術」を行使する。そして当然、天圭斎もまた「蝦蟇の妖術使い」だった。

 だが、達郎の語るストーリーである。天圭斎が行使する蝦蟇の妖術は既存のものは一線を画していた。天圭斎の妖術をその身に受け入れた者は蝦蟇の力を手にし、普通の兵士よりも何倍も強くなる――が、その代償としてその身はやがて蝦蟇そのものの蝦蟇人間と化するのである。

 ただ、天圭斎の手下が完全な蝦蟇人間と化すのはもう少し先のことだ。天圭斎配下の(ちょっと蝦蟇っぽいところのある)武士の一団に襲われる巫女。護衛を次々と殺されて一人となり、ピンチとなった彼女を助けるのが一人の若武者だ。そこで彼女の素性が明らかとなる。彼女の名は「三神巳夜」、京の土御門家の流れをくむ名門陰陽師の出身である。


「日本を滅ぼさんとする天魔が鎮西駒原に現れる。巳年巳月巳日巳刻に生まれた女がその野望を阻止する」


 その占託を受けて陰陽寮より派遣されたのが巳夜なのだ。

 やはり、と左近は一人得心した。巳夜は「祓い屋三神極楽始末帳」の三神令の血縁者、おそらくは娘なのだろう。

 巳夜は若武者にその名を問うが、彼はまともに名乗ろうとしなかった。




『俺はし……』


『し?』


『し……白い虎と書いて「白虎」だ』


 咄嗟の思い付きとしては良い名前だと満足げな白虎だが巳夜は白けたような顔である。


『白虎? すかした名前ね。虎兵衛とらべえあたりで充分じゃないの?』




 白虎は微妙な顔となるが、結局「虎兵衛」の通称が定着してしまう――達郎の語るその展開に左近の推測は確信となった。

 なお、天竺徳兵衛の妖術の弱点が「巳年巳月巳日巳刻に生まれた女の生血」というのは何度も歌舞伎等で語られて定着している設定であり、「巳夜」という名前はそれに因んでの命名だった。

 名島家の最後の一人、嫡男名島龍二郎宗賢が天圭斎に囚われて城の地下牢に閉じ込められている、だが近いうちに処刑される――その情報を入手した巳夜と虎兵衛は龍二郎を助けるために行動する。秘密の抜け道に出口から入って城内に進入し、地下牢にたどり着き、龍二郎を解放する二人。だがそれは天圭斎の罠だったのだ。三人まとめて地下で包囲されて絶体絶命のピンチとなるが、そのとき三人の手に焼けつくような痛みが。見ると、三人の腕に三画の謎の痣ができていた。

 驚き、だが同時に歓喜の顔となった天圭斎は何故か三人を見逃す。その天圭斎の腕にもまた三角の痣があった。

 身体のどこかに牡丹の形をした痣がある、とは八犬士の設定であり、達郎が語る三画の痣もそれに着想を得たものなのだろう……と左近は理解する。だがその痣を敵役の天圭斎までが持っている理由は判らず、左近は首を傾げた。

 そうして虎兵衛達三人は命からがら城から逃げ出し、何とか安全の場所までたどり着いた。が、その途端龍二郎は虎兵衛を射殺さんばかりの勢いで指弾した。仮名虎兵衛の正体は圭倉四郎正秀、天圭斎の息子にして天圭宗の少年教祖その人だったのだ。

 今天圭斎の下にいる圭倉四郎は偽者だ、という虎兵衛の説得にも耳を貸さず、龍二郎は単独行動を選択。一方の巳夜は本物の圭倉四郎こと虎兵衛と行動を共にすることを選択した。

 善玉側が二手に分かれてしまうが、達郎が追うのはまず巳夜・虎兵衛のコンビの方だ。龍二郎が主役じゃないのか、と左近は不思議に思う。悪役に親を殺されてその仇を討たんと立ち上がる、龍二郎の境遇は貴種流離譚の典型だった。

 その巳夜と虎兵衛に一人の男が接触してくる。男は黒鴉と呼ばれる、金さえ出せば何でもやるフリーランスの祓い屋だ。そして今は天圭斎に雇われているが、密かに巳夜達ともつながりを持とうというのである。両者は情報交換をするが、今は黒鴉がもたらした情報の方が質量ともに圧倒的だった。天圭斎はこの駒原で「聖杯戦争」を行おうとしている、というのだ。

 「聖杯戦争」――それは七人の妖術使いが召喚した使令サーヴァントを使役し、最後の一組になるまで続けられる殺し合い。最後まで勝ち残った一組にはどんな願いも叶えられる万能の願望器「聖杯」が授けられる。そして手首の三画の痣は「令呪」と呼ばれる、聖杯戦争に参加する資格が与えられた証だった。

 左近は内心で驚嘆した。こんな奇想天外な話を一体どこからどうやって思いついたのか、と。だがこれは決して達郎自身が考え出したものではない。それがTYPE-MOONの「Fate」シリーズの翻案であることは、二一世紀の人間にとっては言うまでもないことだった。

 聖杯戦争や令呪、サーヴァントといった基本設定は元ネタそのまま。登場人物も、虎兵衛は衛宮士郎、三神巳夜は遠坂凛、名島龍二郎宗賢は間桐慎二、天圭斎は言峰綺礼から着想を得て、翻案の都合に合わせて改変したものだ。ただ、サーヴァントはそのままは使えず全部変更する必要があった。この時代の江戸人にアーサー王とかヘラクレスとか言っても伝わらない以上は仕方ない。だが日本にだってそれらに負けない魅力的な英雄はいくらでもいるのである。

 そして召喚される七騎の使令サーヴァント。さらには彼等が「英霊の座」にいる、過去の英雄豪傑であることが明らかとなる。その使令と使令の最初の激突。龍二郎は二人組の剣の使令を従えており、それと対峙するのは黒鴉に従う槍の使令だ。だがそれは槍ではなく大鉞おおまさかりを手にしていた。


『名を知られたら不利になる? ああ、そうかもしれねぇな。だが、。戦いを前にして名乗りを上げずして何が武士もののふだ。さあ、耳をかっぽじってよく聞きやがれ――この俺様こそ源頼光四天王が一人、坂田金時!』


 それを受けて剣の使令もまた名乗りを上げる――我等こそ河津祐泰が子、曾我祐成・時致の兄弟なりと。


「……」


 その展開に左近はもう言葉もなかった。


「左近さん?」


 筆が止まってしまった左近に達郎が声をかけ、「ああ、ごめんなさい」と左近が再起動する。


「他の五人の使令は誰を出すつもりなんですか?」


 身を乗り出して左近がそれを問うが、達郎はこの時点のネタばらしに難色を示した。それでもいつになく左近が熱心に訊ねて達郎も根負けし、それを明らかにする。


「巳夜には安倍晴明を。偽物の圭倉四郎は源九郎判官義経を、天圭斎は源鎮西八郎為朝と崇徳上皇を従えています。そして虎兵衛には日本武尊を当てています」


 八犬伝よりも面白く、八犬伝よりも売れる話を書く――達郎のその言葉に何一つ嘘はなかったのだと、左近は心から理解していた。




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