第3話 帰宅

 結局、桃髪の女の子に関して、歓太郎から追加の情報は聞けず、彼は部屋を後にした。

 不審人物の動向は気になったが、情報がなければ考えることもできなかった。

 そもそも楓は探偵ではないので、情報があっても答えが導き出せたかは不明だ。

 歓太郎と話している間、話題がそれるたびにテキトーにあしらっていただけだったが、脳の処理能力を意外と持っていかれ、ろくに考えることができていなかった。

 そのため、どうしてこの楓は入院していたのかわからなかった。

 交通事故にでもあったような気がするが、ここだけぼんやりして思い出せなかった。

 外傷はないようなので、事故ではないのかもしれない。

 それでも何かしらショックがあったのか、思い出すことはできなかった。

 熱中症か何かだったのだろうと思い、土産はもらったもののその日のうちに退院した。

 今の楓の記憶にも抜け落ちている部分があるようだ。

 もっとも、人の記憶はそこまで正確ではないと言えばそれまでだが。

 しかし、帰り道は全く見たことのない道を一度も迷うことなく家まで辿り着くことができた。

 そう、今の楓の家だ。

「ただいまー」

 そろそろ今の声にも慣れないとな。と思いながら、楓はドアを開けた。

 ドタドタと大きな足音が近づいてくる。

 家に帰ってきたところを刺すタイプの強盗だろうか。

 もしかしたら、昼間病室にいた不審人物かもしれない。

 自然と身構えた楓だったが、やってきたのは今の楓母親だった。

 名前は秋元蘭。年齢より明らかに若く見える母親は玄関で急ブレーキをかけると、

「ノリ悪いなー」

 と頬を膨らませた。

 子持ちのはずだが、童顔のせいか可愛く見える。

「どれだけ育ったか確かめようと思って、楽しみにしてたのに」

 この人は病院から帰ってくるなり何を言っているのだろうか。

 楓の口がぽかんと開いてしまった。

 それともこれがこの世界の常識なのか。

 状況は飲み込めずにいたが、母親の指の動きがいやらしく、自然と両腕で胸を押さえていた。

 なんか女々しくなっているなぁと楓はしみじみ思った。

「そもそも一日病院に居ただけで何も変化はないでしょ」

「わかんないわよ?」

 おどけて見せる母だったが、このまま玄関で棒立ちしているわけにもいかず、警戒しながら靴を脱ぎ、

「ひゃっ」

 靴に手をかけた瞬間のスキを母は見逃さなかった。

 電流のような感覚が全身を流れた。

 不意打ちのせいもあり、思考が一瞬全て飛んだが、すぐさま意識を戻すと両手を前に出して臨戦態勢をとった。

「本当に変化はないみたいね」

「あ、当たり前でしょ。何言ってんの?」

 聞く耳を持たない母はそのまま空中で手を動かすと、感触を思い出しているようだ。

 本当に何をしているのだろう。思考とともに肉体も警戒モードになっていた。

 二度は食らわないと、さっさと靴を脱ぎ玄関に上がった。

 後ろを取られないための監視の意味もあったが、母の顔をまじまじと見てしまっていた。

 母親と目線が同じ高さというのは楓にとってとても不自然な感覚だった。

 男の時はいつの間にか背を越していた。

 そして、上から見るということがいつの間にか当たり前になっていたというのに。

 同じ人物ではないものの、今ではまた目線が同じになっており、なんとも言えない胸が締め付けられる感覚があった。

 同時に、もう男ではないんだということを突きつけられたようで、ぽっかり穴が空いたようでもあった。

 だが、母にはそんな気持ちは伝わらず、照れたように頬を赤らめると手を当てて、クネクネと腰を動かし始めた。

「もう、そんなに見つめて、何も出ないわよ」

 そう言いながら、上目遣いで見つめてきた。

「もう一回欲しいの?」

「結構です」

 この人といると、とても気まずい。ということが母親に対する初対面の最終的な感想だった。

 楓の顔には心と体が一致した、綺麗な苦笑いが浮かんでいた。

 楓はもっと記憶を思い出して、警戒しておけば良かったと後悔していた。


 楓の母親は一応結婚して子供を産んでいるとはいえ、女の子、しかも、娘にまで手を出しかねない態度を普段から出しているようだった。

 もちろん、巧妙に隠され、実の娘である楓にしかバレていないようだったが知らないところで通報されていて不安になった。

 しかし、そんな変人の母親の様子に楓は少し安堵も覚えていた。

 奇妙な感覚に自分も影響され、おかしくなったのかと最初は不思議だったが、何もおかしなことではなかった。

 母の血を強く受け継いでいるから、今も恋愛対象は男ではなく女だと思えたことが原因だとわかったからだ。

 元男だから女の子と付き合いたい。そう思うことが当たり前だと思っていたが、母親の影響が大きかったのかもしれない。

 いつの間にか女の子に慣れ、男性と付き合い出していたかもしれないと思うと背筋が凍る思いだった。

 思い返してみると、歓太郎ははっきり言ってイケメンだった。

 見た目も中の上程度だった楓が、今もし男だったら嫉妬するほどのイケメンだった。

 歓太郎のルックスのレベルは、人気アイドルや有名若手俳優と言われても納得できるレベルだ。

 その歓太郎が、これまたはっきり言って眼中になかった。

 こればかりは母の恋愛観よりも、年々株を下げ続けた歓太郎が悪いのかもしれないが、それでも今まで一度も意識していないようだった。

 彼氏と言われた時に、驚きより不快感がまさったのはそのせいかもしれない。

 それにどうやら今の楓には意中の相手がいるらしい。しかも、女の子の。

 母親はどうにか折り合いをつけて男性と結婚し、楓を産んだようだ。

 飯時に余計なことを考えるのは、作ってくれた人に失礼かもしれないが、許して欲しいと楓は思った。

 思考に浸っていないとどうにも疲れるからだった。

 相変わらず、セクハラじみた発言を娘の楓にぶつけてくる。

 今も二人の楓の野望が一致している安心から漏れた笑みを、セクハラに喜んでいると勘違いし、マシンガンっぷりがましたところだ。

 それにとどまらず、時々目を合わせるたび、パチクリと瞬きしてぶりっ子ぶっているのか、子犬のような表情を見せてくる。

 楓は家に帰ってきてからというもの、戸惑ってばかりだった。

 元から手をつける前に一度思考を挟む癖があったが、状況も相まってワンテンポ遅れていたものが、ツーテンポ、スリーテンポ間が空いてから行動している。

 ものすごく気まずいことに変わりはないが、それでも楓は感謝だった。

 中身が変わったことで態度が色々変わっているだろうが、受け入れてくれた母親という存在に安心感も抱いていた。

 なんだかんだとかしこまらずにご飯を食べていられるのも、母親のおかげだった。

 そして、もし、母の態度が常識ならキャッキャウフフは簡単に手に入りそうだ。という思考が楓に希望をもたらしていた。これで今度こそ、女の子にモテられるだろうと。

 しかし、ふと、そうは言っても、常識でなかったら、女の子で女の子が好きな子を探す方が大変なのではないかという疑問も浮かんだ。

 記憶の中では母に唆されて、少し強引にスキンシップをとっていたらしいが、世間一般的なことなのかまではわからない。

 嫌がられていた記憶もないため、引き際がうまかったのか。

 そんなの知らない楓にとっては大変な問題だった。少し記憶をのぞいただけでもオーバーヒートしそうになった。

 楓に女の子に対する免疫はなかった。

 今になって、イケメンに転生していた方が都合が良かったのではという思考まで浮かんだくらいだ。

 だが、楓には選べた記憶がないことから、仕方がないと割り切るしかなかった。

 転生しても手持ちのカードはある程度のハンディを背負っていた。

 今のところ、世界の危機を救う力も、歩くだけでモテモテになるような能力もなかった。

 スキンシップしないといけないのって、ハードル高くね? と気持ちは萎みそうだった。

 あの母親のテンションでやっていくのか。と気概が落ち込みかけていた。

 そんな、不安視はしたものの、楓の心では、この程度の壁はどうにか越えてやろうという気持ちがまさっていた。

 一度死んだのだ。どうってことないだろう。

「あ、そうそう。ご飯食べたらお風呂入っちゃってね」

「え」

「なんなら、洗いっこしよっか?」

「け、結構です」

 目はおよがせた楓だったが、手を出して、強く必要ないことをアピールした。こうでもしないと入ってきかねないことがわかってきていた。しても入ってきそうだが。

 食事とこれからで風呂のことなど何も考えていなかった楓だが、生活していればそういう場面もあるかと思ったものの動揺していた。

 これは、どうしたものか。

 一瞬、箸が止まったが、気づかれる前にまた食べ始めるも、震える手のせいでうまく食べ物が掴めない。

 そっと一呼吸置いてから、食事を再開した。

 楓の脳内はどうしようという思考が占拠していた。

 もうぺたぺたと触ったのだし、関係ないようなという思考。

 それでも、風呂となるとまた別ではという思考。

 もう自分の体と言っても差し支えないだろうし、入らない方が失礼だろうと正当化までしていた。

 そして、自分の部屋である女の子の部屋に緊張し、心拍を上げながら入ると、下着をできるだけ見ないようにしながら、自着替えを用意して颯爽と入浴。


「はっ」

 気づけば布団の中。

 着替えも済み、体からはシャンプーの香りがした。

 もう風呂を済ませたのだろうか。

 どうやら楓の精神は強い刺激に耐えられなかったらしい。

 入っていた記憶はあるが、どうにも入っていないような。出かけてからドアの鍵を閉めていなかったような感覚だった。

 そもそも風呂でゆっくりするという習慣が死ぬ前になかった楓は、風呂の時間を流れ作業でやったせいで、せっかくの時間を堪能できなかったのだ。

 新しい体でも、慣れたことをする時は自然と体が動いていることが裏目に出た。

 楓は自分の意気地なさを少し呪うと、布団の中に戻った。

 転生してからというもの、ベッドの上にいる時間が長いような気がしていた。

 静養という意味では都合が良かったのだろうが、明日からはゆっくりできないようだ。

 学校があるらしい。

 準備はしっかり済ませていた偉い子だったので、考えごとでもしながらゆっくり眠れそうだった。

 どうにも男の楓と女の楓を分離して考えてしまうが、そろそろ同じものとして受け入れないといけないのかもしれない。

 元に戻れる保証はないし、次の死が本当の終わりかもしれないからだ。

 せめて助けた子だけでも元気だといいなと思っていた。

 時間があれば住んでた場所に行ってみるのもいいが、もう少し先になりそうだった。

 そうしてまどろみながら考えていたからか、布団が不自然に動いてから違和感に気づいた。

 暖かい何かが体の上に乗っかってきている。

 今の楓がペットを飼っていた記憶はない。

 徐々に這い上がってくるぬくもりの正体を確かめるため、暗闇で目を凝らした。

「何考えてるの?」

 母親だった。

 夜這いにでも来たのだろうか。

 見境がないというか。

「失礼なこと考えてるでしょ。一人じゃ寂しくって来ちゃったのよ。それだけだからね」

 妹か。子供か。

 確かに双子と言っても通りそうだが、そうじゃない。

「仕方ないなぁ、お母さんは」

 何を言うか考えるよりも早く口は動いていた。

「寂しがりは克服できないのだよ」

 この楓が受け入れているなら仕方ないのか。

 子離れさせてあげた方がいいのではと考え、引き剥がそうかとも思ったが、意識していなかった心細さがかき消された気がして、楓は静かに目を瞑った。

 明日の学校もなんとかなりそうだ。

 見知らぬ女性と同じベッドで寝ているものの、体からはだんだんと力が抜けていった。

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