私はまた『卒業』する

天音

卒業とは

「人間卒業したら、あたしら何になるんだろうね」「は?」

私達は、まだ貰いたての青々とした花束を早速地面に落としてしまいそうになった。PTAが有志で作ってくれた、卒業祝いのミニブーケだ。家に帰る前にボロボロになっては堪らない。

「だから、私達、次は何になるのかなって」

私と有紗をずっこけさせた張本人である美香ちゃんは、私達を気にも留めず、卒業証書の入った筒でブーケをポンポンと突いたり乗せたりして、器用にバランスを取っている、

「そんな皿回しみたいな事したら、ブーケ絶対崩れちゃうよ。」

「私は皿回しよりディアボロの方が憧れるなあ」「何それ」

相変わらず美香ちゃんの言っていることはよく分からない。よく分からないどころか、分かった試しが無い。お互い日本語で喋っているはずなのに、どこか会話がずれている。

「まだ私達、高校卒業したばっかだよお。来世の事考えるのは、ちょっと早いんじゃない?」

有紗はにこにこしながらブーケ回しをする美香ちゃんを見つめている。正直、有紗も掴み所がない人間だ。「人間卒業したら何になるんだろう」という美香ちゃんの突拍子もない発言を、今はすんなり受け入れている。

「早くなんて無いよ、人生はあっという間なんだから。来世ぐらい、今のうちから考えておいた方が安心だよ。」

「そっかあ、確かにそれぐらい早い方がいいかもね」

大真面目に力説する美香ちゃんに、相変わらずにこにこして相槌を打つ有紗。私の二人の友人は、これ程までに変人だったのか。いや、むしろ変人なのは少数派の私の方で、二人が常識人なのかもしれない。一度考え始めると訳が分からなくなってきた。

「真帆、大丈夫ぅ?」

有紗のとろんとした声で我に返る。

「なんか、険しい顔でぼぉーっとしてたよぉ」

「なんでもない、ちょっとお腹空いたのかも」

事実、本当に私は空腹だった。卒業式の長ったらしくて中身の無い校長の話は、聞いているだけで“HP”を消費するのだ。

「悩みは、飯を食えば全部解決する。よって、カロリーたっぷりの焼肉を食おう。」

美香ちゃん独特の変な理論にも、この時ばかりは素直に従った。


「私達の、卒業にかんぱーい!」

3人で仲良くグラスを合わせる。当然中身は酒ではなく、烏龍茶だ。カチンと、グラスの小気味よい音が店内に響く。

「こうやって、『卒業』出来る機会って、もうそんなにないよねぇ」

ほっそりした体型に似合わず、山盛りのカルビを口に放り込みながら有紗が口を開く。

「どういう意味?」

「だって、私達は今日、高校卒業したでしょう?あと、『卒業』出来るのは、大学卒業ぐらいじゃないかなあ?」

確かに、と思わず声に出してしまう。大人になったら、そこからは「退職」とか「引退」で、気持ちよく巣立つというよりは、「身を引く」感じだ。

「アイドルになったらもう一回『卒業』出来るよ」

美香ちゃんが珍しくまともな事を言う。

「確かに。あれってなんで『脱退』じゃなくて『卒業』って言うんだろうねぇ。何が違うんだろう。」

言われてみると、「卒業」の方が後腐れなくさっぱりと辞めた感じがある。「脱退」は、何となく裏で何かがあったような、暗い響きを感じる。

「美香ちゃんは、卒業ってより『脱退』に近いんじゃない?」

「確かに。てか、『脱退』も自分の意思に近いから、寧ろ『破門』って感じかな」

私の冗談に対して、美香ちゃんが豪快にガハハと笑う。

美香ちゃんは、結構悪い生徒だった。勿論罪を犯したという意味ではない。でも、法に触れない悪い事は全部やっていたのではないかと思う程、学校では大暴れしていた。

まず、学校で自分の制服のスカートをビリビリに引き裂いた。それも授業中の事で、温厚な国語の女性教師からは、「保土原さん!なにやってるの!」と悲鳴が上がった。私達の学校は女子高だったからまだ良かったものの、所謂“紺パン”が露になり、ちょっとした騒ぎになった。あと、男性教師の股間に、思い切り蹴りを入れた事もある。中年で太り気味のその教師は、呻き声をあげて倒れた。当然騒ぎになった。これは恐らく傷害罪にあたる。あとは、ある日突然紫色の髪で登校してきた事がある。私達の学校は染髪禁止だったので、当然これも大騒ぎになった。美香ちゃんは様々な校則違反により何度も停学、留年の危機に追い込まれたが、不思議な力でそれを切り抜けて卒業した。一留もしていないのがもはや奇跡だ。

「美香ちゃんは、この世の全部の悪いこと、やり尽くしたんじゃなぁい?」「そうだそうだ」

私と有紗がにやにやしながら美香ちゃんをいじると、美香ちゃんは大真面目な顔で「確かに、私ってある意味凄いかも」と頷いた。


焼肉で腹を満たしたので、次はカラオケに移動する。美香ちゃん曰く「制服でカラオケに行けるのは今日が最後だから」との事で、私達もそれに同意した。

「私、いつもよりもっと悪いことしちゃお」

美香ちゃんは到着早々パンケーキを頼み、歌うより前に食べている。おまけにパンケーキはこれでもかというほど生クリームで覆われていた。「ちょっとクリーム多すぎない?」

「ほらあそこ見て、『生クリーム乗せ放題キャンペーン』だって。せっかくだし元取らなきゃ損でしょ」

私のツッコミに対して、正論なのかよく分からないことを言いながら、美香ちゃんはもはやパンケーキなのか生クリームなのか分からない物を口に運ぶ。

「ねぇ、美香ちゃんは大学入って何かやりたいことないの?」

不意に気になって質問する。まだ高校生気分でいた私達だが、一ヶ月後には別々の大学へ進学するのだ。

「真帆と有紗は?」

美香ちゃんが逆に質問してくる。

「私、正直、何をやりたいか分からない。気がついたら高校三年生で、みんなが受験モードに入ってたから、何となく中堅の大学と、そこそこ人気の学部を選んだだけだし」

これは、正直な私の思いだった。真面目に学生生活を送る美香ちゃんより、大学で何かに夢中になっている私の姿の方がよほど想像出来ない。こうして気丈に振舞っている今も、将来の不安は常に心の重しになっている。

「私は、フランスに留学してみたいなぁ。でも、パパとママが『日本人なのに海外に行く意味なんてない』って言うから、迷ってる」

有紗がフランス語に興味があり、大学で真剣に学んでみたいという話は前々から聞いていた。でも、両親に反対されたことで、段々消極的になっているようだ。

「それで美香ちゃんは?」「何か目指してるのぉ?」

私と有紗の質問に、美香ちゃんはしばし首を捻った。そしてゆっくりと語り出す。

「私は、後悔したくないの。 全てのことで」

「「コウカイ」」私と有紗の声が重なる。

「うん。やりたいと思った事は、全部実行したい。私はより人間に近い動きをするロボットを作りたいから、理工学部に決めた。これで夢に一歩近づいた。もし私がチーターに乗りたくなったらアフリカに行くし、突然アイドルを目指したくなったら乃木坂のオーディションを受けたい。」

「チーターに乗るのは難しいんじゃないかなぁ」「そんなの、やってみないと分からないよ」

有紗の発言に対して、いつもヘラヘラした喋り方の美香ちゃんがとても冷静な声で言った。

「全部、やってみないと分からないよ。私がもしチーターに跨って食い殺されても、私は挑戦した結果だから、スッキリすると思う。『あぁ、やっぱり肉食獣は危険だな』って。」

「…私はチーターには食べられたくないけど、確かに、そうかも。」

本当に、美香ちゃんの言う通りかもしれない。私は、自分を無理やり修正してきた。一般的な「社会のレール」と違う方向に目を向けてしまった自分に怒り、必死でみんなと同じレールに直してきた。でも、一度くらい、みんなと違う道へ進んでみても、それどころか逆走しても、走るのをやめて歩いてみても、いいかもしれない。

「だから、高校でも変なことばっかりしてたのぉ?」有紗が間延びした声で尋ねる。

「そうだよ。私はあの時やりたかった事、全部やったの。高校卒業に、後悔は1ミリもないの」

実は美香ちゃんは数々の悪行によりクラスメイト達から煙たがられるどころか、英雄的な扱いを受けていた。それは、「美香ちゃんの悪行で沢山の校則が変わった」からだ。例えば例の「スカート切り裂き事件」では、私達の学校で何十年も改正されなかった「ズボンではなく必ずスカートを着用すること」という校則が見直され、ズボンも制服として認められるようになった。そして、「男性教師暴行事件」では、彼が他の教師や保護者に隠れて行っていた「さり気なく身体を触る」というセクハラが無くなった。最も、この教師はその後生徒会費の横領か何かで懲戒免職となったのだが。

極めつけは「紫髪事件」である。誰もが驚いた美香ちゃんの紫髪により、染髪禁止の校則も見直され、髪色は自由で良いとの校則に変わった。美香ちゃんは、本当に変人で、ヒーローなのだ。

「私、決めた。絶対にフランスに行く。」

「どっちでもいい」「何でもいい」が口癖の有紗が、こんなにはっきり自分の意見を言うのは、これが初めてだった。

「そうだよ。後悔がこの世で一番悪いことだよ。」 美香ちゃんが満足気にうんうんと頷く。

「人間『引退』じゃなくて、『卒業』したいもんね」

「真帆も、今やりたい事あるなら、ちゃんと声上げて、やった方がいいよ。」

今日の美香ちゃんの言葉で、大きく背中を押された気がした。今は先が見えないことだらけだけど、やりたい事を見つけたら、「チーターに跨って死んでも」いいから、私は実行する。仕事も人生も、今日みたいに「卒業」したい。それが今の私の夢だ。そしてまたひとつ、新たに「やりたい事」が出来た。後悔する前に、私は何だってやる。ベルを押すと、暫くして個室のドアが開き、店員が顔を覗かせた。「ご注文をお伺いします」

私はにっこりと笑って後ろのポスターを指差した。

「あのパンケーキ下さい!生クリーム特盛で」

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